VAMPILLIA

彼らが当初から自称している<ブルータル・オーケストラ>*1という言葉は、当然だがかなり端的に彼らの音楽性を表している。ピアノやストリングス、コーラスによる流麗なアンサンブルを、グロウルやブラストビート、トレモロディストーションギターというポストブラックメタル的要素という反対方向の要素で盛り上げるという構成は、なるほどブルータルオーケストラ然としている。

こうした曲構成をさらに特徴付けているのが“あの頃への憧憬”と「おもろいやん」である。

“あの頃への憧憬”

彼らに対する音楽メイニアの視線を一変させたであろう「endless summer」を代表として、VAMPILLIAの曲からは強い寓話的センチメンタリズムが感じられる。ブルータル部分でもオーケストラ部分でも一貫している感傷的なメロディや、曖昧な口調で語られる曖昧な言葉、劇的な展開などは、ストリングスやピアノが孕むそうした要素を存分に引き出している。リーダーがもともとその筋の名手world’s end girlfriend(以下WEG)のファンで、現在彼の運営するVirgin Babylon Records(以下VBR)に所属しているというのはかなりわかりやすい。例えばVBRの夢中夢の特に『夢中夢』(ただし当時はGYUUNE CASSETTE所属)なんかは、VAMPILLIAより(同人)メタル寄りではあるものの、使用楽器や曲構成にかなり近い部分を感じる。さらに、彼らは「いいにおいのするALCEST JAPAN TOUR」と題してシューゲイザーブラックメタルバンドALCESTのライブを何度かサポートしている。シューゲイザー部分がオーケストラに置き換わっているにしろ、その曲構造やメロディ、描いている感情に関してVAMPILLIAとALCESTは似ている。なんというか、この辺りの関係性は腑に落ちすぎてお腹が痛い。

ある層でのALCESTの不動の人気を思えば、VAMPILLIAが日本で好意的に受け取られている現状はさもありなんといったところである。また、その層とは別に、VBRのリスナーが普段自分たちの観測範囲にはないブルータルさ――それは彼ら好みに調理されてある――を珍しがってその人気を支えているだろうことも容易に想像できる。(今年の例で言えばTHE BODY『I Shall Die Here』に対するエレクトロ方面のリスナーからの絶賛がこれと似ているだろう)

こうした、日本では評価が確立されていると言っていい音楽性にさらに色を加えるのが「おもろいやん」である。

「おもろいやん」

「おもろいやん」とは、端的に言えば“外す”思考だ。めっちゃセンチメンタルなストリングスのあとにいきなり叫びだしたら「おもろいやん」?叫んでたとおもったらふざけたスキャットし始めたら「おもろいやん」?定型的な流れに沿わず、意外な要素を入れる、それだ。もっと具体的に言えば、例えば、『The Divine Mode』で顕著だが、前述のガチ寓話泣ける系曲「endless summer」を「endless (massaka) summer」とし、「夏はまさかのまっさかサマー」というダジャレをねじ込んでしまうような、あるいは「oops we did it again bombs BiS」でアイドルたちにゲップをさせまくるような、そういうのである。リーダーの<バンドをストイックにやられてる方にとっては、僕らはある種の聖域みたいなところを土足で踏みにじってると思います>*2という発言はこれらのヒントになるだろう。“ストイック”から外したほう、ストイックなひとたちがやらないことをやったほうが「おもろいやん」である。

この「おもろいやん」は、前述の“あの頃への憧憬”というVBR的要素と相反するようなものとして表れる。そしてブラックメタルとオーケストラという正反対に思えるものを相溶させた音楽に、さらにそのどちらにも属さず対峙するような「おもろいやん」を加えることで、彼らはひとつの特殊な構造物として存在しているのだ

音楽オタクとしてのリーダー

他人からは雑多に思えるこうしたノリに関して統一性を与えるのが、リーダー自らが述べている<帰宅部の高校生の放課後>*2だ。なるほどこれはかなり的確だ。部活動に真剣に打ち込む“普通の”高校生を横目に、持て余したヒマを埋めるように“面白いこと”を模索する。リーダーが<ただ単純に、「僕が聴きたい音楽を作る」みたいな感じ>*3とも言っているように、彼らは他人に面白さを提供しようとしているわけではない。ただ他人とは違う形での青春を謳歌しようとしているのだ。バカげた行動もする一方で、熱く語ったりもするだろう。涙を流したりもするだろう。ファンタジックな“あの頃への憧憬”とふざけた「おもろいやん」が一つのものとして同期するのは、当然であると言える。

さて、彼らの基本的姿勢はそれ以外にもあるようだ。リーダーは、自分にはアーティストやバンドという意識はあまりないと言っている*4。つまり彼らの音楽は、少なくともリーダーにとっては、リスナー視点から作られているということになる。であれば、リーダーがどのような音楽観を持っているかを考えることは、そのまま彼らの音楽の理解にも繋がることになるだろう

