the GazettEを振り返る:第2回「『NIL』『STACKED RUBBISH』『DIM』~意識・実力・環境の変化とその影響~」

1. はじめに

00年代ネオヴィジュアル系四天王として売り出され、 その音楽性からシーンで最も話題を集め、そしておそらくもっとも“売れている”のがthe GazettEです。彼らの音楽性を知ることは、00年代以降のヴィジュアル系シーンを知ることに繋がります。

8月の新作『DOGMA』発売を機にこれまでの彼らの音楽性を見ていこうという連載の第2回目です。えっ『NINTH』? 知らない子ですね……

前回記事→the GazettEを振り返る:第1回「結成初期から『Disorder』まで ~10年早い浮世絵化とポスト・インターネット~」

※2019年6月8日:誤字・表現修正、涼平インタビュー引用追加

2. 三行で

  • 意識・実力・環境がそろった自然なメジャー化がみえる『NIL』
  • 商業主義を乗りこえた名盤『STACKED RUBBISH』
  • 音は順当に、しかし精神的に落ちながら「深み」を表現した『DIM』

3. ガゼットからthe GazettE:やんちゃ→スタイリッシュ

1stアルバム『Disorder』のあと、彼らは『reila』、『蝦蟇』、『Cassis』と3枚のシングル/ミニアルバムを発売し、2006年に2ndアルバム『NIL』を完成させました。『Cassis』から作品がキングレコードによるメジャー流通(正確にはPS COMPANYのレーベルがキングレコード内にできた)になり、『NIL』からバンド名表記が大日本異端芸者「ガゼット」からthe GazettEへと変わりました。この頃から、音楽性にも変化が見られました。

第1回で書いたとおり、初期ガゼットは、以下の3要素が軸となっていました。

  • 洋楽(ほぼニューメタルと同義)
  • ロックンロール
  • 昭和歌謡メロディ

そして、そこにさらにいろんな要素を、ある種軽薄な態度でごちゃごちゃに混ぜた音楽性が特徴でした。

それがどのように変化したのかを見ていきます。

(1) 洋楽:さらに顕著にラップ/ニューメタル化

初期の彼らの“洋楽”は、DIR EN GREYを通して見た洋楽という側面がありましたが、このころからもっと直接的にニューメタルを参照するようになりました。あるいはそれを表現できるだけの技術が身についたということかもしれません。

『reila』の「赫い鼓動」のリフにはSLIPKNOTからの影響が感じとれますが、さらにわかりやすく洋楽化しているのが『蝦蟇』収録の「COCKROACH」です。2音半下げのチューニングで繰り出されるリフの構成や、コーラスを被せるタイミングなどから来るアタック感によって、明確にニューメタル的なグルーヴ感が増しています。ベースの露骨なスラップ奏法も同様です。

グルーヴ感という点で言えば『NIL』の「Maggots」もわかりやすいでしょう。力強い四つ打ちと重低音リフにおける一体感。ハーコーなツーステ感に定評があるSiMの初期代表曲「Killing Me」(2011)とリフが似ていることからも、その縦ノリの強力さがうかがえます。

振り回すように使われていた低音が、グルーヴを意識したものになり、全体的に音が引き締まりました。

ちなみに「COCKROACH」はDIR EN GREY「CLEVER SLEAZOID」よりも先に、「Maggots」は「Agitated Screams of Maggots」よりも先に発表されておりますが、彼らの虫に対する関心の高さはムックの魚を溺れさせたい執着なみのものを感じます。

(2) ロックンロール:アッパーなドライブ感の減少

ロックンロール的な曲は曲数自体が少なくなったほか、ロックンロール的なアッパーな雰囲気も減退しました。

たとえば『Disorder』までは「Maximum Impulse」「SxDxR」といったマジヤベェくらいにマジハイテンションな曲=ワル観の強い曲が多くありました。しかし『reila』以降は、それよりも影のある雰囲気が前に出てきています。単純なメロディやコードの変化もありますし、無茶苦茶な高速カッティングや振り回すような重低音が目的意識のあるそれになったのも大きいでしょう。

わかりやすい曲は『NIL』収録の「SILLY GOD DISCO」。ホーン音源やワウカッティングが登場するディスコファンク風の曲なのですが、アゲポヨ↑↑感はなく、少し気怠さを感じさせる内容になっています。

(3) 歌謡風メロディ:より普遍的なメロディへ

この気怠さは、昭和歌謡メロディにおいても前に出てきています。『Disorder』の「ザクロ型の憂鬱」と『NIL』の「生暖かい雨とざらついた情熱」を聴き比べるとわかりやすいでしょう。両方とも跳ねるようなシャッフルビートを用いた昭和歌謡風ヴィジュアルロックですが、前者はセンチメンタルな歌謡メロディが主体となっているのに対し、後者はメロディも演奏もいなたい雰囲気に沿って繰り広げられており、より昭和歌謡然としています。簡単に言うと、大人びました。

また、単純に歌謡メロディの量は減りました。代わりに目立つようになったのがJ-Pop的なバラード、あるいはそれに準じたメロディです。 『Disorder』と『NIL』のあいだに「reila」と「Cassis」というふたつの非歌謡バラードがシングルとして出ていることからもその傾向は伺えます。

