歌詞の書き方:簡単に豊かな感情を描ける町田康の作詞術

敬称略。ナインティナインに、町田町蔵(以下現在の名前の町田康と表記)が作詞術を教えるという番組がシェアされていました。

これが本当に参考になりました。どう参考になったか書いていきます。作詞に困っているひとや、なんとなく自分の歌詞が稚拙な気がするひとに、きっと役に立つと思います。

3つを守るだけで簡単に詞が書ける

核となる考え方は以下の3つ。

(1) サビから書け(ホワイトボードの真ん中に書く)
(2) 体言止めを使え
(3) 論理より錯乱

これらはすべて、歌詞に広がりを持たせるために行われています。真ん中に書くことで全体の広がりが、体言止めを使うことで部分の広がりが、論理より錯乱を取ることで接続の広がりが、それぞれ生まれます。

この広がりが、豊かな感情表現につながっていきます。

といっても、この広がりは、初心者にとってはかえって悩みの種にもなります。町田のナインティナインへの具体的な指示は、この点を解決しています。

簡単に書くと2点。

(A) いまの気持ちを書く(+大事なことなので繰り返す)
(B) いま見たことを書く(+なるべくイメージはばらけさせる)

これだけです。以下詳しく説明していきます。

町田の具体的な指示で簡単にできあがる歌詞

町田はまず、ホワイトボードの真ん中にいまのナインティナインの気持ちを書かせました

うるさいんじゃ×4
緊張してるんちゃうんか

悩むことなくすぐ出てきますね。

その後、町田は「うるさいんじゃは頭で考えたことなので、つぎはもっと目で見えたことを書く」という意味のことをいって、ナインティナインに今の風景を語らせます

こじんまりとしたビリヤード場
知らず知らずにビリヤード場

うるさいんじゃ
緊張してるんちゃうんか

これも見たものを書くだけなので、簡単に出てきますね。

最後に「ビリヤード場は人工のものなので、自然のもの(天気とか)を書く」と付け加えます。

こじんまりとしたビリヤード場
知らず知らずにビリヤード場
雨が降っている

うるさいんじゃ×4
緊張してるんちゃうんか

これで歌詞が完成です。表現は粗いですが、リアリティのある内容になっています。

気持ち+見たもの=リアリティ

気持ちを最初+真ん中に書くことで、「感情」が詞の核になります。感情がこもった歌詞のほうが、聴き手の心は動きやすいです。また、作詞者は「自分の歌詞は自分の気持ちをきちんと表現している」と感じやすくなり、自分の詞への満足度が高くなるでしょう。(ここで「何度も繰り返す」とも助言しています。詞を無理矢理ひねりだすくらいなら、核感情を繰り返したほうが伝わるでしょうし、何より作詞が楽になります)

そして、次に見たものを書く。具体的景色が感情に繋がるだけで、ぐっとリアリティが増します。そして、こじんまりから連想される寂しい感じ、知らず知らずから連想される無意識行動、ビリヤード場の物静かな印象、雨のじめじめした感覚が統合されて「うるさいんじゃ」という言葉に宿り、「うるさいんじゃ」が多層的な感情──今回の場合は繰り返す日常への苛立ちのような感情を放つようになります。

これがたとえば「人がぎゅうぎゅうの海水浴場」でも「澄み渡る青い空」でもなんでも、「うるさいんじゃ」という感情があれば、そこには何らかの感情的つながりが生まれます。これがこのやり方のすごいところです。

また、「見たものを書く」ときに、無意識レベルでそのひとの「うるさいんじゃ」という気持ちを反映するような対象を選ぶのではないかとおもいます。選びとる対象と感情の組み合わせで、そのひとの個性が出るでしょう。

歌詞は錯乱的でもイメージと音でつながる

しかし、矢部は「雨が降っている」→「うるさいんじゃ」という部分で「どうつながってんねん」と町田に突っ込んでいます。おそらく矢部のような感覚をもつひとは少なくないでしょう。それに対し、町田は「論理より錯乱」と返します。

ここが100回唱えたいくらい重要です。町田は錯乱といったものの、この詞は、たしかに文章としてはつながっていませんが、前述したように、イメージと感情というレベルでしっかりつながっています。さらに、歌詞の場合は曲やメロディがイメージを引っ張ってくれます。この程度のつながりでも、お釣りがくるぐらいまとまりがでます。わざわざ論理的にする必要がないのです。

ここに下手に論理を混ぜると感情に広がりと深みがなくなります。

論理と錯乱を具体例でくらべる

例として適当に書いてみました。(例として書いたので、最近の時世を反映しただけで、私の個人的感情は含まれていません)

SNSで怒っているやつら
細かいことですぐ炎上させる
くだらない

開きっぱなしのSNS
できあがったカップラーメン
くだらない

前者は論理的な歌詞。後者は錯乱的な歌詞です。前者はSNSへの苛立ちのみが表現されていますが、後者は「できあがったカップラーメン」という一節が入ることで、SNSへの苛立ちに、自分の寂しい日常生活への鬱憤が加わるのです。つまり、感情が多層的になるのです

もちろん、SNS批判が主題なら、前者でも構いません。しかし一般的には、ある表現の背景となるさまざまな感情が読み取れるような歌詞のほうが、豊かといえるでしょう。

このように、町田の作詞方法は、簡単で、かつ豊かな感情を描く、とても優れたものだとおもいます。この方法で書いた歌詞をベースに言葉や表現を置き換え、洗練させて、自分のイメージにあうものにするのが、詞に慣れていない初心者にとって間違いないやり方なんじゃないでしょうか。

もっとも、歌詞の種類はこれだけでなく、感情をまったく描かないようなものや、筋肉少女帯やBump Of Chickenのような物語系のものもあり、そういったものを書きたい場合には使えませんが……

文芸とポップスでは詞の評価基準が異なる場合も

町田康の方法論で書かれた詞は、素人が普通に書いた詞と比べれば、確実に詞としての出来はよくなります。しかし、それは町田のいるフィールド(文芸)での話で、広義のポップスフィールドとなると話は変わってきます

表現としての奥深さよりも、意味や思想を重視するひとが少なくないからです。

後輩のELLEGARDENの「Missing」に対する反応を例に出します。

ソーダの中の宝石 入っていなかった金貨
たやすく折れたナイフ 羽の付いた髪飾り
一滴の水で泳ぐ 勝算みたいなもの
あたたかい毛布も 大切なんだ

無関係なイメージを羅列することで、何となく聴き手に一定の感情を想起させるタイプの錯乱歌詞です。これに私の後輩は「こういう詞、意味がわからなくて嫌いなんすよ!!」と言っていました。

後輩までいかなくても、歌詞の意味や思想を重視するひとは結構います。「恋人との別れを歌った曲である」「SNS批判をしている」ということが一番大事で、それがどう表現されているかはあまり気にしない、というひとたちです。そういうひとにとって、錯乱的な歌詞は「意味不明」で、装飾のない論理的歌詞のほうが「意味がある」「思想がわかりやすい」という点で人気でしょう。

文芸的な意味で歌詞の出来をよくすることが、必ずしもポップス的な意味で歌詞の出来がよくなることとはつながっていない、というのが、歌詞の難しいところです。

ともあれ、今回紹介したような具体的な作詞術や、表現技法、語彙などをたくさん身につけること、そしてなにより、表現するに足る自らの「核」を日々見つめることが、よい歌詞を書く近道なのだとおもいます。


(最高の錯乱系歌詞曲)

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