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the GazettEを振り返る:第1回「結成初期から『Disorder』まで ~10年早い浮世絵化とポスト・インターネット~」

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はじめに

00年代にネオヴィジュアル系四天王として売り出され、 その音楽性からシーンでもっと話題を集め、そしておそらくもっとも“売れている”、いわばネオヴィ版METALLICA――それがthe GazettEです。彼らの音楽性を知ることは、現在のヴィジュアル系シーンを知ることに繋がります。

というわけで、8月の新作『DOGMA』発売を記念して、これまでの彼らの音楽性を見ていこうというのが本稿の趣旨です。とても長くなりそうなので何回かにわけてお送りします。

(ちなみにMETALLICAのくだりに深い意味はなく、NIGHTMAREがSLAYERでシドがMEGADETHでA9がANTHRAXとかそういうわけではありませんし、強いて言えばたぶん全部METALLICAです)

Eternal時代

レコードレーベルMatina系列のEternal在籍時に所属していたことがあるものの、作品は多くありません。このころは歌謡曲要素が強く、後述する洋楽からの影響が弱いです。彼らはこれを原型してさらに様々な要素を取り入れていきます。とりあえず「Matina系列に在籍していたバンドで現在も原型を留めているのはガゼットのみ」という点は頭に入れてもらえればとおもいます。

「は? このころが最高だろ??」という方がいましたら、ぜひ語ってください。

(Matina時代と書いてしましたが、正確にはMatina系列のEternalの間違いでした。すみません。タイトルも変更しました)

大日本異端芸者時代(『Disorder』まで)

2003年、Matinaが解散したため、広告戦略の強さで知られるPS COMPANYへと彼らは移籍しました。大日本異端芸者と名乗っていたこのころの作品には、今の彼らに通じる重要な要素が詰まっています。以下にその特徴を述べていきます。

DIR EN GREYを通しての“洋楽志向”

最初期のころから彼らは露骨にDIR EN GREYに影響を受けたような作品を作っています。ガゼットが活動を始めた2002年ごろ、DIR EN GREYはちょうど『鬼葬』から『six Ugly』――“洋楽志向”へと変化をしているときでした。ガゼットも最初の転機となった PS COMPANY移籍後初の作品『COCKAYNE SOUP』以降、この“洋楽志向”の流れに乗った作品を発表しています。

ここで指す“洋楽”は大ざっぱに言えばニューメタルです。ギターとベースはミュートを絡めて重低音リフを刻み、ボーカルもそれまで主流だった高音シャウトではなくグロウルを多用。ラップ風パートなども特徴です。


(00年代最大の参照元洋楽バンド)

とはいえ、当時のガゼットのそれは実際の洋楽志向ではなく、洋楽化してきたDIR EN GREY志向と言ったほうが正確でしょう。たとえばドラム。本場ニューメタルでは芯のある硬質なドラムが良く使われていましたが、彼らはベシャっと潰れるような音を使っていて、これは当時のDIR EN GREYと同じ傾向の音です。曲に関しても洋楽に特徴的な腰で乗るようなグルーヴ感はありません。低音はただ振り回すように使われていますし、高速裏打ちハイハットなどの手数が多くバタバタとしたドラムフレーズにガチャガチャとギターが乗るそれは、まさに初期黒夢~DIR EN GREY~蜉蝣以降という印象です。

『COCKAYNE SOUP』収録の「Beautiful 5 [shit]ers」は、『six Ugly』と『VULGAR』の間に発売されたこともあり、本家も模索中だった要素をフォロワーがさらに模索したといった感じの、洋楽化以前と以後の DIR EN GREY的なものが混じりあった何とも言えない独特の味わいを出しています。(展開はまるで蜉蝣「アイドル狂いの心裏学」のようですね)

90年代ヴィジュアル系初期だって、メタルやポジパンといった“洋楽”に影響を受けていたはずなのですが、このころことさらにニューメタルが“洋楽”とされたのは、海外での流行や、ファンが入れかわったことでの知識の初期化による影響でしょう。また、ガゼットがそうだったように、90年代後期から後続のバンドが先輩を直接参照するガラパゴス状態になり、洋楽という要素がいったん意識されなくなったからかもしれません。