昭和歌謡メロディが担っていた切なさを、より普遍的なメロディやアレンジで表現するようになったというところでしょう。

ボーカルスタイルの変化

メロディの変化にともなって、ボーカル表現も変化しました。

RUKIは『NIL』発売時のインタビューで今回シャウトの仕方を変えたっていうのと、あとなるべく低い声を使う、っていうのが自分としてはありましたね(『SHOXX FiLE the GazettE Edition.1 2003-2007』 (2011)、音楽専科社、195ページ)と答えています。

そのとおり、若々しい鼻詰まり声はほとんど使われなくなりました。また、変声やロックンロール風のガナりもほとんど使っていません。

歌詞の変化

メロディにのる歌詞も変化しました。「マジヤベェくらいにマジハイテンションだ」(「Maximum impulse」)といったマジヤベェくらいにマジハイテンションでないと書けない歌詞や、自殺や心中などの破滅的な歌詞、ストーカー行為などの猟奇的な歌詞は減り、「約束だよ!指きりげんまん」(「7月8日」)といった口語表現もなくなりました。かわりに、何を歌っているかすこし考える必要がある、抽象的な表現の歌詞が増えています。

この変化は意図されたものです。

この『reila』から、詞に関して考え方が変わったんです。それまでは作文調というか、話の最初から最後までを細かく表現して書いてたんですけど、『reila』からは話の核の部分だけを書くようになったというか。(『FOOL’S MATE』2006年1月号、40ページ)

これによって、聴き手の歌詞解釈の幅が広がりました。その例として「Nausea & Shudder」をあげます。

群れをなして西へ向かう鳥はやがて孤独を知る
そして痩せた羽根を見て言った 「そこには望む全てがあるのかい?」
(「Nausea & Shudder」)

これは、彼らがメジャーになった状況をあらわしたものだと取ることもできますが、それ以外の取りかたもできます。たとえば、進路に悩む受験生やスーツを着て毎日満員電車に揺られるサラリーマンなどは、「自分のことだ」と感情移入できる表現でもあります。

つまり、より広い層に歌詞が届くようになったといえます。

また、恋愛詞は、表現こそ平易なままですが、直情的な「会いたい」「さみしい」感が薄れ、もう少し複雑な愛情表現が見え隠れするようになりました。歌詞世界の主人公が精神的に成長したことも、彼らの歌詞の射程が広くなったといえる要因のひとつです。

(4) やんちゃ→スタイリッシュ

以上のような変化によって、彼らの曲から受ける印象は変わりました。依然としてそのチャラさはあるものの、全体的に落ち着きが出てきたのです。“やんちゃ”が“スタイリッシュ”になったという感じでしょうか。

RUKIは『Cassis』発売時に自分が聴いて面白いと思ったフレーズは、すべて無理矢理入れてた部分もあったりしたんですよ(『FOOL’S MATE』2006年1月号、40ページ)と語っています。数ある要素を意識してまとめだしたのがこのころなのでしょう。ジャンル闇鍋的な魅力は薄れ、かわりにロックバンドとしての芯が表れはじめました。

4. 意識・実力・環境がそろった自然なメジャー化

RUKIはこういっています。

ヴィジュアル系のバンドを好きな子が好きそうな歌詞を、意識的に書こうとしてたかも。計算してたっていうかね。(中略)それは、曲も同じ。でも、それが、バンドを続けていく中で、だんだん狙わなくなっていった。(『ROCK AND READ 033』27ページ)

ガゼット時代の彼らは、たしかに当時流行のヴィジュアル系バンドという感じでした。それがこの時期から普遍的になり、バンドとしての練度も高まっていきました。その変化は、ちょうどメジャーになる時期と重なっています。

当時、彼らがキングレコード内レーベル流通になったことは大々的には扱われなかったように記憶しています。本人たちからはだからガゼットがメジャーデビューというわけではありません(『FOOL’S MATE』2005年12月号、47ページ)と、逆にインディーズであることを強調しているかのような発言が飛びだしています。

これは、そもそもPS COMPANYのレーベルがキングレコードの中にできる、というややこしいメジャー化だったこともあるでしょうし、また、脱ヴィジュ=音楽性や見た目がヴィジュアル系っぽくなくなる兆候だと受けとられて、既存のファンが離れることを嫌った事務所の戦略かもしれません。音楽性、呼称、ロゴが変わり、さらにメジャー化したとなれば「ガゼゎ変わった……我も変わらねばならぬ」と十代ファンの社会適応をうながす結果に繋がっても何らおかしくはなかったでしょう。

ともかく、彼らのメジャーデビューは、大々的に扱われませんでした。そして、彼らの意識変化と音楽的変化は、メジャーデビュー時期と重なってはいますが、メジャーデビュー以前から始まっていました。

つまり、彼らのメジャー化は、バンドの成長とともに極めて自然な変化として行われた、ということです。意識/実力が環境に追いつかずにメジャー・ハイになって自分を見失うこともなく、逆に環境が意識/実力に追いつかずに焦って自分を見失うこともなく、両者がしっかり並行して大きくなっていった。

それは、バンドだけではありません。ファンもまた、自分の愛するバンドが順当に成長し、評価され、仲間たちが増えていくなかで、見識と愛を深めていくことができたでしょう。

