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LITURGY『The Ark Work』:新しいラップメタルとインディ系ブラックメタルの頂点

注目作、しかし低評価

インディ系を中心に取り扱うTHRILL JOCKEYからまさかの発売となった前作『Aesthethica』は、メタル系メディアには反発を食らいながらも、PitchforkやTINY MIX TAPEといったインディ系メディアからは好意的に迎えられた。あれから4年。DEAFHEAVENの『Sunbather』というインディ系ご用達ポストブラックの金字塔で整えられたシーンに届けられた新作『The Ark Work』は、発売早々メタル系メディアから大ブーイングを食らい頼みのPitchforkからも6.4点という厳しい評価を受けたMetacriticでも64点(4月5日時点)と評価はかんばしくない。

いったいどうしてこのようなことになってしまったのか。以下、本作における個々の楽器/音の特徴を挙げ、それらが組み合わさることでどういった作品になっているかを考えていこう。その中で、各種メディアからの低評価の理由が見えてくるかもしれない。

ギター

ひずみのないトレモロ

もっとも目立つのは叙情的なメロディのトレモロで、それ自体は一部のブラックメタルで良くあげられる特徴だ。だが、彼らのそれの音作りはクリアで、ブラックメタル的ではない。ブラックメタル第一波のBATHORYにしろノルウェーの第二波にしろ、あるいは商業的に成功したDIMMU BORGIRや近年のアトモスフェリックブラックやシューゲイズブラックにしろ、そのギターの音はひずんでいる。極端な場合、彼らはやすり紙で弦をこすったかのようなノイジーな音で空間を埋めつくす。

非業、憂鬱、あるいはハッタリ。トレモロに限らずブラックメタルのギターのひずみには何かしらの感情が込められてる。一方でLITURGYの音は、まるでギター教則本の手本のように整っている。そこには情念に根差した強い主張はない。精神性が重視されがちなこのジャンルにおいて、こうした点から彼らはブラックメタルではないと断罪されてもおかしくはないだろう

さらに、トレモロ中はトレモロ以外をほとんど演奏していないという点が、その異質さを増幅させる。左右2本のギターでバッキングやリードといった役割分担もなく、あるいはカッティングやミュート刻みといった技術も見せず、ただひたすらにトレモロによるメロディを繰り出すだけだ。

例えば同じブラックメタル内でトレモロによるメロディを重視し、かつ比較的クリアな音を使っているKRALLICEは、トレモロと同時にディストーションギターを鳴らしている。

片方がメロディを担いもう片方が音の壁や厚みを演出する、このような役割分担はメタルで広く用いられているが、LITURGYはそれを拒み、意地でも単音トレモロメロディを奏でる。これは「リフ」やその他ギターテクニックを重視するへヴィメタル的には完全に失格である(KRALLICEも失格と言えば失格だけど)。また、前述のディストーションの件もあって、ブラックメタル的にも失格であるので、トレモロ単体を取り出すと、トレモロで叙情的なメロディを奏でる、というその一点以外は、ブラックメタル的ではなく、メタル的でもない

マスマティックなアンサンブル

さて、トレモロ以外で彼らにもうひとつ特徴的なのが、ドラムと同期して刻まれるコード弾きだ。#6「Father Vorizen」のギターはこれのみで構成されている。これはブラックメタルよりはむしろプログ/マス系――いまならジェントでよく使われる手法だ。Pitchforkはこうした側面について前作『Aesthethica』のレビューでSteve Reichの『2×5』の名を挙げている(*)が、確かに中心人物であるHunter Hunt-Hendrixは、ブラックメタルは自分の主な影響元ではなく、SWANSやGlenn Brance、およびTEENAGE JESUS AND THE JERKSなどのノーウェイブバンドといった1980年代初頭のニューヨークシーンがその出自であると語っていることからも(*)、そのリズムは、メタルバンドのMESHUGGAHよりも現代音楽家であるReichとその手法を流用したインディ系を源流としたものだと考えたほうが適切かもしれない。いずれにせよ、彼らがリズムに関してかなり意識的なのは間違いない

