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でかいエドさんの「ロックの余談D」 第1回 『なぜギタリストはステージでチューニングをするのか』を読み狂う

元ネタ記事

紅白歌合戦の記事で世間を騒がせたリアルサウンド。先日そこに掲載された以下の “”リアル”" な記事が話題になりました。

http://realsound.jp/2015/09/post-4537.htmlなぜギタリストはステージでチューニングをするのか 兵庫慎司が“積年の謎”に迫る|Real Sound|リアルサウンド

おもにギタリストのかたがたからの批判的な意見が多いようです。本文に<お詳しい方からの、あるいは当事者であるギタリストからの、異論反論は大歓迎です。>とあるので、私もいちギタリストとして異論反論を書いていきます。

まずは、氏の言い分を整理するところから始めましょう。

狂うの?狂わないの?

チューニングはギターの音の狂いを正す作業です。ステージで音が狂うのであればチューニングをするのは当然ですし、狂わないのであればその行為には別の何らかの理由があるか、あるいは何もないかになります。

氏は、前半ではベテランローディQ氏の<開場後も自分たちローディがステージに行って確認しているので、基本的に必要のない行為>という発言をもとに「ステージ上でわざわざチューニングしなきゃいけないほどには狂わない」前提で話を進めています。

一方で、最後のまとめでは<チューニングの狂わないギターは存在しない>としていて、狂うことになっています。<ライブの始まる時やMCの間にピンピンとチューニングをしている日本のギタリストたちは、そこまでの努力をしてチューニングの狂わないギターを作りだそうとしてはいない>という文章があるので、この<チューニングの狂わないギター>には<ライブの始まる時やMCの間に>という前提がくっついていると考えてよいでしょう。

いったい狂うのか、狂わないのか、どっちなんでしょうか。本稿では氏が「狂うけど、狂わない、狂わせない」という姿勢であると捉え、話を進めていきます。

狂うけど、狂わない、狂わせない

ギターは木でできています。温度や湿気に過敏に反応します。だからチューニングはすぐ狂います。狂うのであればチューニングするのは当然です。でも、氏は気に入らないらしい。

そこで“狂うけど、狂わない、狂わせない”、すなわち「狂うのはギタリストのせいだ」という論を形成しようとします(本文の流れが飛んでいて読み取りにくいですが、改めて再構築するとそんな感じになります)。例として登場するのがベテランローディとスーパーギタリストです。

ベテランローディは、ライブ開始直前のギタリスト本人によるチューニングは意味がないと断言します。なぜならローディが開場後もステージに行って確認しているから。そんな短時間では狂いません。だってベテランローディがしっかり管理しているから。

スーパーギタリストはチューニングしません。なぜならチューニングしなくていいようなギターをスーパーローディといっしょに作り上げるから。すなわちチューニングするギターを使っているのはスーパーではない凡庸なギタリストとスーパーではない凡庸なローディです。

つまり、しかるべき環境を整えていれば、演奏開始からチューニングをしなければならないほど音は狂わない、ということです。この「トップはそこまでやってるんだよね」という話と<ライブの始まる時やMCの間にピンピンとチューニングをしている日本のギタリストたちは、そこまでの努力をしてチューニングの狂わないギターを作りだそうとしてはいない>という発言をあわせると、「おまえらギタリストとしての努力が足りない」という声が聞こえてきます。<ピンピンとチューニングをしている>ってなんか馬鹿にした表現じゃないですか)

しかし、多くのギタリストは意識が低いからそのような努力をしていないわけではないんじゃないでしょうか。単純に労力がかかりすぎるから取捨しているだけか、あるいはその方法がわからないだけなのではないかと。だって海外有名ギタリストのような潤沢な人脈と資金を持っているひとは少ないでしょう。そうした中でスーパーギタリストと同じレベルでチューニングが狂わないようなギターを作るとしたら、それに力を注ぐために、ギタリストに必要な他の多くの部分――たとえば演奏技術の向上なんかが犠牲になるでしょう。