ヒップホップ

ニューメタル要素に含まれますし、直接的には現れていないものの、ヒップホップ要素がヴィジュアル系バンドにしては顕著です。『Disorder』と『蛾蟇』の1曲目のSEはともに露骨なヒップホップミュージックですし、作品中で聴けるラップでも韻や声質などを積極的にいわゆる “ヒップホップ” に似せようとしています。ルキも『Disorder』について<(前略)HIPHOPの要素を強く出してみたかったんです> (*1)と言っています。

昭和歌謡

昭和歌謡風の哀愁を感じるメロディも特徴のひとつです。「32口径の拳銃」などは具体的に<昭和時代の アパートの畳の部屋のイメージ>*2で作られています。

この手のメロディはcali≠gari、ムックなどの密室系あたりからじわじわ浸透した印象です。また、直接昭和歌謡というわけではありませんが、DIR EN GREYが『MACABRE』からほの暗い和風イメージを積極的に使い出していることも関係しているでしょう(当時のシーンの 広がりを知っているかたは教えてください)

ネオヴィジュアル系の代表としてガゼットとともに並び称されていたシドや、彼らより少し早く登場したメリー、オサレ系の最大手とされるバロック(初期)といった2000年代前半から活躍しだした有名どころがこの手の要素を得意としていることからも、歌謡要素はこの頃の当分野のひとつの特徴として数えてもよいでしょう。そういう意味でもガゼットは、そのカタカナバンド名からも感じ取れますが、やはり2000年代以降のネオの流れにあるバンドだと言えます。

なお、街中のコワモテがイヤフォンで聴いてる曲はガゼットなのでなにとぞよろしくお願いいたします。

ロックンロールとSADSの存在

もうひとつ彼らの根本として考えておきたいのが清春の、特にSADSの存在です。ボーカルのルキは<まさに最初に聴いたロックが黒夢(筆者註:清春がボーカルをつとめていたバンド) (*3)と言っています。また、本人との対談で彼のソロ作品『VINYBEACH~架空の海岸~』に対して前のめりな感想を述べ、わりと同意をもらっていることからも、熱心なリスナーであることが伺えます。

ルキ:なんか今回のアルバムは、これまでの作品の中でも特に雰囲気が違うというか、清春さん自身の“自分の中のメロディ”で作られてる気がするんですよ。
清春:うん。(中略)自分らしいことをコンスタントに続けていくことのほうに今なりの自分の存在理由があるんじゃないかなって最近は思う。 (*3)

初期から現在まで、彼らの曲にはSADSがやっていたガレージロックやパンクロック、ブルーズロックなどの影響が感じられます。「Ruder」や「Anti Pop」ではそれがかなり顕著ですし、「S×D×R」は歌詞中で<NO! NO! ROCK N ROLL IS NOT DEAD!>、すなわち「おれたちが生きたROCK N ROLLだぜ!」というメッセージを歌っています。また、SADSではありませんが、「ブラックスパンコール ギャング」はフレーズや歌い方が非常にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTです。直接ロックンロールをやっている曲以外でも、コード感や高速カッティングなどにその要素は強く感じ取れます。

そのロックンロール感は、『Disorder』のインタビューでルキが<“ワル”っていうイメージがある作品にしたいなと思ってたんです> (*4)と言っているように、“ワル”のイメージと繋がっています。また、<(前略)HIPHOPの要素を強く出してみたかったんです。(中略)衣装もギャングっぽくして、チームみたいにしたいと> (*1)とも言っており、このイメージに関してはロックンロールだけでなく、ヒップホップも関係しています。

このころの彼らは、90年代ヴィジュアル系黎明期の“ヤンキー文化”を、飲み会などの私生活ではなく、作品で体現していると言えるんじゃないでしょうか。

曲調にあわせた歌詞とボーカルスタイル

さて、ここまで書いてきたように、大日本異端芸者時代のガゼットは大きく洋楽、昭和歌謡メロディ、ロックンロールの3要素に分けることができますが、その要素ごとに歌詞やボーカルも変えています。洋楽ではエログロや英語詞、昭和歌謡では切ない恋愛詞、ロックンロールでは生意気なギャングスタ詞。ボーカルもそ れに応じて、ヴィジュアル系特有の鼻のつまったような声を基本としてデスボイスから変声、シャガレ声まで使い分けています。昭和歌謡で切なさが極まると鼻のつまりが最大になり、浜崎あゆみ(当時)のような、ギャルに支持されそうな女性ボーカルの感じになります。このあたり、非常に器用です。