ドラム

Greg Foxのドラムは、とにかく強烈だ。ブラストビートで突進していたかと思えば、唐突にブレイクに入り、今度は力強くシンバルを連打する。ツーバスとシンバルで速度を落としたかと思えば、いきなりブラストビートを突っ込んでくる。そうした留まるところを知らない変化が、全て全力で叩き付けるような勢いでもって繰り出される。

その突進力と、前述したマス的なアンサンブルが彼らのドラムの主だった使い方だ。こう書くとTHE DILLINGER ESCAPE PLANやCONVERGEなどのマスコア勢と近いようにも思える。確かにドラムのみ取り出した場合、そう遠くない比較だろう。だが、後述するが、これが他の楽器と合わさるとなると話が変わってくる。

また、#5「Quetzalcoatl」や#9「Vitriol」では大々的に打ち込みリズムが使われており、こちらも本作の大きな特徴となっている。

ボーカル

おそらく多くのメタラーが抵抗を感じ、あのPitchforkでさえもが難色を示した問題点。グロウルやシャウトは一切ない。用いられるのは一本調子で鼻にかかった声のボーカルだ。そしてそれは、時にラップに近づく。もちろんそれは意図されたもので、HunterはBone Thugs-n-HarmonyやThree 6 Mafiaを意識したと語っている(*)。

また、<Yeah a big theme for this record is approaching the relationship between rap and metal in a new way, different from what we conceive of as “rap metal”.(そうですね、今回の大きなテーマとして、ラップとメタルを新しい形、いわゆる「ラップメタル」とは違うやり方で関連付けるというのがあります)>*)とも言っており、本作を読み解くにあたってこのボーカルをラップ的なものとして考えるのは正しい姿勢だろう。

とはいえ、生気を全く感じないそれは、始めからラップとして生まれたのではなく、人間性を放棄した声――グロウルからひずみを抜き取り、そのパーカッション性のみ抽出してラップに近づけたという感覚が強い。そういう意味でこれはラップではなく、グロウルの抜け殻と表現するのが良いかもしれない。それはまるで前述のディストーションを用いないギターと同じようだ。

それにしても普段は対立しあっているメタラーとピッチフォーカーが「叫べよ」という点で意見を一致させているのはおもしろい。ブラックメタルは過激であることを求められる業の下にあるということか。

ベース

低音発生装置として、また、トレモロに集中しているギターに代わってリズムリフを担っている。一般的なブラックメタルのやり方で、特別言及するようなことはしていない。

その他の楽器、音

ベルや管楽器といった、ブラックメタルではそこそこ珍しい楽器のほか、シンセなどの装飾も多く使われている。ベルはトレモロを補強するかのように鳴り、管楽器に至ってはバッキングギターと同等の意味をもって前述のマスセッションで大きな役割を果たしている。

断続的な単音

さて、各パーツの特徴を示したところで、それぞれがどのように相互に働き本作を成しているのかを考えていこう。

リズムが本作の重要な要素であることはすでに述べたし、ラップとメタルの融合が本作のひとつのテーマであることも前述したとおりだ。そしてその命題は、断続性によるサンプリングへの近似によって成される

トレモロは、単音を間を置かず繰り出すことで、時間の経過とともに音が弱まっていくギターにおいて、強度を保った持続音を擬似的に再現している。ディストーションとリバーヴが用いられるとさらに音の切れ目が曖昧となり、揺れのある持続音へと変化する。多くのブラックメタルバンドはこの「揺れのある持続音」としてトレモロを用いている。一方LITURGYの音はひずみが少ないため、揺れではなく断続としての側面が強い。さらに、はっきりとした音を持つベルがトレモロに被さることで、その持続性はより薄まり、単音を高速で鳴らしている、という点が強調される。