仮に海外有名ギタリストと同じくらいの資源があったとしても、その限られた資源をどのように配分するかを考えたときに、演奏開始前や曲間での念のためのチューニングでひとまず何とかなる<狂ったら直せばいい>部分を、狂ったら直すという単純な方法で解決するのは、ギタリストとしてはむしろ有能とさえ言えるように感じます。(もちろん、チューニングの狂いが致命的になる音楽性であればこの限りではありません)

さらに言えば、スーパーギタリストがチューニングの狂わないようなギターを使っている理由は、客が<演奏スタートを待ってぼーっとSEを聴いて>いる状態を解消するためではないんじゃないでしょうか。ごく単純に満足できる演奏をするためになんじゃないでしょうか。そしてステージ上でチューニングするギタリストも、同じく満足できる演奏をするためにしているんじゃないでしょうか。だとすると、両者は方法は異なるにしろ、手間のかけかたに差はあるけれど、その人ができる範囲で、同じように、同じだけ努力していると言えるんじゃないでしょうか。

もちろん、チューニングを回避しているのは満足する演奏をするため、というのは推測です。ぜひプロのライターである氏に「チューニングしないのは僕たちお客さんを待たせないためですよね?」って聞いてみて欲しいところです。

精神が狂わないためのチューニング

これだけだと、しかるべき環境は整っているけれどわざわざ意味のないチューニングをするギタリストについての説明がつきません。そこで氏は、もうひとつの理由として<「あれをやることで心が落ち着く」「ボーカルがしゃべっている間、手持ち無沙汰にならなくてすむ」>を挙げて<腑に落ち>ています。ただ、そのあとまた文句を言い、さらに、チューニングをするのは<ステージでチューニングをしたいから>という、まるでその行為に何の機微もないかのような表現をして締めています。ぜんぜん腑に落ちてないですね。前半の<つまりその行為も、基本的に意味がない、ということになる。>という文章を撤回していないので、やはりそうした理由でチューニングをするのは意味がないと考えているのでしょう。

なぜギタリストは、チューニング本来の意味を成さないかもしれないチューニングでさえも“したい”のか。根底には、やはりよりよい演奏をしたいという考えがあるんじゃないでしょうか。心を落ち着かせるのもそのためでしょう。過去に確認を怠ってひどい演奏に繋がった経験があるのかもしれません。習慣になっていてやらないと落ち着かないのかもしれません。最後の確認をすることで安心して演奏に集中できるのであれば、それはミュージシャンとして良いことでしょう。あるいはぎりぎりまで自分の手でチューニングを確認しておきたい、というのはギタリストとして意識が高いといっていいでしょう。

もちろん、客を待たせたり、演奏時間が予定より伸びたり短くなったり、ローディが念入りにやった仕事を再度行ったりというのは、プロの仕事人としては減点なのかもしれません。ただし、チューニング作業を単純な待ち時間として捉える観客がどれほどいるのか、という点は考慮が必要です。憧れのミュージシャンがチューニング作業をする姿をわくわくしながら眺めるファンもいるでしょう。あるいはチューニング中の静寂が好きなひともいるでしょう。そこで一息つくひともいるでしょ。もちろん、それを「早くしねぇかな」と感じる氏のような人物もいることでしょう。

であれば、それを見越して、あるいは無意識のうちに、演出のひとつとしてチューニングをする、という側面もでてきます。これはディレクターのY氏の<「いや、だってムエタイの選手もリングで踊るじゃん。誰も『控室で踊れよ!』って怒らないでしょ? リングなりステージなりっていう場に立ってるからこそ、その行為に意味がある、ってことなんじゃないかな」>という発言からも汲み取れるところです。ただ、氏は<拡大解釈>したせいでそうした部分が見えなくなってしまったようです。おそらく読み取っていれば「そんな演出はいらない」と言っていたかもしれません。そしてそうならば、氏は<日常的にライブというものを観るようになって30年以上>で、かつしっかりとした経歴を持つプロライターなので、その腕前を光らせる論と根拠をその考え方に添えてくれたことでしょう。ざんねんです。