器用だからといってうまいわけではありません。例えば英語の発音。発音をちゃんと勉強したことないひとが耳で聞いてなんとなくマネしたような、とりあえず丸めるような感じになっていて、英語としては稚拙です。また、「LINDA~candydive pinky heaven~」でのラップパートは、声の歪ませかたや語尾の処理が中途半端で背中がかゆくなります。さらに、全体的に音程が微妙にずれているのも、ヴィジュアル系技法だとはいえ、一般的には「歌がヘタ」と判断されるでしょう。ボーカルではありませんが、頻出するオイパンク的なコーラスもストレートすぎて 雑多に音が鳴る曲中で妙に浮いています。

歌詞も平易です。あまり難解な表現は使っていませんし、抽象的な内容や複雑な世界観は基本的に描いていません。切ない恋愛詞は、10代の女子にもわかりやすい言葉を使って普遍的な感情に根差した内容をつづっており、上京など実生活 に密接したテーマを扱っています。ギャングスタ詞では<マジやべぇぐらいにマジハイテンションだ>*5とマジやべぇくらいにマジハイテンションでないと書けない悪羅悪羅な表現が頻出します。

展開とアレンジの雑多さ

大胆な展開と雑多なアレンジも彼らの作品の特徴です。たとえば「Carry?」。重低音イントロから艶のあるメロを経て、得意の切ないメロディのサビに移行します。ここまでは一応高速カッティングを軸に統一性を持たせていますし、「サビでメロディアスになる」というDIR EN GREY「FILTH」的意味も持っているので違和感はありません。問題はそのあとです。再びの重低音+シャウトパートのあと、休符を挟んでまったく別のメロディのサビらしきパートが始まります。何の予備知識もないひとが聞いたら「間髪入れずに次の曲が始まった」と感じるでしょうが、このあと再びもとのサビに戻って曲が終わります。また、「The $Ocial Riot Machine$」の急激なテンポチェンジなんかもなかなか肝が座っています。こうした力技で雰囲気の異なる各パートを、脈絡なく繋ぐ場面は多いです。

その脈絡のなさは、展開だけでなく細かいアレンジにも言えます。例えば90年代ヴィジュアル系を駆逐したメロコア/青春パンク要素の集大成のような「☆BEST FRIENDS☆」。1回目のサビの終わりに、明らかに異質なアルペジオが挿入されています。このフレーズはないほうが、あるいはもっと曲調にあったもののほうが、必然性は高まります。また、「鬼の面」ではお経をサンプリングしており、「昨日夜中に音楽聴いてたらお経が聴こえてきて超怖かったんだよね~ (笑)」という変態音楽女子(好きな昆虫はトンボ)にひと泡吹かせられるポテンシャルを秘めています(「ロックなのにお経サンプリングしたらおもしろくね?」は初期ガゼット匹敵の発想ですのでミュージシャンの皆様もなにとぞ)。単純に使っている音の種類が多いのもアレンジの広さを感じる要因です。シンセなどはもちろん、民族楽器も使用しています(「花言葉」他)

こうした特徴の一部は初期蜉蝣の曲でも聴けるものでした。蜉蝣はその後音楽性を変えたためこうした点は薄れていきましたが、ガゼットは蜉蝣より多くの曲で、かなり雑多にアレンジを詰め込んでいました。そういった面で、コテオサ系の始祖とも呼ばれる蜉蝣のその特徴を、同じコテオサ系と呼ばれることもあるガゼットが継いだとも取れるでしょう。(認めたくないひとが多い気もしますが)

