fly or die

FLY OR DIEがヴィジュアル系好きにとっておもしろくない理由

登場人物

ヒズミ=ウランダリ
hizumi_magao[1]
ヴィジュアル系からブラックメタルへと暗黒の道をひた走るジャワニーズゴスロリ系女子。ワリバシでパスタを食う。

ちやき
chakky_egao
誰とでもすぐ仲良くなる明るい子。ワリバシでパスタを食う。

ヴィジュアル系ファンから見たFLY OR DIE

chakky_egao

ヒズミん!

hizumi_magao[1]

え、なに

chakky_egao

ビジュアル系好きだったよね!これおもしろいんだよ!

hizumi_magao[1]

……

chakky_kanashimi

ちょwwwwww

hizumi_magao[1]

知ってたし、おもしろくないし、ハシは折れるし

chakky_kanashimi

折ったのはヒズミんでは

chakky_egao

っていうかヒズミんって呼んでいい?

hizumi_egao[1]

本名なんて親がつけた†記号†でしかないから何でもいいよ

chakky_egao

なんかリストカッターっぽい

hizumi_egao[1]

リストカッターと言えば蜉蝣。蜉蝣といえば、そう、私ヴィジュアル系好きでしょ

chakky_egao

全然わからないけど好きなのは知ってる

hizumi_magao[1]

好きだからFLY OR DIEがおもしろくないの。なんでかっていうと、ヴィジュアル系そのもののほうがよっぽどおもしろいから

chakky_egao

そうなの?

hizumi_magao[1]

そうなの。この間「Wiiテニスよりテニスのほうがおもしろいし」とか負け惜しみ言ってたでしょ。虚構よりも現実のほうがおもしろみがある場合もあるんだよ

chakky_egao

えー、でもビジュアル系なのにカレーの歌だよ?

hizumi_magao[1]

あー。それじゃあ、ヴィジュアル系っていうと何思い浮かぶ?

chakky_egao

ゴールデンボンバー!

hizumi_egao[1]

うんうん、他には知らない?

chakky_egao

えーっと、9GOATS BLACK OUTでしょ、emmureeでしょ、凛-the end of corruption world-でしょ……

hizumi_shoutbokashi[1]

やめろッ!それ以上はいけないッッ!

chakky_egao

親戚に好きがいまして

hizumi_egao[1]

今度ぜひ紹介して

chakky_egao

チッス

hizumi_magao[1]

じゃない。もっとこう、X JAPANとかルナシーとかを期待してたの。でもまあ、それだけ知ってれば話は早いね。このバンドの“ヴィジュアル系”がかなり古いってことはわかるよね

chakky_egao

今のはもっとホストっぽいよね

hizumi_magao[1]

この見た目は、大体80年代後半から90年代前半のもので、“ヘビメタ”が半分混じってるんだよ。この曲のイントロはX JAPANの「紅」だよね。その時点でまずちょっと入り込めないんだよ。いまさら?っていう

chakky_egao

ゴールデンボンバーはホスト系だ

hizumi_magao[1]

で、FLY OR DIEの核となってる部分は、“芸人がヴィジュアル系をやってる”、“ヴィジュアル系なのに〇〇”ってところ。さっき「ヴィジュアル系なのにカレーの歌」って言ってたよね

chakky_egao

うん、チョーウケるよね

hizumi_egao[1]

けど、ヴィジュアル系はカレーについて歌っても何らおかしくないんだよ。例えばPENICILLINは「男のロマン」って曲でクワガタについて熱く歌ってる。ヘビメタならSEX MACHINEGUNSがその手のネタはやりつくしてるし、カレーの歌なら筋肉少女帯の日本印度化計画って歌があるんだよ

chakky_egao

日本印度化計画

hizumi_magao[1]

あとヴィジュアル系なのに高年齢とか、ヴィジュアル系なのに顔面が芸人レベルとか、そんなのももはやふつう

chakky_egao

そうなんだ

hizumi_magao[1]