そこにドラムが加わる。ブラストビートと呼ばれる高速でドラムを打ち付けるそれは、しばしばリズムであることを放棄し、ただ断続的に繰り出される音となる。トレモロ時におけるブラスト以外のドラムパターンも、それぞれ取り出してみると単純であることがわかる。リズムを形成するというよりも、ただその拍でその音が鳴っている、という感覚だ。これが断続性に寄与することは言うまでもない。さらに、リズム的でないドラムパターンがかわるがわる矢継早に繰り出されることで、何かドラムパターンをパーツとして組み合わせているような印象を与える。本作のドラムは部分を見ると断続的で、全体を見ると断片的という、リズム性が非常に小さいものとなっている。

こうしたトレモロとドラムが組み合わさると、相乗効果によって、推移からメロディやリズムを感じさせはするものの、全てが「断続的な単音」で構成されているかのような演奏になる。そしてその「断続的な単音」は彼らのバンド性を否定し、さらには時にブレイクビーツのように、時にシンセサイザーのパルスのように振る舞う

こうして断性が強調された演奏に問題のボーカルが乗る。ブラストパートにおける間延びしたそれは、演奏とのテンションの乖離によって曲の突進力をたやすく減退する。前進する意味を打ち消されたトレモロとブラストは、さらに「断続的な単音」と化す。これによってLITRUGYのブラストパートは、ブラックメタル的な演奏技法を用いながらも感触としてはむしろブレイクコアなどの高速電子ダンスミュージックに近い、という極めて特殊なものになっている

さて、マス的なアンサンブルが強調されるパートにいたるとボーカルは途端にリズムを取りだしてそこに加わり、ラップミュージックという属性をそこに与える。ギターは目立たず、むしろ管楽器が前面に出ているし、一部の曲では生ドラムさえない。さらに、参考元として名前を挙げられたラッパーたちに失礼なくらいに生気のない一本調子のボーカルとともに執拗に同じフレーズを繰り返すそれらは、ダンスミュージックに通じるミニマル感とサイケ感さえも醸している。そこにいわゆるメタルはない。とはいえメタルにおいてミニマルとサイケは、それこそMESHUGGAH『Catch 33』などで完成させられており、珍しいものではない。管楽器などもKAYO DOTなどのアヴァンギャルド系のメタルでは使用例がたくさんある。よって、#9「Vitriol」など極端な例を除けば、作品全体の流れのなかでこれをメタル的に聴くものがいてもおかしくはないだろう。非メタル的な要素で構築されてはいるが、メタルとしての可能性も一応持っているということだ。

このように、本作には非メタル的な要素が多くふくまれているもののメタル的技法が使われてはいるし、メタルそれ自体の解釈が広がっていることもあってメタル的に聴くことはできる。それが逆に「仏作って魂入れず」状態を作り出し、メタラーたちの怒りを掻き立てているのだろう。

░▒▓新しいラップメタル▓▒░

従来のラップメタルは、メタル由来の重低音リフをヒップホップミュージック的なリズムで刻み、そこにアグレッシヴなラップを乗せるというのが基本だった。一方で本作はメタルとしての意味を失ったブラックメタル+生気が抜かれたラップ風ボーカルという、全く別の組み合わせでふたつを馴染ませている。形式としてはそれに聴こえるが内実が抜けた同士の組み合わせという点は、なるほどHunterのいうブラックメタル=<something to do with a longing for ecstatic annihilation, a perfect void>*)に合致するだろう。

さて、本作はラップミュージックとして捉えることも可能だ。怒涛のバックトラックにサイケなラップが乗るスタイルとして聴けば、ヒップホップもかじっているメタラーが好きなグループ第1位のDEATH GRIPS的に楽しめる。

