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Maison book girl『yume』がいつのまにかMetallica『St.anger』になる話

Maison book girlの2018年11月に発売されたアルバム『yume』がとてもよかったので、レビューします。

曲が生み出す「自然な違和感」

彼女らの音楽的な特徴として、変拍子があげられることが多い。たしかに複合拍子やポリメトリックなど、ポップスでは珍しいリズム構成がよくつかわれている。

しかし、それらが変則的や複雑という印象につながらない。あくまで違和感程度で、流れるような自然さがある。そういう印象になるように曲がつくられている。

全楽器がリズムに寄与してリズム性を弱める

流れるような自然さを保つ理由のひとつとして、拍感の弱い楽器が積極的にリズムを引っ張ることがあげられる。

本作では、弦楽器(チェロ?)やマリンバ、ピアノ、アコギといったクラシック/アコースティックな楽器と、手拍子などの装飾的なサンプリング音がつかわれている。

変拍子でポリメトリックな、リズムが取りにくい複雑な拍構成の部分では、そうしたリズム以外の要素が強いパートが、繰り返しや音の力加減、音程移動の調整によってリズム性を増し、リズムを引っぱっている。それらはリズム以外の機能、たとえばメロディやコード、装飾性ももっているので、それらで構成されるリズムは、リズムとしては目立ちにくくなる

そのとき、ふつうならリズムの主役となるドラムのスネアやバス、シンバルは、主役となることを拒否するかのようにせわしなく動いている。また、スネアの音色が、スコーンとした空洞を感じる高音寄りのものなことも、リズム性を弱める一因だろう。

こうした特徴がいちばん出ているのは#2「言選り_」だ。あるいは#8「rooms_」のメロでは、ボーカル+アコギ+ベースとドラムで多層的なリズム構造になっているが、ドラムの音量が低く、前者がリズムの中心になっている。

複雑さを溶け込ませるような曲構成

それ以外にも、複雑さを溶け込ませるような曲構成が目立つ。たとえば#8「rooms_」。この曲では大きな空白やアコギの縦の動きが大々的に取りあげられている。リズムを切るような音、展開が目立つため、複雑なリズムが相対的に意識されにくい。また、変拍子は、間断あるサビをへての間断のないサビへの前走として、解放感にいたる前振りとして機能しており、それ自体が主役になっていないのも大きい。

#14「夢」はドラムが変拍子の主体となっているが、テンポがゆっくりで、ボーカルがリズムをなぞるように歌うので、複雑な印象はない。

こうして、複雑なリズムの部分では、リズム以外の役割を強くもつ音がリズムを引っぱったり、あるいはリズム以外の部分が強くなったりすることによって、複雑な拍感が前面に出ない。

「流れるような複雑なリズム」→「自然な違和感」

すべての要素が変則的なリズムに積極的に寄与しつつも、全体として複雑さを志向しない曲構成が「流れるような複雑なリズム」を生みだす。それは、ボーカルやメロディ、描く世界観を彩る「自然な違和感」として機能する

この違和感。ジェントという変拍子が特徴の音楽ジャンルと比べると特性がわかりやすい。ジェントでは、メロディ性やコード感を排したギターリフやシャウトと、定速シンバル+強烈なスネアという、強力に拍を意識させる音が積極的にリズムに寄与し、複雑さを構成する。メロディ性よりも、テクニック性や音域の移動による複雑性を重視したフレーズが登場することも多い。

複雑であること、技巧的であることが大きな魅力のひとつである点で、同じ変則的なリズムでも、本作とは大きく異なる。

(もちろん、ジェントにも「どうメロディを聴かせるか?」「どうポップさを出すか?」といった観点はある。一般的・根本的な話)

テーマと自然な違和感が密接に関係

自然な違和感は、本作のテーマや体験と密接にかかわっている。

本作は『yume』というタイトルで、歌詞には夢という単語が頻繁に登場する。黒い人たち(「十六歳_」など)のような抽象的な表現がよく出ててきて、たしかに夢世界のような印象を受ける。同時に夢を追いかけた人 (「rooms_」)などの表現からもわかるとおり、全体のテーマとして、ただの寝て見る夢を指しているわけではないし、不思議の国のアリス的な、夢想的な少女世界を描いているわけではない。