ヴィジュアル系なのに〇〇ってところの意外性や発想の飛び具合で言うと、それこそゴールデンボンバーの「ヴィジュアル系バンドなのに演奏してない」や、仙台貨物ってバンドの「ヴィジュアル系なのにド下ネタでゲイ」のほうがうえだし

hizumi_egao[1]

あと別にそういう飛び道具じゃなくて本人たちがふつうに歌ってるつもりでも、冷静に考えたらおかしい歌詞おおいしね

hizumi_egao[1]

ともかくそういう毒劇物がいっぱいいるから、黄金色の毒入りスープくらいじゃ全然シビれないね

chakky_egao

カレー食べてー

hizumi_magao[1]

ヴィジュアル系以外にも言えるとおもうんだけど、大概、元ネタをおもしろくしてるひとをおもしろがるよりも、元ネタそのものをおもしろがったほうがおもしろいんだよ。もちろん、おもしろがるためにはそれなりに知ってないとだめだし、おもしろくないものを無理やりおもしろがる必要もないけど

芸人としてのFLY OR DIE

chakky_egao

でも芸人なのにチョーうまいんだよ

hizumi_magao[1]

うん、その“芸人なのに”って落差はヴィジュアル系にはないところだね。でもそれって芸人歌うま選手権っていう土台の大前提でしょう

chakky_egao

ゴッドタン見てるんだ

hizumi_magao[1]

まあね。ここからはいちお笑い好きとしての話になるけど

hizumi_magao[1]

笑いの手法・方向性を突き詰めると「大喜利」「言語学」「文学」「演劇」の四つになるんだよ

hizumi_magao[1]

ちょいちょい知識あるんだね。とにかく、まずそもそもパロディっていうネタがどういうものかってことだけど

chakky_egao

リアリティに繋がる「演劇」は必要だよね

hizumi_magao[1]

うん、元記事の定義からするとちょっと違うんだけど、パロディならどれだけ見た側の偏見と一致させられるかどうかってところかな

chakky_egao

ビジュアル系としては古いからダメ?

hizumi_magao[1]

えっと、バンギャルには古いんだけど、パンピーのヴィジュアル系像には近いから良いんじゃないかな。それにコロッケが何かの番組で早回しモノマネについて聞かれて、「みんなの記憶に定着したような、ある程度古いものをモノマネするのが良い」って言ってたし

chakky_egao

あれ好き

hizumi_magao[1]

で、その根幹となる視聴者の偏見からどれだけ外していくかってことになるんだけど、外す方向としては盛大に外すか、微妙に外すかの二方向あるとおもうんだ

chakky_egao

微妙に外す?

hizumi_magao[1]

元ネタからの若干のズレによる違和感を笑いに変えるんだ。「大喜利」もあるけど、心の機微っていう点で、うえの定義だと「文学」に近いのかな。FLY OR DIEは歌詞だけ変ってところは微妙かもしれないね。構造的には微妙に外して、内容で盛大に外すってことなのかな

chakky_egao

盛大にカレーの歌を歌ってる

hizumi_magao[1]

「大喜利」と「言語学」でこの辺もう一回確認しようか

hizumi_magao[1]

まず「言語学」、言葉の新たな可能性から行こうか。歌ではかなり重要な部分だと思うんだけど、これは範囲外。ダジャレで韻を踏んでるくらいだね

chakky_egao

「辛い or DIE!」とか結構好きwww

hizumi_egao[1]

同じ歌パロディネタの、世界のナベアツ「T-BOLANを知らない子供たち」なんかはこの点が突出してると思うよ、ほら

chakky_egao

すれ違いのForwwwww

hizumi_egao[1]

ちなみにマリアって単語はFLY OR DIEとも共通してるね

chakky_egao

Forリアwwww

hizumi_egao[1]

そういえばさっき言った仙台貨物も方言を使ってるっていう点で言葉独特の音のおもしろさがあるよね

chakky_egao

東北出身者としてもね

hizumi_magao[1]

次に「大喜利」、発想の飛び具合。たぶんここが一番重要なんだけど、それが「カレー」で「りんごとハチミツ」って、飛ばなさすぎでしょ

chakky_egao

バーモントカレーは甘すぎるよね

hizumi_magao[1]