インディ系ブラックメタルの頂点

ここでもうひとつ、本作に対する私の見解を示しておこう。

本作の、リズムとしての滑らかさが薄い、しかし圧倒的な肉体性で全力で連打されつつ頻繁に場面転換するドラムは、楽曲に常にブレイク開けの迫力をもたらしている。本来ならばギターソロのあとだとか、曲の終わりだとかに適用される盛り上がりが、短いスパンでどんどんやってくるのだ。そこにベルや管楽器といった天上を思わせる楽器がうるさいくらいに加わり、さらにサイケでミニマルなマス的パートが組み合わさって脳のアドレナリン分泌をどんどん促す。しかしながらボーカルには生気はなく、奏でられるメロディはメランコリックだ。これではまるで鬱病患者の脳に電気信号を流し込んで強制的に多幸感を味あわせているようである

そしてそう、その「脳に電気信号を流し込んで強制的に多幸感を味あわせている」感覚は、まさしくANIMAL COLLECTIVE――特に『Feels』以前そのものである。サイケデリックに彩られたフォーキーでトライバルな演奏。笑顔でファルセットを披露していたかとおもいきや、唐突にギャー!と叫ぶボーカル。まさにそれだ。そうした特徴は「変態だけどポップ」という言い回しで大きな反響を呼んだ『Merriweather Post Pavilion』前後以降インディ系バンドが多幸感に焦点を当てて引き継ぎ、雨後の筍のように生えては腐って消えた(たぶん)。

あるいは「鬱病患者」という点を考えると、本作のトレモロメロディはシューゲイズブラックメタルやデプレッシヴブラックメタルに通じるものがある。そもそもLITURGYは、前述の2つのジャンルにアトモスフェリックブラックを加えたあたりの総称“ポストブラックメタル”の一群と捉えられることが多いが、このジャンルは今まさに雨後の筍のように新しいバンドが出ては腐っている最中である。

つまり、本作は雨後筍腐れハッピーインディ系と雨後筍腐れポストブラックメタルが奇跡の邂逅を果たしたかのような作品になっているのだ。Pitchforkはインディ系中心のメディアなので、当然ハッピーインディ系など聞き飽きている。彼らはこの点を感じ取り、低評価を下すにいたったのではないだろうか。ともかく、それでも私は腐敗の交錯から生まれたその存在に、畏敬の念を込めて「ブラックメタル」の称号を与えたい。

ちなみに本作は<(…) this music has always sounded in my head>(*)とのことで、なるほど哲学専攻でBLACK METAL THEORY SYMPOSIUMなる会合で発表をするような人生がブラックメタルな人物の頭にはこのような音楽が流れているのだという貴重な資料でもあるだろう。

インディがブラックメタルに侵食

LITURGYが所属するTHRILL JOCKEYはインディ系主体の音楽レーベルではあるが、THOUやTHE BODYといったドゥーム/ドローンメタルバンドも取り扱っている。また、昨年はブラックメタルをハウス的にカヴァーしたという、全ブラックメタラーを敵にしそうなTHE SOFT PINK TRUTH『Why Do the Heathen Rage?』を発売してもいる。(なお、本作の日本盤では彼によるリミックスが収録されているとのこと)

一部ではインダストリアルテクノのブラックメタル化も囁かれている。今後は、今回のLITURGYのようにメタル側がインディ系に近づくのではなく、電子音楽界が次のステップを目指してメタルに近づいてきてもおかしくはない。LITURGYは序章に過ぎない。これから第二第三のLITURGYやTHE SOFT PINK TRUTHが現れるに違いない。そんな中で、その年のベストに挙げられて終わりのような80点作品ではなく、10年後20年後に「あれはいろいろとヤバかった」と語り継がれるようなカルトな作品が生まれたら、楽しい。

本作がブラックメタルの可能性を押し広げた!かというと、結局はラップ+メタル(本人談)のこれにそれはちょっと高尚すぎるんじゃないかという気もするけど、最近のポストブラックメタルの中では抜群に飛んでるのは間違いないので、そういうのが好きなひとはとりあえず試聴だけでもして感動したり怒ったりゲンナリしたりゲラゲラ笑ったりしてほしい。パーッパパッパー。

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