とりあえず、なぜギタリストはステージでチューニングをするのか、という問いに対しては、よい演奏をするために、というのがひとつの答えになるでしょう。チューニングの狂いを少しでも減らすため、あるいは精神を安定させるため、という理由に違いはあれど、その先の意識は同じ。明確な意味があっての行動です。彼らはステージでチューニングをしないための努力をしていないかもしれないけれど、いい演奏をする努力はしています。ステージでチューニングをすることに対して否定的なひとにとってはダメかもしれないけれど、そうじゃない、もっと単純にその演者のいい演奏を聴きたいひとや、あるいはチューニングも楽しめるひとにとっては何ら問題はない、という結論です。

プロライターの記事という側面に対して狂う

こんな飲み屋の会話レベルの話を、Y氏やQ氏、島田氏、あるいは自身の肩書が持つ権威力を利用して、個人的な好みから来る仮説の補強にそのまんま使って、さらにそもそも論旨の補強が全部私的なやり取り(しかも過去のブログでのやりとりの使いまわしあり)なのなんて、この記事の原稿料の安さに想いを馳せますわ。へえー。でもそれ、プロが書く意味なくないですか? はてな匿名ダイアリーでやれよ、って話じゃない? つうかフラワーカンパニーズのヒストリーブックとか出してるんだから、聞けばいいのに、本人に。というか聞いてほしい。Q氏が「意味ない」って言ったからそこで満足したのかしら。いやまあ飲み屋の会話がダメっていうんじゃないですよ。そこで出る発想は思索の種になる。でもね、もう結論ありきで、しかもチューニングするミュージシャンに半笑いで指摘する、っていうひどい結論、結論っていうか目的ありきで書いてるからね。そういう目的を最初に決めて、都合のいい話ばかり集めるから前半と後半の繋がりがスムーズじゃなくなるんだよ。もう思いつきを友人の話で固めるとか、どっかの炎上ブロガーかよ。炎上ライターなのかよ。この反論記事でアクセス増えてご満悦なのかよ。片手間に音楽ブログやってる私にはおもしろい記事が書けないのかよ。そのとおりでございます。

あと奥田民生の例みたいに、理由があれば演奏を止めてチューニングするのは良しとしてるのに、MC中にチューニングすることに文句いうのは変じゃないっすか。それ確実にチューニング直す必要あったからでしょ。あれか、MCいらないからか。でもMCなしでぶっつづけでライブって体力的につらいんじゃないですか。「ミッシェルはやってた」って人類総TMGE計画ですか。グラサンかけてt.A.T.u.を呼ばないとだめですか。「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」歌いますか。それとも「MCで休むなど努力が足りない!海外有名ギタリストはドーナッツを死ぬほど食って身体づくりをしている!!!」って根性論ですか。ブラック観客ですか。台風だってわかってたら前日にライブハウス入りしなきゃだめですか。せちがらい世の中ですか。言いたいことを言える世の中もこれまたポイズンですか。

結論:本人でも外部のひとでも、記事を投稿するまえに文章をできるかぎりチューニングしましょう(※意図的にチューニングしない例もあります)

なお、私、ギター、弾いてますがライブやりません。毎回新バンド情報見るたびに「今年こそはバンドできるようになりたい(精神的な負担の意味で)」「あと、今年こそは英語しゃべれるようになりたい(プロ笑い師による笑い声の挿入)」と思い続けて30年以上経過、そんな奴ですので、お詳しい方からの、あるいは当事者であるギタリストからの、異論反論は一切受け付けません。

狂うリツイート用

※トップ画像はこちらの画像を利用いたしました。大川竜弥さん、いい顔をしていらっしゃる