こうしたことが、彼らがシーンを代表するバンドへと成長した理由のひとつであり、いまなお強固なファンベースを獲得しつづける理由のひとつであることは間違いないとおもいます。

ちなみに、ガゼットよりちょいまえ~同時期に頭角を表したシドは、昭和歌謡的な要素を得意としていたバンドが多いです。メリー、ムック、シド……このうちムックやシドはガゼットと同じように音楽性を広げファンを大幅に増やしていったわけで、00年代を語るうえで、この昭和歌謡とメジャーデビューというキーワードでまとめると何かみえるものがあるかもしれません。歴史に詳しいひとによろしく。

5. 音楽・精神ともに「超えた」『STACKED RUBBISH』

『NIL』で芽生えた成長の意識。それによるスタイリッシュ化。それを習熟させて完成さえたのが、メ ジャー流通化、自身初の武道館単独ライブ、ゴールデンタイム放映音楽番組への出演などで認知と人気を高めていったあとに発売された『STACKED RUBBISH』です。本作は音楽的にだけでなく、精神的にも何かを「超えた」ことがわかる作品になっており、the GazettE、ひいては00年代を語るうえでもっとも重要な作品のひとつだと考えています。

これまでの洋楽志向、昭和歌謡メロディ、ロックンロール三本柱のうち洋楽志向をピックアップし、そこにふくまれるR&Bやヒップホップといった非ロックなアメリカンチャート要素を成熟させた――本作を端的に説明するとそうなります。

全体的にきらびやかなアレンジが目立つものの、どこか影のあるのも特徴でしょう。

本作のトピックはいくつかあげられますが、まずはサウンド面での躍進(グルーヴ感の向上、新しい重低音の形、ラップメタルとしての側面)をみていきます。そのあとシングル「Hyena」を中心にして、『STACKED RUBBISH』に込められた想いはなんだったのかを考えていきます。

(1) ドラムを中心としたグルーヴ感の向上

本作はサウンド面で大きな成長がみられました。本作はあの伝説的な、ヒップホップやR&Bを多く手がけているマスタリング・エンジニアのトム・コインがマスタリングを手がけています。それだけに、本作のヒップホップ/R&B的な雰囲気を活かしつつ、ラウドロックバンドとしての重さも発揮するような、太くて濡れたかっこいい音質になっています。(もちろん、今はもっとかっこよくなっています)

そして、音がよくなったことでアンサンブルも迫力が増しました。そのカギとなっているのがドラムの変化です。

『NIL』 までは拡散性の高い音でバタバタと跳ねていたのが、芯のある硬質な音で抑揚とタメを効かせるようになっています。結果として「重心をうしろに置きながら跳ねる」という、ヘヴィさとキャッチーさをあわせ持ったドラミングへと変わっています。このドラムが骨格となったことで、ギターやベースをふくむグルーヴ感は『NIL』から飛躍的に向上し、ヒップホップやR&Bといった、リズムやビートが重要なジャンルを取りこむことへの説得力を高めています。

Filth in the Beauty

このドラミングが基礎となったグルーヴがよく表れているのが、シングルでもある「Filth in the Beauty」です。

こ の曲はアレンジャーが作成したR&B調のトラックと、ほとんどひとつの基音で構成されているような単調な重低音リフが骨格として使われています。腰を振るような横ノリのR&Bと、ステップを踏むような縦ノリのラウドミュージックとの結合に、前述したようなドラムの特徴がうまくハマっています。また、ボーカルのRUKIによる声色の使い分けや、R&Bパートでもシンバルを打つドラムの戒の積極性は、トラックとバンドサウンドの境界を薄めるのに大きな役割を果たしています。(MVではメンバーが豪快なO字ヘッドバンギングをしています。縦揺れと横の揺れが合わさっていると考えると、なるほど納得がいきます)

R&B とラウドミュージックという、それなりに珍しい組み合わせであるものの、それほど目新しさや異物感は感じません。それは、常にさまざまな音楽を積極的に取り入れたことで形成された彼らのイメージと、その経験で培ったアレンジ力のたまものでしょう。

さて、 R&B抜きにしても、進歩したグルーヴ感は彼らの大きな武器となっています。

前述したようなリフの特徴は、効果的に重低音とグルーヴを聴かせる即効性を持ちますが、逆に言えば重低音とグルーヴが十分でないと貧弱になってしまうということでもあります。本作の腰を落としたドラムと量感のある低音を出す弦楽器陣のアンサンブルは、こうしたリフによるグルーヴを十分に魅力的にするものです

この曲がシングルであることは、そのことを裏付けています。単純なリフが骨格にあるこの曲を、キャッチーさがモノを言うシングルとして成立させるだけの力――言いかえれば、周囲の人間に「シングルに見合うだけのキャッチーさを持っている」と納得させるだけの力を、彼らは発揮しているということです。

(2) 重低音の新たな形:「千鶴」

重低音という観点では「千鶴」がもっとも注目すべき曲です。

「千鶴」は、ヴィジュアル系の数あるスローテンポ曲の中で屈指の重さを持つ曲です。その重さは、単純な音の低さにも由来しますが、何より「重低音を空間に拡散させるような」その使い方によります。