WEGはリーダーについて<彼は異常に音楽が好きで、まあ音楽オタクで>*5と言っている。幅広く音楽を聴いているだろう彼が好むのはWEGであったり、インタビューで<Sigur Rosは「Agaetis byrjun」が好きでしたね。あれを聴いたときに、Mogwaiを超えるものが出てきたって思った>*5と答えているように、その辺りのポスト感のある音楽だったりなのだろう。

彼はWEGやTHA BLUE HERBについて言及したあと<自分もそういう新しいことをやりたいと思ってバンドを始めた>*2と言っている。この「新しいことをやりたい」という考え方はインタビューの節々で出てくる。であれば、自身の好みの、自分が聴きたい音楽に対する差別化、すなわち“外す”ものとして、新しさを付与するものとして「おもろいやん」を実施しているとも取れる。

新しいものへの追及は、嫌悪感としても提示されている*6

リーダー:日本でもそういうサウンド(筆者注:記者が“オリジナリティーのある音楽”として引き合いに出したダブステップやチルウェイブ)を取り入れて音楽を作る人はいっぱいいると思うんですけど、メディアやお店がそれを取り上げて「海外とシンクロしてる」って日本を誇るように書いてるのを見ると、「は?」って感じで。「同時多発ではないやん」って思うんですよ。ロッテとロッチみたいな。

リーダー:そのメディアやお店のポップを見て、「俺もこれ取り入れな」って思うやつがいっぱいおんのやろうな。

このように、洋楽を後追いするだけのミュージシャンや、それを持ち上げて評価するメディアに対して厳しい態度を取っている。彼の新しさへの強いこだわりが感じられる。そして、こうしたシーンに対して一石を投じたいとも考えているようだ。

リーダー:わかりやすく言うと、「変えたい」と思ってるんです。昔はMOGWAIみたいなインストバンドがビルボードの1位になったら面白いなって思ってて、でも今ああいうバンドでめっちゃ売れてる人もいるから、今度はスカムと言われてたバンドが1位を取る瞬間をお見せしたいなって思いますよ。*5

彼の「自分の聴きたい音楽を作る」というのは、ただVAMPILLIAがそうありたいというだけでなく、シーン全体を自分の聴きたい面白い音楽が生まれるようなものへと変えていきたいということなのだろう。

そうした強い志を持っているのであれば、その評価基準に従って彼らの音楽を聴くことはそれなりに妥当だろう。

VAMPILLIAの新しさ

オーケストラとブラックメタルを合わせて「おもろいやん」で外す音楽と言うのは他にはない。そういう意味では彼らの音楽は新しい。しかし、その新しさは、思ったよりも“新しさ”を感じさせない。それはなぜだろうか。

前述の通り彼らの基盤となっている音楽は、シューゲイズブラックのシューゲイザー部分をオーケストラに、あるいはポストロックバンドのバースト部分をブラックメタルに置き換えた、それらの亜種とも言えるものである。それとも夢中夢の雰囲気違いとしてもいい。これが“新しい”かどうかは個々人の判断によるところだが、ともかくある程度我々が類似作品を想起でき、その構造を把握できる程度にはポピュラーであることは事実だ。そしてそのポピュラーな作風を、本来その要素が含まない、冗談のような要素で外す。

なるほど、これはパロディに近い構造になっている。もちろんパロディそのものではないにしろ、人を食ったような歌唱や何語かわからない語りが異物として上述の音楽性を相対化しており、そのことがパロディ様に働いているのだ。

そして、パロディは、決してオリジナルにはなれない。パロディの雰囲気をまとっていては、“新しい”という印象を与えることはできない。

融合しない「おもろいやん」

既存のある音楽に、それまでその音楽にはあり得なかったようなものを混ぜたとき、しばしば融合という言葉が使われる。それではなぜ彼らは“融合”ではなく“パロディ”になってしまったのだろうか。

ひとつは異物として働いているものが、突き詰めると音楽的な要素ではないからだ。まっさかサマーはダジャレだし、ゲップはゲップだ。スキャットなどはスキャットそれ自体としてではなく、それがふざけたようなものとして使われていることが異物感の肝になっている。

もうひとつは、そうした要素が通常の文脈を外すような形で使われているからだ。非音楽的な異物の場の支配力は低く、作品にアヴァンギャルド――何が飛び出して来てもおかしくないという統一感を持たせるほどにはならないし、ひとつの音楽的要素として他のジャンルと溶け合うこともない。結果、ポストクラシカル/ポストロックの流れで異物は異物として働く。そしてその異物の「おもろさ」がために、全体がパロディ然としてしまう。