あと「芸人なのに歌がうまい」っていう部分でも、東京03角田の「芸人なのに歌がうまいのにそのマネージャーのほうがもっとうまい」のほうが飛んでるよね

chakky_egao

リコーダーまでうまいからね

hizumi_magao[1]

角田の心境にほのかに「文学」も感じるし

chakky_egao

悲しげな角田の顔

hizumi_magao[1]

っていうか「芸人なのにヴィジュアル系」もjealkbがすでにやってるし。まあ、あっちはネタじゃないから単純に比較できないけど

chakky_egao

jealkbってジュールキロバイトっぽい

hizumi_magao[1]

そもそも根本としてヴィジュアル系っていう世間的にもすでに「おもしろい」ものをパロディするっていうことの安易さ。そして安易さがゆえに上がったハードルの越えられなさ

chakky_egao

あたしの話聞いてる?

hizumi_magao[1]

「ヴィジュアル系がカレーの歌歌ったらおもしろくねwwww」って高校生の文化祭かよ

chakky_egao

なんかめっちゃひとりでしゃべってる

hizumi_magao[1]

すれ違いのFor

chakky_egao

全然わからないけど説得力ある

マキタスポーツのお笑いマーケティング

chakky_egao

あたしは好きなんだけどなー

hizumi_magao[1]

うん、そう、そこなんだよね。ここまで安易とか言ってきたけど、お笑い論を頻繁に語ったり本も出版したりしてるこのマキタスポーツってひとはかなりの頭脳派でしょ。だから、うえに言ったようなことは当然わかってる

chakky_egao

あえてやってるってこと?

hizumi_magao[1]

そういうこと。ゴッドタンの視聴者層とかいろいろ考えたうえで「このくらいのネタがウケるだろう」っていうマーケティング込みでやってるんじゃないかな

hizumi_magao[1]

だからそもそも私みたいなヴィジュアル系に詳しいバンギャルの、しかもお笑いにガッチガチな考え方を持ってるようなめんどくさいひとは相手にしてないんだよ

hizumi_egao[1]

ここまで私があーだこーだ言ってきたのも、イタリア料理店にベトナム料理食べに来て文句言ってるようなもんで、とんだトンチンカン野郎だよね

chakky_kanashimi

モンスタークレーマーすぎるでしょそれ

hizumi_magao[1]

そうなんだよ。なんかね、ヴィジュアル系バンドでもメジャーデビューするとマーケットを考慮していきなり音楽性が大衆的になる例があるんだけど、あれに近いものを感じたからこんなに過剰に反応しちゃったのかもしれない

hizumi_magao[1]

同じ変化でも、大衆性と独自性の間で試行錯誤してるとその様子までふくめて楽しめるんだけど、割り切った「製品」出されると対象外のひとは離れるしかないからね……。それが好きなバンドだったらやっぱり悲しいよ

chakky_kanashimi

壊れた世界の隅っこでヒズミんは空を見上げてるんだね

hizumi_magao[1]

明日になればこの痛みも海の向こうへ沈むんだよ

hizumi_magao[1]

いやべつにムックのことを言ってるわけじゃないんだけど……

thou_heathen

THOU『Heathen』:鈍重を極めたその先の世界

“ポスト化”

“ポスト化”。THOUの4年振りの新作は、有り体に言ってしまえばそういうことになるだろう。ポスト化を感じる大きな要素は豊かな叙情性だ。これに寄与しているのは大きく2つ。

まずは静的なパートの増加。#2「Dawn」のような間奏曲が3曲ある他、長尺曲のなかでも大々的に使われている。#8「Immorality Dictates」では曲のほぼ半分をアンビエントパートに注ぎ、後半のヘヴィパートへと繋げている。

もうひとつはギターメロディの変化だ。前作でもメロディは多く見られたが、情感がさらに増している。そうした特長を持つ2本ギターの掛け合いが生命力を生み出し、作品を感情豊かなものにしている。