これまでの彼らのほか、初期ムック、DEATHGAZE、当時のDIR EN GREYなど、低音をモリモリ出そうとしているバンドたちは、皆ギターのアタックを中心とした重さ作りをしていました。あるいは過剰な歪みによって一撃一撃が繋がって、這うような低音になっていました。いずれにせよ、重低音は塊として聴こえました

一方で「千鶴」では、低音が空間となっています。低音の大部分はベースが担っています。ゴリっとしたアタック音のあと、弦が大きく震え続けているような持続的な低音が空間を支配し ます。持続部分はアタック音を巻き込み、結果としてベースは、骨格を担うリフは、空間を覆う低音域の一部として存在します。

ギターも同様です。彼らの得意とするニューメタル的マッスルを感じる刻みはほとんどなく、 空間を表現するような使い方がされています。イントロがもっともわかりやすいでしょう。ベースとともに低音を繰り出したあと、蒸発するように高音域へとスライドしていきます。サビなどでも、歪みの強い平面的な音ではなく、ギュルギュルと渦を巻くような奥行きを感じさせる音になっており、三次元空間の形成に 寄与しています。

LUNA SEAやL’Arc~en~Cielが得意としたギターやシンセによる中~高音域での空間表現は、ウィジュアル系のひとつの音楽的特徴として数えられるで しょう。その手法を、音の洗練さを保ったまま低音域で行い、初めて商業ベースに乗せたのが彼らだということです。これは日本の重低音音楽史において、重要なトピックです。

さて、私は過去に何度か「the GazettEはポストメタルっぽい」と言ったことがあります。それを初めて感じたのがこの曲でした。精神の奥に沈む込むような雰囲気、静から動への劇的 な展開、空間を埋める重低音……それはまさにISIS (バンド) そのものです。小刻みにシンバルを鳴らしながら力強くタムを打ちつけるドラムを聴いたときには、思わず「現代のアーロン・ハリスだ……」とつぶやいてしまいました(※アーロン・ハリスは現代のひとです)。

(3) LIMP BIZKITとthe GazettE

さて、本作はかなり意識的にヒップホップとの融合を狙った曲群「ART DRAWN BY VOMIT」~「AGONY」から始まります。

1 曲目のインストがその手の音楽性なのはこれまでどおりではありますが、女性コーラスとのかけあいやシンセの音色、スクラッチなどその手の音楽の影響がさらに露骨になっています。続く「AGONY」でも「YO! ファプラァイ」、「フォーウwwww」と存分にラップ記号を繰り出しています。

このいわゆるラップメタルな曲は、LIMP BIZKITが参照されていると言ってまちがいないでしょう。

LIMP BIZKITと言えばバカなガキが聴く音楽という偏見…というか事実がある(リンプ・ビズキットの歴史 – 破壊屋ブログ)バンドですが、the GazettEも一部のひとからは、第1回目に書いた理由によって「バカなガキが聴く音楽」という偏見を持たれてしまっており、あるいは、その表現の悪さをならした「成長期の低年齢ファンが多い」という意味ならば、バンド自身が成長期だったこともあって、多少の事実は含んでいたといえます。

洋楽ロックというジャンルではリンプ・ビズキットがバカにされる現象の代表格だ。「俺、洋楽とかロックとか超好き!リンプ・ビズキット聴いているよ」と言うと、洋楽ファンやロックファンからはバカにされる。ちなみに俺はバカにされる側の人間だ。(リンプ・ビズキットの歴史 – 破壊屋ブログ)

以上の文章の洋楽ロックをラウドロックやメタルにして、リンプ・ビズキットをガゼットに置き換えても、腹立たしいことですが当時ならそのまま成り立っていたでしょう。そういう意味でもリンプフォロワーとしての存在感を示しています。

ただし、LIMP BIZKIT「My Generation」のMVに登場するような、タトゥーとタンクトップでダッチワイフを空中に投げる能天気かつ破天荒な “バカなガキ“ 的精神性や、男尊女卑の思想やセルフボースト、外に向いた肉体的暴力が見え隠れするLIMP BIZKITの歌詞、あるいはキャップとハーフパンツというファッションは、世間になじめないものたちの陰鬱な物語を、独自の世界観で描いていたthe GazettEやそのファン、もっといえばヴィジュアル系全体からすると、むしろ敵視してもおかしくないものです。

同じニューメタルでも、内省的な歌詞世界を描くKornや、虚無的な価値観が見え隠れするSLIPKNOTは、精神的にもヴィジュアル系と近いものがあります。彼らが、いまなおヴィジュアル系に強い影響力をもっているのは、こうした精神面もあってのことかもしれません。そして、LIMP BIZKIT影響下の曲が少ないのは、単純にラップがヴィジュアル系的なサウンドと相性が悪いということと同じくらい、彼らの精神性がヴィジュアル系と相性が悪いからかもしれません。

そんななかで、ヴィジュアル系的な空気感と価値観を保ちながら、ヴィジュアル系と相性のよくないLIMP BIZKIT的なノリを実現し、かつそれを注目作の冒頭にもってきたことは、過去の闇鍋的な「おもしろがり」が、新しいことに挑戦する開拓精神になったことを示しているのではないでしょうか。そしてそれを形にする実力と環境が、本作で整った、と。