歌詞には、生活を感じさせるような単語や、ときに官能的な印象の表現がよく出てくる。#4「狭い物語」や#16「レインコートと首の無い鳥」がわかりやすい。前者は読みようによっては、上京同棲男女物語の終焉だ(Mojim.comで18禁指定されている)

また、全体的に別離、孤独、拒絶を感じさせる内容になっており、夢という観点でいえば、叶わずに夢破れている。

メインアートワークは、しゃがみこんだ、輪郭がぼやけたモノクロの女性らしきひとの顔面に、真っ赤なベッドが重ねられたものになっている。


歌詞とメインアートワークをまとめると、以下のような印象になる。

  • しゃがみこむ → 孤独や拒絶
  • 輪郭がぼやけている → 夢のなかの状態 + 夢破れて自己を喪失しつつある状態
  • 顔面にベッド → 夢は、意識ごとべつの世界に飛ぶものではない。VRゴーグルでみるバーチャルリアリティのような、身体も意識も現実にある夢。

視線を塞ぐ、夢をみる場。現実を覆う非現実。自己を喪失するような、逃避したくなるようなツラい現実を覆う、しかし現実に立脚した夢。

この夢に、リズムが演出する自然な違和感がぴったり合致する。全体で使われる変拍子は複雑さを避け自然に振る舞うが、それでも違和感は残る。違和感は、ぼかされた現実に対する、無意識化の気づきである。

変拍子に寄与しないボーカル→現実的な存在としての主人公

そして、本作のボーカル、すなわち歌詞世界の主人公は、音のなかでゆいいつ複雑なリズム形成に積極的に寄与せず、逆に拍が取りやすくなるような働きをしている。それはたとえば、複雑なリズム構成部分で、音の長さが同じ音符を連続で使うようなメロディを歌う、というような形でなされる。

このボーカルが、夢フィルターを通した世界のなかで、それでもフィルターの手前にいる主人公だけは現実にいる、という事実を暗示する。

こうして音楽とテーマは、深い一致をみせる。

アイドルが歌うことで増す真実味

このテーマと音楽性は、アイドルグループが歌うことで、さらに真実味を増す

アイドルは夢と密接に関係している。夢をあたえる存在だといわれ、ときに恋愛禁止など超人的な行動を求められる。夢のために物語をつくられ、感情移入され、個人の人間性を拡張するような意味づけをされる。

アイドル本人にとっても、アイドルであることは夢なので、期待された夢を実現するために努力する。あるいは、それを放棄して人間性を剥き出しても、その剥き出しに今度はあらたな夢を見出される。

でも、彼女たちは超人ではないし、夢の存在でもない。夢と生活の狭間で悩み、揺れ動くだろう。そしてその揺れ動きさえも、夢は飲み込む。

アイドルがこうした夢システムから逃れるには、アイドルを辞め、世間の目から隠れるしかない。辞めたという事実は夢システムに回収されるが、運がよくその後だれにも掘りかえされなければ、その後の人生はシステムから切り離される。

このシステムと現実と夢の構造は、#20「不思議な風船」で、僕と私と少女という形で暗示されているように、本作に通底するテーマである。あの語りの、そしてあの語りにいたるまでの曲たちの主人公がアイドルであることは、構造的な一致からリアリティを生み、それが翻って、曲の「自然な違和感」の真実味を増していく。

(なお、これは記号としてのアイドルの話なので、本人たちの人間性はまたべつの話。それに、日常の人間性と、作品のなかでの人間性は、必ず一致するわけではない。とはいえ、その部分を知るともっと魅力が増す気はする)

また、ひとりではなく、グループなのも重要だろう。声は現実の人間と結びつく具体的な要素だが、複数人いることで、現実が分散し、抽象性が増す。

メンバーの声質や歌いかたも本作にあっているとおもう。とくに、舌ったらずというか、甘い感じの歌いかたのメンバーがいるが、彼女のボーカルは、夢と現実、少女と人間がつまっていて、本作の魅力を引きあげるひとつの鍵となっているように感じた。