“重さ”への自信

ポスト化は往々にして音や雰囲気を軟化させるが、彼らにおいてはそうではない。

ギタリストであるAndy Gibbsが<(…) we’ve definitely been on a straight-ahead course towards heavier and heavier songs from the inception of the band to the present, (…)(バンドを始めたころから現在まで、間違いなく重いほうへ重いほうへ向かっています)>*と述べている通り、彼らの根底に音の重さがあるのは確実だ。だとすればギターが醸す叙情性は、重さを充分に極めたからこそ手を出した“次の段階”であることがわかる。だからこそ叙情性の増加が単純な軟化へと繋がっていないのだろう。

鈍重を志しながらここまで大きくメロディを使ったことは、彼らのヘヴィサウンドへの自信の表れでもある。それはAndyの<(…) I’m not worried about us sounding heavy enough, so my attention is on other things.(音の重さに関しては充分心配ないくらいだとおもっていて、その他の部分をどうするかを考えています)>という発言からも伺える。その自信を支えているもののひとつが、サウンドエンジニアであるJames Whittenの存在だ。彼は目立った作品を手掛けてはいないが、THOUに関しては付き合いが長く、Andyに「おれたちの魔法使い!」と言わせるほどに信頼されている。裏方と安心して音作りを任せられる関係を築いたことで、彼らはさらなる挑戦に踏み切ることができた。Steve Albiniや、最近名を上げているJens Bogrenといった名人と仕事をすることは非常に有益なだろう。そして、THOUとJamesのような一対一の出会いもまた、バンドにとってかけがえのないものになる。

コンセプトの一貫性

“ポスト化”が突然起こった出来事ではなく、バンドの歩みの中で起こった当然の進化だと言う印象を我々に与えるもうひとつの要素が、ボーカルで作詞を手がけるBryan Funckが描く作品コンセプトだ。これまでに出したフルアルバム作品には一貫したテーマがあり、互いに関係していると彼は語る*

Tyrant, Peasant and Summit as a from-the-hip critique of the dominant social order and class system, and then Summit, Heathen and Magus being a manifesto for the destruction of that system and the creation of something new.

Tyrant、Peasant、そしてSummitは、支配的な社会秩序や階級制度に対する衝動的な批判、Summit、Heathen、そしてMagusはそれらの制度の破壊と新しい何かの創造の宣言をテーマにしています。(筆者註:Magusが何を指しているのか不明)

Tyrant is also about sleep, being unconscious, unaware. Peasant is about death, being inextricably chained to servitude and anguish. Summit is about the possibilities within and outside of those limitations. Heathen is about waking up to and making use of those possibilities

さらに、Tyrantは睡眠――無自覚、無意識になることを、Peasantは死――逃れられない苦悩や隷属に束縛されることを、Summitはその中での可能性や限界の先を、Heathenは目覚めやそれらの可能性の行使に関してを扱っています。

インタビューでの発言や、あるいは単純にその発言量を見る限り、彼はバンドの方向性についてかなり考えているようだ。作曲はしていないとはいえ、曲に関して当然口を出しているだろう。今回のように曲調の変化があったとしても、小難しい一連のコンセプトが反映された彼らの作品が統一された色を持つのはもっともだ。

もちろん、それはそのコンセプトが曲のなかで活きているからこそである。人間として生きるうえでの苦悩を切り開こうとする歌詞は、本作の音作りに合致する。ギターとベースが一緒になって低音域を埋める、Sludge=ヘドロの中で這いずるさまを想起させる音のなかから、空間を埋める叙情的なメロディが浮かび上がる。それは人生の苦痛でもがき苦しみながらも、その内や外双方での何かの可能性を見出そうとする様子にぴったりと当てはまる。

Bryanのボーカルがまたこの作風にあっている。この手の音楽では珍しくはない、喉のうえのほうで鳴らすようなダミ声だが、音の乗せ方が特徴的だ。ドラムと同期した打楽器に近い配置ではなく、そのまま普通のボーカルに置き換えられるような位置で発声している。ギターのメロディの多さと合わさり、汚い声でありながら非常にメロディアスに聴こえる。作品コンセプトを伝えるに足る叙情性を持っている。