(4) 「Hyena」にみる『STACKED RUBBISH』に込められた意志

 「Hyena」は、アルバムに収録されたシングルのなかで最後に発売された曲です。そして、この曲こそ、この時期の彼らのアレンジ力の高さはもちろん、精神的な変化がもっともよくあらわれた、『STACKED RUBBISH』の核となる曲です。

最初に楽曲としての特徴を、その後歌詞から読みとける精神性を記していきます。

(4)-1 「Hyena」のサウンド的な「新しさ」

「Hyena」は、当時のテンプレ構成のひとつだった、ひととおり叫んだあとにサビでメロディを聞かせる、対比で両者が活きるタイプの曲(ヴォイヴォイラララ系と呼んでいる)です。ただ、ほかの多くのバンドが、重低音や獣のようなグロウルを駆使した攻撃性と流麗なメロディの対比で、狂気のなかの美しさ的な方向にいっていたなか、彼らは、その構成を持ち前のロックンロール感と接続し、対比構造を活かしながら、アッパーな疾走感をつんのめるような焦燥感や苛立ちへと変換している点で独特です。

これは、つねに焦燥感をかもして全体の雰囲気を牽引するドラミングや、イントロのつまづきながらも走り抜けるようなリフ、ひずみを適度に調整したギター、地声に近いグロウル、英詞と日本語詞の発音の機微、言葉数が多くもつれるようなサビの譜割り、そして圧倒的なメロディの強さなどが作用した結果です。アレンジ力の高さがうかがえます。

また、ニューメタルやメタルコアがほとんどのヴォイヴォイラララ系にロックンロール感を持ち込んだこと自体が、彼らの折衷的な魅力を表しています。サザンロックの要素を取り入れて各地から絶賛されたメタルコア作品Memphis May Fireの『Memphis May Fire』が2007年12月発売で「Hyena」が2007年2月発売だったということは、彼らの「新しさ」を証明するひとつの事実でしょう。

チューニング下げやグロウルの使用など、当時基本的に彼らはヘヴィなバンドのくくりにおり、そのわりにはサウンドが軽かったことで、一部リスナーからは「軽い」「チャラい」といった批判を受けていたと記憶しているのですが、いま振り返ると、彼らの魅力は重さではなくこうした「新しさ」で、だからこそ00年代以降のヴィジュアル系を代表するバンドで居続けることができたのだとおもいます。

(4)-2 「Hyena」の歌詞にみる「本音」と「建前」構造、その意味

次は、この曲に込められた意味について言及していきます。その前に、RUKIの発言を言い訳のように引用しておきます。

聴いてくれる人がどう受け止めてくれようと、そこにいろんな思いを重ねてくれたら、それでいい。(『ROCK AND READ 033』27ページ)

作詞者である彼はいや、自分たちのことを歌っているわけでは全くないんですよ(FOOL’S MATE Vol.305, 2007年3月号, 34ページ)と言っています。一方で、後述するとおり、歌詞にはthe GazettEを思わせる表現が多く、さらにただ、やっぱりこれを歌いたいって思う切っ掛けがあったのも、それは事実だし。(中略)だからね、実はメンバーとか分かる人が見たら「ああ、あのことか!」って、あからさまに分かるフレーズとかも、何個か入ってたりして(『SHOXX FiLE the GazettE Edition.1 2003-2007』、338ページ)とも言っています。これらのことから、この曲は、the GazettE自身が置かれた状況および実体験をきっかけとして、似たような一般的事柄に対して何かしらを述べているものだということができるでしょう。

その“何かしら”の内容はひとつではありません。ここではこの曲に込められた内容を“本音”と“建前”と大きくふたつにわけて考えていきます。

建前

ハイエナに群がられて天狗になっている人物に対する批判です。Please disappear because it is an eyesore(筆者訳:目障りだから消えてくれ)と強めの言葉で攻撃しています。

もちろん、ハイエナそれ自体や、ハイエナの行為に流されて天狗を増長させる消費者に対しても批判的です。節穴半狂乱な餓鬼という言葉にそれは表れています。

ただし、サビの部分ではそれほど強い言葉を使っていません。憂いのあるメロディとその言葉がいっしょになると、対象に対する同情さえ感じます。そう、RUKIが(前略)でもそこまで批判的な歌でもなくて。安易に毒づいた歌詞だとは思って欲しくはないですね(『FOOL’S MATE』2007年3月号, 34ページ)と語っているとおり、この曲はただの批判の歌ではありません。その批判以外の部分が、以下に述べる“本音”になります。

本音

the GazettE――あるいは作詞者のRUKI自身の決意です。インタビューでも(前略) “自分を見失わないためソング”でもあるかな(『FOOL’S MATE』2007年3月号, 34ページ)と語っています。

この曲の歌詞にはthe GazettE自身の環境をおもわせる表現がちりばめられています。飾れば靡く愛は化粧の隠喩でしょうし、君の顔に咲いた声という表現はヴィジュアル系特有の文化である“咲く”行為と結びついているでしょう。また、癖だらけの声ホスト崩れなどヴィジュアル系が批判されるときによく使われるような表現も見られます。それじゃ6は報われねぇだろ?という表現における6は、SIX GUNSと呼ばれることがある彼らのファンを指していると考えてまずまちがいないでしょう。

この曲には、歌詞カードにのっていない部分があります。(NHK『MUSIC JAPAN 真夏の宴』出演時のテロップで明らかに)

ふらつく足 癖だらけの声
顔は立派しかし中身は無ぇ
おだてられ過ぎて麻痺してんだろう?
ホスト崩れの温室野郎
先も見れねぇ策略家の
ケツの下で光る夢には
星屑一つ瞬きはしねぇ
それじゃ6は報われねぇだろ?