チャラサーのガゼ

この頃のガゼットはチャラいです。そのチャラさは単一の何かからではなく、上に挙げたすべての要素からにじみ出てきます。重低音の脳筋さ、“ワル”としてのロックンロール、ヒップホップ、流行りの昭和歌謡要素、筋の通らない楽曲展開、うるさいアレンジ、稚拙なボーカルと歌詞、浮いたオラオラコーラス、諸先輩方をマジ尊敬してマジマネをする行動原理……。その無節操さや、あとは経験の足りなさが原因で、すべての要素に含まれる“チャラさ”が未処理のまま曲中に現れるのです。

このチャラさが、90年代耽美ヴィジュアル系原理主義者や洋楽ファンを多いにイラつかせていたことでしょう。

ヴィジュアル原理主義者から見たガゼット

当時はまだ90年代ヴィジュアル系ファンの「耽美こそがヴィジュアル系」という考えが根強く、また、現在でもそうした考えのひとは少なくありません。そのような価値観を持つひとびとは、ニューメタルというある種の軽さ・カジュアルさを持つ要素――特にヒップホップを嫌いました。そうした嫌悪感は根強く、ニューメタルが衰退した今も新たな洋楽――メタルコア化した若手を憂う声はちらほら見ます。

そうしたひとたちからすれば、洋楽化をもたらしたDIR EN GREYは忌むべき対象です。そしてそのフォロワーであり、さらにチャラく音楽性を受け継いでいたガゼットを、彼らは敵視するでしょう。

洋楽ファンから見たガゼット

洋楽的であることは本格派の証でもあります。邦楽において“洋楽”がひとつのブランドになることは「海外で評価の高いバンド」がありがたがられることや「おれは洋楽しか聴かないがコイツらはべつ」的リスナーがたびたび現れることなどから明白です。それはヴィジュアル系でも例外ではありません。

もちろん、本格派が本格派足るには、ただ洋楽志向というだけでなく、それなりの実力、あるいはファンを説得するだけのキャリアが必要です。SADSやDIR EN GREYにはそれがありました。

一方でガゼット。上述のように稚拙さや若さ、流行も含む“チャラさ”は、洋楽ファンや洋楽志向ファンから見れば、上っ面だけの本格派の「劣化」、「ニセモノ」、「流行に乗っただけ」といった悪印象に繋がります。そしてそうした印象は、何も洋楽ファンだけでなく、一般の音楽通にも良い印象を与えないでしょう。

若女から見たガゼット

そんなことは若女にとっては関係ありません。ガゼットは切ない歌詞とわかりやすいメロディを軸に、豊富な展開と激しい煽りで彼女らを魅了しました。その声援が、余計に“コアなリスナー”たちをいらだたせたでしょう。

そして賛否両論を巻き起こす

彼らの音楽はある一面で確実に魅力的で、ある一面で確実に不愉快です。その無視できない存在感は、知名度とともにファンとアンチをどんどん増やしていきました。それによって巻き起こる激しい賛否のぶつけあいは野次馬を呼び、野次馬は支持者と不支持者に別れそれぞれの勢力に加わり、争いは日を追うごとに増していきます。終わらない聖戦、そして飛び交う怒り……。そう、彼らはエターナル『St. Anger』状態と言っていいでしょう(METALLICAの伏線をここでまさかの回収)

パクリと再構築

この話題に触れるにあたってまず言っておきたいのは、私は「ガゼットがパクリバンドであるかどうか」や「パクリの是非」に言及したいわけではないということです。あくまでもこの要素がガゼットの音楽にとってどういう位置にあり、それが我々聴き手にどのような印象を与えているかを考えるために、パクリについて記します。

さて、ガゼットにパクリバンドという印象を持っているかたも多いでしょう。実際これまで指摘したように、彼らは露骨に過去のバンドを参考にしています。

展開とアレンジの多さにも関係するところですが、ルキはインタビューでこう言っています。

どこがスタートだっていわれたら、あのバンドとあの曲と、このバンドのこの曲、どっちもやってるバンドがあったらすげぇカッコいいなっていう。それだと思ってるんで、the GazettEっていうのは。いろんなものをドッキングさせて意味わかんないのをやっている。 (*6)