Heathen

作詞、作曲、演奏、音作り。その全てが同じ方向を見て作られた本作。鈍重スラッジを極めた末の“ポスト化”には、聴き手を圧倒し納得させるだけの凄みと一貫性がある。芸術系スラッジメタルのひとつの可能性を示した秀作。メロディアスなのでふだんこの手の音楽を聴かないひとにもおすすめできる。Bandcampならば任意の金額で購入できるので、ぜひ。

yoshimi.jpg

「海外からの評価が高い」日本のバンドって女性多くね?からの「海外」信仰の話。

海外から評価が高い日本の音楽

世界中のアンダーグラウンド/インディ音楽を取り扱う多人数参加型ブログであるHi-Hi-Whoopeeの記事が話題になっています。

http://hihiwhoopee.tumblr.com/post/84917795128/column-japanese-experimental-musicHi-Hi-Whoopee – COLUMN: “Japanese Experimental Music”の現在地

非ポップス系の邦ミュージシャンを紹介する内容ですが、以下のような文章がありました。

「海外からの評価が高い日本の音楽」的な枕詞で上記のミュージシャンの名前は頻繁にあげられる。現に、海外の音楽マニアは一般的な日本人より、よっぽど日本のコアな音楽を掘っているし、そして、その構造を日本人が逆輸入(勿論それが全てという訳でなく)する形で、彼らの名声を確固たるものとして築いてきた。そして、この辺の話は腐るほど語られてきた訳で。

この「腐るほど」のうち、直近で話題になったのが2chの以下のスレです。

http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1395850902/?id=Mg7WV583w4chをよく覗くおれが海外の音楽ヲタに評価されてる日本のバンドあげてく

バンドと言っておきながらCOURNELIUSやトクマルシューゴを紹介したり、本拠地が日本ではないASOBI SEKSUを取り上げたりとかなり怪しいですが、挙げられているバンドは大体他のこの手の記事と似通っているのでひとまず参考にしましょう。

ここで挙げられた15組の中でバンド形態になっているのが11組。そのうち8組に女性メンバーがいて、さらに表立ったポジションにいます

女性メンバーがいるバンド

あふりらんぽ:全員女性
ASOBI SEKSU:Yuki Chikudate(ボーカル他)
BOREDOMS:Yoshimi P-we(ボーカル他)
BORIS:Wata(ギター)
BUFFALO DAUGHTERS:シュガー吉永(ギター)、大野由美子(ベース)
MELT-BANANA:Yako(ボーカル)
少年ナイフ:全員女性
The 5.6.7.8′s:全員女性

男性メンバーのみのバンド

裸のラリーズ
ACID MOTHERS TEMPLE
FLOWER TRAVELLIN’ BAND

世の中のアンダーグラウンド系バンドを見渡せば、この比率は偶然にしては多いんじゃないかしら?というのがこの記事の発端です。以下、日本人女性という記号にまとを絞っていつものようにあれこれ言っていきます。というとやたら怒り出すひとがいるので当たり前のことをわざわざ先に言っておきますが、「音楽的に認められている」のは当然の前提条件として考えてください。

記号としての日本人女性

女性の少ない界隈で女性が“女性”として取り扱われるのは――その是非についてはひとまず置いといて――よくある話ですが、それが“異国人”でもあれば、なおさらわかりやすい属性になるでしょう。

では、欧米人にとって日本人女性はどういった特徴を持っているのでしょう。日本人は欧米人に比べて低身長痩せ型で肌つやが良く、顔が平坦なため幼く見えるという話があります。

http://www.madameriri.com/2013/04/24/%E3%81%AA%E3%81%9C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AF%E9%AD%85%E5%8A%9B%E7%9A%84%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F-%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E7%94%B7%E6%80%A7%E3%81%8B%E3%82%89/なぜ日本人女性は魅力的なのか? 外国人男性から見た7つの理由