この部分は、(1) 曲の始めと終わりに言い聞かせるようにつぶやかれ、(2) 歌詞カードには記載されておらず、(3) 本編の歌詞とは違う文体=口語体で書かれています。

(1) イントロとアウトロへの配置は「この曲の主骨格ではないこと」を、(2) 歌詞カード未記載は「聴き手に伝えるための言葉ではないこと」を、(3) 口語体は「普段の心情に近いこと」をそれぞれ示します。

つまり、メロとサビが建前で、イントロとアウトロが本音という構造になっています。そして、建前がある以上、本音はインタビューなどで詳しく語られることはない。だから作品から読み取るしかない。

メジャーバンドとしての決意

さて、その本音の内容は具体的に何なのでしょうか。それは、いろんなインタビューでRUKIがいっているように、メジャーバンドとしての葛藤でしょう。

彼らの所属するPS COMPANYは広告戦略に長けています。事務所とのやり取りや、また、メジャー以降の環境の変化によって、自分たちの、ひいては世間の多くのバンドの人気が商業的な力に後押しされていることが実感としてわかったのでしょう。そして、音楽を商業的に成立させるには、そうした力が重要だということも。

Migimimi sleep tightのギタリスト涼平は、2006年当時所属していたアヤビエに関して以下のように語っています。

これは恐らく僕らぐらいの若手バンドなら誰でも考えてるとは思うんですけど、最近すごく “自分たちはどうすれば売れるか?” を考えてるバンドが多いと思うんですよ。

現在のヴィジュアル系のマーケットって、沈静化してるじゃないですか。(中略)つまり、今は何をやっても売れる時代ではないんですよ。

僕はヴィジュアル系をやる以上、ある程度タレント化するのは必要不可欠なことだと思うんです。

アヤビエを音楽として成功させるために、まずはビジネスとして成功させなきゃいけないと思ったんです。
(『FOOL’S MATE』2006年1月号、84~85ページ)

インタビューで垣間見える思想や態度としては真逆にしろ、the GazettEも当然こうしたシーン感覚自体は持っていたでしょう。一度商業的に成功し、そして衰退したジャンルにからこそ「売れる」ということに考えがおよぶのは当然です。東京ドームや武道館でのライブは非現実的な夢ではないのです。実際、彼らはLUNA SEAなどと自分たちを比べる発言も頻繁にしています。

『STACKED RUBBISH』というタイトルについて、RUKIはこう語っています。

Filth in the beautyとHyenaを振り返ってみると、そこで表現しているのは確実に自分の中にある物だったと思い当たる部分があって。それは決して必要な物ではなくて、要らないんだけどそれがあるからこそ成り立ってる物でもあった。それが”クズ”とか”ガラクタ”という言葉に結びついたんです。それで調べていく内にRUBBISHという言葉がいいなと(『FOOL’S MATE』2007年8月号、22-23ページ)

広告戦略は音楽活動において必要なものではありませんし、場合によっては邪なものだとさえされます。しかし、一定水準以上の商業性を達成し維持していくには、そうしたハイエナに群がられる環境に身を置くことが求められるのです。(※最近は事情がちょっと変わってきてはいますが)

そのことがわかっているからこそ、単純な批判にはならなかったのでしょう。一見他者に向けられている強い言葉は、実はすでにハイエナに群がられていた自身に対する否定でもあり、サビで聴ける憂いのあるメロディは、やはり自身に向けられているものです。そして、その先にあるのはハイエナ環境の拒絶ではなく、その状況を受け入れ、それでもどうやって自分たちが自分たちらしくあるのかという自問なのです。その問いの答えが、この『STACKED RUBBISH』=積みあげられたゴミなのです。

(5) 「Hyena」のその先としての『STACKED RUBBISH』

彼らがどのような答えを出したのかは、アルバム冒頭部分で示されています。アルバムを再生すると、まるでテレビのチャンネルを次々と変えているかのように収録曲の断片が入れかわり流れます。最後に「Hyena」が流れたのちに導入曲「ART DRAWN BY VOMIT」のイントロドラムがはじまり、テレビを消すような音のあとにRUKIの声が入ります。自分たちが「ハイエナのはたらきによってザッピング的に消費されること」への自己言及と、「テレビを消しても消えない強烈な存在感をもつ」意志を感じさせます。
  