新規性や既存の音楽への帰属、あるいは混合でさえなく、さまざまな音楽をガゼットというひとつの場に集めてドッキングするという発想。オリジナリティの拒否をも意味するそれが根底にあるのであれば、元ネタをたやすく想起させる記号が各所にちりばめられているのは当然と言えます。そして、その記号は、1曲のなかに異なる元ネタから複数つめこまれていたり、本来の文脈と異なる使い方をされている場合も当然のように存在します。すなわち、彼らの作品の一部分を切り取って何かとの類似性を指摘することは、彼らの作品を知るうえでの第1段階でしかありません。何かと類似しているその各部分が組み合わさって、最終的にどのようなもの――それは曲単位でなく、作品単位、あるいはバンド単位で――になっているかまで踏み込む必要があるということです

10年まえに浮世絵化を果たしたガゼット

この頃のガゼットの、多数の要素を雑多なアレンジで1曲のなかに詰め込む、というやり方は、話題になった以下の記事で指摘されている特長にぴったり当てはまります。

http://shiba710.hateblo.jp/entry/20130529/1369790663日々の音色とことば「浮世絵化するJ-POPとボーカロイド ?でんぱ組.inc、じん(自然の敵P)、sasakure.UK、トーマから見る「音楽の手数」論」

すなわち、ガゼットは上で挙げられたミュージシャンの10年先に浮世絵化を果たしていたのです。しかも意識的にです。そしてその意識というのが、アーティストとしての向上心ではなく、プロ意識のまだ育っていない若いバンドによくある「これおもしろくね?」というノリに思えるのが、非常に興味深い事実です(『DOGMA』のインタビューでルキは<例えば初めての武道館ワンマン(2006年「Nameless Liberty.Six Guns…」ファイナル公演)くらいまでの俺たちはバンドに対して不真面目だった>(*7)と言っています)。なぜならその無邪気な態度は、電子の海に無数に浮かぶ素材をかき集めてズタズタにして表現する、(ポスト・)インターネット世代と呼ばれる電子音楽家たちに通じるものがあるからです。

配合、という、ちょっと軽薄めかした言葉がちょうど いい。そう、ポスト・インターネット世代は、あまりにも軽々と複数の(それも互いに離れた)領域をショートさせてしまう。高尚めいた実験精神ではなく、あ る意味では軽薄な洒落っ気で。まるで、テレビ・ゲームの操作ボタンでも押すかのように。(*8)

ポスト・インターネットにおける音楽とは、「創造主としての情熱的な(ソウルフルな)人間」をもはや必要としなくなった音楽なのではないか、ということです。(*9)

<「海の向こうで何が流行っているか」という視点>(*10)から切り離されたことで起こったJ-Popの浮世絵化を、「海の向こう」で流行っていた要素をちょうど取り入れ出したヴィジュアル系で10年早く体現し、さらにインターネットがまだ普及していなかったころからポスト・インターネット的な態度をもっていたおそるべきバンド、それがガゼットなのです。ババーン!

ポスト・インターネットは冗談としても、90年代ヴィジュアル系というブームが終焉した90年代後半~2000年代前半のヴィジュアル系バンドは、次のシーンを作ろうという意識からなのか、多かれ少なかれ浮世絵化傾向にあった、というのは事実です。そして、そのなかで、現在もっとも商業的に抜きんでているのがガゼットだというのも。

さて、ボーカロイドとヴィジュアル系は、二次元と現実という違いはあるにしろ両者ともキャラクター性が重視されます。また、ヴィジュアル系がANIME / MANGA的文脈を持ちながら海外で注目されたこと、海外のある層にもっとも人気な日本のロックバンドがガゼットである(*11)ことなどから何かしら長い文章が書けそうですが、ガゼットが主題である本記事ではその類似性を指摘するにとどめておきます。(というと「おれは書けるけど書かないぜ」感が出ますが、アニメ/マンガに対する海外の反応やボーカロイドについてはあまり詳しくないので誰かお願いします)

『Disorder』までのまとめ

  • DIR EN GREYとSADSを中心に無邪気にコラージュ
  • ヤンキー的チャラさ
  • 賛否両論を誘発する音楽性による知名度向上
  • 早すぎる浮世絵化とポスト・インターネット感覚

次回予告

次の記事ではプレthe GazettE期と『NIL』、そして個人的にもっとも重要な作品だと考えている『STACKED RUBBISH』について書いていきます。ご期待ください(長さに)

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