以上のように、本作は、音楽とアルバムテーマと表現者が一体となってひとつの世界観を描いている、トータルとして高い完成度の作品になっている。

日常が溶け込んでいく自然な違和感

その完成度の高さゆえに、本作は、描かれた世界観と同じ感性をもつ聴き手と強く共鳴する。

この音楽世界と聴き手が強く共鳴すると、現実の音をそのまま使ったサンプリングが生々しい素材感のまま頻繁につかわれているとこもあって、現実が「夢化」していく体験が起きる。

たとえば、イヤホンで、洗濯物を干しながら本作を聴いていたとき、外で鳴いていた鳥の声が耳に入りこんだ。私は一瞬それが現実の音なのか作品中の音なのか迷ったが、気にせず作業をつづけた。

そういう風に、音楽体験のなかに現実の生活音が溶け込み、なんとなくの違和感として機能するような、現実をヴァーチャル化するようなアンビエント性が本作にはある。

そして、そのアンビエント性を媒介として、#20「不思議な風船」の主人公が感じたような、日常の心地よさに感じる切なさや、自分の存在の不確かさが、リスナーの日常と心に染み込んでいく。

私は泣いたよ。ベランダで洗濯物干しながら。

夢を追いかけても不安や虚無が拭えないひとや、夢やぶれて日常を過ごすひと、見たくない現実をなんとかやりすごしているひと、自分の存在について「なんなんだ自分って」と違和感をもったことがあるひと。そういうひとたちに聴いてほしい。染みこむとおもいます。

『yume』=『St. Anger』説

本作では、ドラムの音に特徴があることは話した。スコーンという、空洞感のあるスネアがけたたましく鳴り響く。ときには高速ツービートを披露するなど、曲の強度を引きあげるような働きをする。そういう強度は、私のようなバンド耳のリスナーを惹きつける要因のひとつかもしれない。

さて、このドラムを聴いて、98.5%(独自調査)のひとが思い出すのがMetallica『St. Anger』である。

『St. Anger』では、スコーンという音の、特徴的なスネアがつかわれている。ドラマーのラーズがチューニングし忘れたことがきっかけということからもわかるとおり、ハプニング的で粗野な音だ。そのため、ファンから強く批判されたり、ネタにされたりすることも多い。それくらい強烈な印象をのこす特徴なのだ。それが『yume』では、非現実感と、逃れられない現実の騒がしさに寄与している。

さて、Metallicaは、変拍子を得意とするバンドである。彼らの初期の代表曲「Master of Puppets」のリフは、4/4に5/8と6/8のあいだみたいなリズムが入りこむ、妙に引っかかる、しかしキャッチーさをもつ曲だ。そして「St. Anger」も、4/4と3/4、2/4が頻繁に入れ替わるイントロからはじまり、シンコペーションを多用しながら、サビで高速ツービートで疾走する変拍子曲である。そう、まさに『yume』的リズムであり、「狭い物語」の展開そのものなのである。ちなみに「rooms_」のドラムは「Frantic」だ。

『St. Anger』は夢と現実とシステムの作品、すなわち『yume』である。

メタルバンドとして商業的大成功を収めたMetallicaだったが、本作を制作していた時期には、バンド内の確執とメンバーの脱退、アルコール依存症、ナップスター裁判などで疲弊していた。その様子はドキュメンタリー『Some Kind of Monster』に収録されており、『St. Anger』は、そうした栄光と挫折をへて出された復活作であることがわかる。言いかえれば、そういう物語を付与された作品であることがわかる。

そう、この作品には、メタルバンドの夢と現実と、それを包み込むシステムがある。まさに『yume』である

ボーカリストのジェイムズはアルコール依存症のリハビリ体験を本当に足元で地面が揺れてる感じで、安定してないんだ。いつも地震が起きてる様だった。自分が何をしてるのか、どこに行こうとしてるのか全くわからなかった (引用元)と語っている。そういう意味でも『yume』である。

Metallicaというブランドの服が流行っていることだし、彼女らのグループ名の頭文字はMだし、もうラウドパーク2020に出演して、Metallicaフォントグッズでも発売したらいいんじゃないでしょうか!???