「ART DRAWN BY VOMIT」と続く「AGONY」の歌詞は抽象的なためどのようにも受け取れますが、「Hyena」と照らしあわせると彼らが本作に至る以前の心情が読み 取れます(「Hyena」的に言えば本音は明示されないはずですし)。「AGONY」と「Hyena」の関係は、たとえばcopulation(性交する)という単語に見られます。2015年7月時点でのUta-Netなど各種歌詞サイトに掲載されている彼らの作品において、この単語を確認できたのは 「AGONY」と「Hyena」のみです。これは偶然ではなく意図されたものでしょうし、同一の意味で用いられていると考えられます。

copulationという単語は、「Hyena」ではYour copulation is dirtier than money. と、「AGONY」ではThis is the last copulation. と使われています。前者の文脈からすれば、これはUgly acting and song =節穴や半狂乱な餓鬼が喜ぶような行動を求めること/することを指しているでしょう。であれば、一見すると心中を求める恋人とそれを拒絶するじぶんという内容である「AGONY」は、餌となる行為を求めるハイエナと、それを拒絶するthe GazettEを歌っていると取れるでしょう。ここでのハイエナは一瞬の共鳴以上の深い愛と見返りを求める存在です。となるとPS COMPANYを筆頭とした音楽関係者であると考えるのが妥当でしょう。

周囲から求められる広告戦略への拒絶感をあらわす「AGONY」から、それらを受け入れて、しかし取り込まれずに前へ進もうと「Hyena」で決意する。それは一筋縄ではいかない覚悟です。だからこそ 『STACKED RABBISH』=積み上げられたゴミは、「ART DRAWN OF VOMIT」=吐瀉物で描かれた芸術作品から幕を開けるのです。

この作品はゴミである。ハイエナが群がるゲロ臭いゴミである。死ぬ思いで吐いた決意の塊は、けれどもシャンデリアで嘘くさくに彩られるのである。しかしその醜さは、これからは、安易に使いまわされるものでも、一瞬で消えるようなものでもない。消しても消しても、消えない醜さを放つものである。

(6) 清春のEMI批判とthe GazettEの「その先」

所属レコード会社への批判を歌った先人がいます。当時黒夢のボーカリストだった清春です。彼は「カマキリ」において、東芝EMIを強く批判しています。

EASY MONEY’S ISLAND MESSAGE

Balance 戻せない 痛み 知らない 「脳なしカマキリを燃やせ」
Hate 財的権力 振りかざす 「馬鹿なカマキリを潰せ」
(「カマキリ」より)

EASY MONEY’S ISLANDの頭文字を取るとEMIになります。新宿LOFTでのライブ盤でははっきりと「EMI MESSAGE」と歌っています。ひらひらと 軽やかな君が 獲物にされる 羽を刻まれるという部分から、自分たちのことを「金づるであるファンをおびきよせるもの」としかおもっていないような態度への反発だったのでしょう。

清春が「カマキリ」で歌ったのは金もうけ主義や権力への反発であり、批判でした。対してthe GazettEは、そうしたひとびとの他に、それらに飲まれてしまうひとびとも批判の対象とし、そして自分たちもその中に存在している事実に気付いたうえで、批判を次の行動へと繋げる、自分を見失わないためソングとして「Hyena」を提示しています。

商業的なものとどう向き合うかというのは、音楽家やファンが考えるべきテーマのひとつです。そして、過去に大きく商業的に成立し、それもあって「メジャーにいったら化粧が薄くなった」「メジャーにいったらポップになってつまらなくなった」「メジャーにいったけどあまり売れずに解散してしまった」といった、ファンにとって残念なできごとが起きていたヴィジュアル系では、とくに注目されるテーマでもあります。

そうしたテーマの答えを出し、その後唯我独尊な態度でシーンのトップを独走していったthe GazettE。RUKIが清春を尊敬している点をあわせて、「Hyena」はポスト「カマキリ」であり、ヴィジュアル系の反メジャー主義的な思想を正しく前に進めた好例といえるでしょう


こうした思想には、00年代以降特有の自己客観性も関係しているでしょう。ネオヴィジュアル系四天王の一角ナイトメアにおける仙台貨物の存在や「ナヅキ」のMVやからもわかるように、自己客観性は00年代ヴィジュアル系以降の大きな特徴のひとつです。さらにそれがゴールデンボンバーという存在を生み出すわけですが、話がそれるのでまた別途まとめようとおもいます。

(7) 音楽と精神が高度に一致した名盤

ヒップホップやR&B、ロックンロールなどからくる、派手できらびやかなアレンジが目立つ本作ですが、同時に、『NIL』での落ち着きを通りこして、どこか暗い影を感じる音楽性になっています。シャンデリアでギラギラと照らしているからこそ、一層彼らのメロディや歌詞の影が際立っているといえるかもしれません。

そしてこの音楽性は、前述した彼らの意志に、ぴったりと合致します。だからこそ本作は、話題のヴィジュアル系バンドの最新作、あるいはR&Bやヒップホップを取り込んだ新境地という以上の説得力をもって、我々の心に響くのです。

6. 順当ながら「深み」をみせた『DIM』

前作の2年後、2009年に発売された『DIM』。 ひとことでまとめると「暗く、攻撃的になった『STACKED RUBBISH』」です。RUKIが新しいことには取り組まなかったっていう、あえて(『CDでーた』(2009年 8月号)、24ページ)と言っている通り、サウンドの基本は前作の延長線上にある、彼らにしては順当な作品です。しかし、精神的にはかなりまいっていた時期のようで、それもあってか、かもす雰囲気はかなり異なったものになっています。