例えばスウィングとメタルを融合させたDIABLO SWING ORCHESTRAは、スウィングの軽快さがうまく働いて冗談のような要素も文脈に沿った“異物”として機能している。(最も、彼らは特に新しさを志向していないと思うので、この評価基準に従う意味はあまりないかもしれないが)

もちろん、「なんでそんなものを混ぜてしまったんだ」という驚きと感動はあるだろう。しかし、それが新規性に繋がるかと言われると、果たして疑問である。

ちなみに、『my beautiful twisted nightmares in aurora rainbow darkness』はこうした異物感が全体的に薄い。異物感のないVAMPILLIAは、前述した理由によって、それほど新しいものではない。

VAMPILLIAと日本と海外と

<僕らが最初に「ヴォォォ」をポップスにしたいという気持ちはあったんですよね。>*7とリーダーは過去形で語っている。さて、世界志向の彼らには関係のない話かもしれないが、現代日本において「ヴォォォ」はかなりポップスに近づいている。その立役者は、やはりマキシマムザホルモンだろう。中高生の駄目心を握る歌詞とラウドで軽快でかつセンチメンタルな曲で人気を上げた彼らは、音楽的にもどんどん成長して今や日本ラウドロック界の超人気バンドとなった。ジャンルは全く違うものの、本人たちの「おもしろくね?」というノリで行われる悪ふざけと感傷とが結びついているという点でVAMPILLIAと彼らは共通しているところがあるだろう。彼らのほうが圧倒的に下品だけど。

マキシマムザホルモンの活躍で中高生にデスボイスという概念が広く浸透したことで、スクリーム程度ならお茶の間で流れるようになった。また、ボーカロイドが若者に受けまくり、ドラマ『あまちゃん』の大ヒットの影響とはいえ大友良英が紅白歌合戦でギターノイズを披露したり「題名のない音楽会」でノイズミュージックを流しまくったりしている現状、「ヴォォォ」以上の得体の知れないものがポピュラーになってもおかしくはない。あるいは、CDが売れなくなって既存の音楽販売システムが崩壊しそうだが、それは日本のポップスという概念そのものが変わる兆しではないだろうか。国内の音楽は、確実にカオスな方向へと進んでいる。

さらに、欧米で大旋風を巻き起こしているBABYMETAL。今度彼女らは世界のポップ界で一線を張っているLADY GAGAのアメリカ公演のサポートを行う。一過性のものかもしれないが、それでもBABYMETALは現代の世界のポップスに、今までにないものとして確実に影響を与えている。そして彼女らは、日本のアイドル文化なくしては決して生まれなかった。(彼女らに関しては割と長い文章を書いたので興味のある方はどうぞ

それでは、VAMPILLIAはどうか。

海外のユーザー投稿型サイトrateyoumusicでは全作品平均で3弱程度だし、SputnikMusicではそもそも評価数が少ない。内訳が賛否両論ならば影響力は高いとも言えるが、そういう訳でもない。また、各種メディアのレビューもこれと言って見かけない。こうなると、おそらくJARBOEとの共作ノイズドローンアンビエント『Alchemic Heart』がPitchforkで8点だったことを受けての<海外でも高い評価を集める>*8という文句も疑わしいくらいだ。ともかく事実として、少なくとも現時点の彼らには、世界を相手にできるほどの影響力はない。

高い志か、音楽マニアのサダメか

厳しいことを言ったが、彼ら自身が示している判断基準である新規性やポップスへの影響、海外志向といった面を考慮せずに聴けばちゃんと楽しめる。ここまで挙げてきたようなミュージシャンの他、KAYO DOTやSIGHなどのアヴァンギャルドメタルが好きなひとでもきっと気に入るだろう。

それでも。色んなジャンルが混ぜこぜになったらおもしろいからどんどんヤレ、と普段から言っている私なので、似たような考え方を持って活動している彼らには大きな期待を抱いている。その高い志を体現するには、彼らはまだまだハジケ足りないとしか思えない。帰宅部は帰宅部だけで盛り上がる帰宅部でしかないのか、それともアニメや漫画のように、その動きが世界を変えることになるのか、はてさて。

余談だが、リーダーの発言や考え方は、その多くが脚色されているだろうことを差し引いても、なんだかすごくインディ系音楽マニア的だなあと感じた。世の中は自分が聴きたいような音楽はあまりなくて、日本より海外が優れていて、今の退屈な音楽界を変えてやりたいとか、そういう世間一般と洋楽に対してコンプレックスを抱いた、そんな音楽マニア。だとすれば高い志に見えたものも、ただのルサンチマンだったのかもしれない。

いずれにせよ、今後も注目していきたい存在であることは確かである。

ライブ

彼らのライブはかなり評判が高い。ただ、レポートから伺えるその良さは音楽作品にはあまり反映されてないように思える。また、あいにく私はライブにあまり興味がないので、現場から見た彼らの評価は他の方にまかせることにする。

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投稿日:2014年07月04日