余談だが、Silent Sirenもスコーンスネアを採用している。

ミュートリフがスラッシーだし、この跳ねるリズムは完全に「Dirty Window」だし、スタジオライブ感は完全に特典DVD映像。

もしかして『St. Anger』はアイドル/ガールズ界で絶大な影響力をもっているのでは……? 情報お待ちしております。

異端のメタルバンドMetallicaと異端のアイドルであるMaison book girl

『St. Anger』までのMetallicaは、新しいことや変わったことに挑戦する、ある種の異端さをもっていた。

変拍子はもちろん、『…And Justice For All』の聴こえないベース音もそうだし、『S&M』という作品ではサンフランシスコ交響楽団とオーケストラとメタルの融合を模索している。また、『Metallica』で脱スラッシュをしてファンをがっかりさせたり、『Load』という地味な作品を出してファンをがっかりさせたり、『St. Anger』でスネアの音や作風を変化でファンをがっかりさせたり、それまでの路線をなぞるのを避けているようだった。

そして、その姿勢で彼らは商業的に成功を収めた。ファンをがっかりさせると同時に、新たなファンを熱狂させたのだ。彼らに限らず、こうしたチャレンジングな姿勢をもつミュージシャンが、偉大なミュージシャンとして後世に影響を残しているように感じる。

Maison book girlは、変拍子やメンバーを押し出さないヴィジュアルイメージなどを例に、NHK『シブヤノオト』では異端のアイドルとして紹介されていたようだ。そうした彼女らの異端さは、アイドルの枠を広げるのだろう。

それが商業的成功に結びつくかどうかはわからない。ただ、その姿勢と音楽的完成度によって、いままでアイドルに興味をもっていなかったひとも巻き込み、成長を続け、さらに枠を広げていくのだろう。我々を夢で魅了しながら。彼女らが夢を逃れる、そのときまで。

……

なお、今回の記事を書くにあたって、関連サイトやインタビューは読んでおらず、過去作の振り返りもしておりません。作曲者やメンバーのかたがたの人間性もわかっていません。曲とメインアートワークと歌詞サイトのみの情報で書いています。そのあたりを知り、さらに深く吟味すれば、もっとその世界の魅力が深まっていくのでしょう。もっと知りたいな、ぶくにゃんのこと。

『yume』を聴く

この作品を聴いている私はこんな作品を連想しています

本作の現実を拡張するような感覚は、Cornelius『Sensuous』でも感じました。あとはKazuma Kubota『Two of a Kind』。両作品ともサンプリングを積極的に使いつつ、現実にわりと具体的になにかしらリンクする形になっている作品でした。後者は「YUME」みたいな曲をえんえんと聴き続けていたいガチ・アンビエント・パーソンにとくにおすすめ。

現実と非現実の交錯という点では、MAKKENZも近いです。とくに『白くなる時刻』の「crazy_shibuya」に込められた感情は、本作のそれと共通したものがあるでしょう。

あとはやっぱりWorld’s End GirlfriendとVirgin Babylon Records。とくにWorld’s End Girlfriendの初期の作品『Dream’s End Come True』は、夢というワードでも一致します。七尾旅人の詩読が聴ける「all imperfect love song」は、とくに世界観が近いです。

銀貨を口から捻じ込んで
世界の終わりのgirlfriend
君はいない 君はいない 君はいない
今夜も深い夢の中

この曲はね~~~~泣くよね~~~~~

全体の雰囲気としてはPlastic Treeの、とくに『トロイメライ』も連想されました。この作品にも、生活を感じるドリーミーさがあります。「理科室」のイントロの拍が裏返るようなかんじも違和感です。「グライダー」はスコーンスネアですね。彼らにかぎらず、『yume』は、独自の世界観が魅力的なロックバンドに共通する感覚があります。

こういう風にいろんな作品が連想される作品は、聴いていて楽しいです。ほかにも「これ似てるよ」とか「これ好きそう」があれば教えてください。

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