以下、注目すべき点を列記していきます。

(1) 「死」というテーマが「深み」をもたらす

本作のテーマは「死」です。それが曲にも反映されています。アルバムの始まりからしてそれは顕著です。陰鬱な小曲から、うつむきがちなミドルテンポの「THE INVISIBLE WALL」で幕を開けます。これまでのヒップホップ調の小曲~高揚感のある曲という展開とは真逆です。「ギョゥウィギョゥウィギョビギョビウェー」、「イートゥーベディーサービアリゴォゥ」、「ヨォ ファプラァイ」が頭にあるひとはさぞ面食らったことでしょう。

それ以降も陰鬱で暗い曲が多く、それにあわせて、音や雰囲気が重くなっています。作品全体としてはきらびやかな印象だった前作になかった「深み」を存分に発揮しています。

この暗い作風は、ローディの死がはじまりだったようですが、さらに信頼してた人からの大きな裏切りによって精神的に悪い状態にあったことも要因のひとつのようです。(『ROCK AND READ 033』19ページ)

このシャンデリアで飾ろうにも暗すぎて光らない重暗さは、以前「Hyena」的環境が続いていることを示してもいるようです。

(2) 『鬼葬』への愛

括弧でくくられた小曲を配置する構成はDIR EN GREY『鬼葬』を思わせます。ただし、歌詞に特に意味はなかった(と本人が言っている)『鬼葬』と比べて、ちゃんと意図があるアルバム構成です。母と子をテーマに扱った「紅蓮」のあとに「「子宮」」が来ているのはわかりやすい点でしょう。すでにあるものを自分たちなりに消化する、彼らの基本姿勢がみえています。

(3) SLIPKNOTへの愛

これまでもSLIPKNOTっぽさを見せてきていた彼らですが、4作目にして突如その愛が暴走しました。「OGRE」が完全に「People = Shit」 です。結成当初からパクりパクりと騒がれつづけながら音楽性を確立した7年にして、影響元の代表曲をパクるとはすごい度胸です。まさに「One more time, motherfucker」というところでしょう。

しかし、サイケデリックな気怠いパートが差し込まれて勢いが失われるのが、とても彼ららしい。突進していたら泥沼でもがき死んでいたような構成は、元ネタとはまったく異なる体験をもたらします。これもいろんなものをドッキングさせて意味わかんないのをやっている(『CDでーた』(2009年 8月号)、23ページ)ということなのでしょう。

(4) まさかのブラストビート

ニューメタル直系サウンドの作品ながら、エクストリーム系メタルのドラミングであるブラストビートを部分的にしろ導入しているのは見逃せません。それこそSLIPKNOTが「People = Shit」でやったこととはいえ、ヴィジュアル系としてはかなり早い。しかも、いわゆるエクストリーム文脈から外れている使いかたにおもえるのがおもしろい。

「OGRE」は元ネタに入ってるからそりゃあ入れるよね、という感じですが、注目したいのはミドルテンポ曲である「THE INVISIBLE WALL」。ボーカル、ギター、重低音、ドラムがつぎつぎに入れ替わる多層的なコール&レスポンス構造がかっこいいこの曲で、ブラストビートがでてくるのは間奏部分。比較的単調なギターリフと、戒のアドリブとおもわれるドラムフィルが交互にあらわれるなかで、一瞬だけアクセントのように登場します。ふつうブラストビートを使うとなったらブラストビートを使っていることがわかるように何小節かつづけるものですが、この曲ではアッという間に終わる。この手のジャンルとしては珍しい使いかたです。ブラストのためのブラストではなく、短い間断を繰り返すアドリブ要求に答えるなかで発露した限界テクニック。これには、戒がニュージャージー生まれでジャズ育ちthe GazettE | 激ロック インタビュー)なこと――両親の影響で幼少のころからジャズを聴いていることが関係しているかもしれません。

ともかく、ことブラストビートにかけてthe GazettEはかなり早い段階で導入しており、しかも使いかたが独特だったことは強調しておきたいところです。

あとこの「THE INVISIBLE WALL」では「みんなもっとモテたくてツイート」という逆空耳が登場します。真理……

8. まとめ

  • 意識・実力・環境がそろった自然なメジャー化がみえる『NIL』
  • 商業主義を乗りこえた名盤『STACKED RUBBISH』
  • 音は順当に、しかし精神的に落ちながら「深み」を表現した『DIM』

この時期に、初期のごちゃごちゃした魅力が変化し、いまの彼らに通じる基礎ができています。ストリーミングにはありませんが(海外企業と提携しているRakuten Musicにだけはある)、通常盤なら安価で買えます。

7. あとがき

というわけで第2回目は終了です。

第1回目で柴さんの浮世絵化説に対して「それガゼットじゃん」と書いたら柴さんが『ヒットの崩壊』でthe GazettEに言及する(発言引用箇所もいっしょ)というミラクルが起きたり、次回作が出たり、第2回目を希望する神があらわれてがぜんやる気がでたり、本当は楽器隊の発言ももっと引用したいし全曲語りたいけどそれをやると流れが悪くなるし本一冊分になってしまいそうだからとりあえず書きあげることを優先すると言い訳をしたり、いろいろありましたが、とにかく書けてよかったです。

ちなみにこの記事は2016年ごろにはほぼ書き終わっていたもので、第3回は完全に白紙。また次のアルバムが出るころにお会いしましょう、ということにならないよう少しずつ書き進めていきたいです。マシュマロをくれ~~~。

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