欧米人にしてみれば、少年ナイフやあふりらんぽにおいては「幼い(見た目の)女性が自分好みの音楽を演奏している」という、音楽マニアが妄想をこじらせた末に作成したMANGAかANIMEのような自体が実際に起こっているわけです。そういう意味で彼女たちの存在は『けいおん!』やヴィジュアル系に近いのかもしれません(すげえ怒られそうなこと言いましたよ)

ともあれ、欧米の音楽リスナーの一部が上述のバンドに“日本人女性”――それは “ロリータ”に近い意味も持つ――という記号を感じていること、そしてそれが海外での評価に繋がっている可能性はそれほど低くはないでしょう。英語版WikipediaのBOREDOMSの項目で、中心人物の山塚アイではなくYoshimiの写真が掲載されていることからもそのあたりは読み取れますし、ASOBI SEKSUのYukiは下記のように語っています

――ユキさんはインタビューで、日本のことを聞かれるのは嫌いと言っていますが、日本人であることを全面に出すと、そこばかり突っ込まれるんですか?

ユキ インタビューで音楽の話を聞いてくれなくなるから。白人の男の人によく言われるのは、私のことはただの飾りだって。ジェームスは誰でもいいからジャパニーズ・シンガ-を探してたんだろ?って。学校で会って友達としてずっとやってきたのに。

「白人の男の人」のなかには、ジャパニーズ(ガール)シンガーというアイコンをYukiというミュージシャン個人より先立たせる人々がいて、それに反発するようにそういうことに対しての皮肉を言う人物が「よく言われる」と感じられる程度にはいるということです。

であれば、ですよ。本来なら“本格派”という意味で使われる「海外からの評価が高い日本の音楽」という言葉は、女性メンバーが表立っているバンドにおいては、実は本格派とは相反するアイコン性を含むという事態になります。見た目や年齢、やっている音楽や立ち回りといった複合的な要因から日本では意識されないアイコンとしての女性性が、その見た目の特異性が際立つ欧米だからこそ注目され、その結果生まれた親しみやすさ、導入部における敷居の低さが評価にも表れているというわけです。

日本でのCHVRCHESの人気にはLauren Mayberryの容姿が絡んでいることは疑いようもないですし、BABYMETALが海外で大成功した要因のひとつとして彼女たちが“BABY”だという点はあるでしょう。そこに「海外からの評価が高い日本の音楽」が加わったとしたら……。人が異性の異性的部分に注目してしまうのは、日本だろうが欧米だろうが、ポップスだろうがアンダーグラウンドだろうが、変わらないっていうことなんじゃないでしょうか。人類皆平等。

神秘性の体現者としての日本人女性

欧米人から見た日本人女性の魅力を語った先の記事には、神秘的といった言葉も見られます。異国情緒を感じる見慣れない容姿と聞き慣れない言葉という“得体の知れなさ”が、音源やライブパフォーマンスにも日本人女性特有の神秘性をもたらしても何ら不思議ではありません。そしてその神秘性が、欧米の音楽ファンに特異なものとして受け入れられている可能性は高いです。

もちろんそうした得体の知れなさは日本人男性にも言えますが、何となく女性のほうが神秘的じゃないですか。この感覚には理由があります。まず、音楽とライブパフォーマンスという単語からシャーマンを思い起こしてください。シャーマンには脱魂型(自分が超自然界に「行く」)と憑依型(超自然的存在が向こうから「来る」)がありますが、憑依型には女性が多いそうです。

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/anthropology/theme/religion/religion_text.htmHirukawa Laboratory – 宗教と宗教的職能者

ライブ演奏中のミュージシャンにおける神秘性は、演者そのものが神性をまとうという点で「来る」タイプのシャーマンのそれに近いでしょう。であれば、日本人女性のパフォーマンスに神秘性を感じて男性には感じないというのは歴史的にある程度妥当性があるということになります。なります?

「日本人女性」のほうが商品として売り出しやすい

上記の理由もあって、日本人女性がいたほうがプロモーションしやすいんじゃないでしょうか。プロモーション大事。

Thurston Mooreはガールズバンドがお好き

SONIC YOUTH。『Daydream Nation』が名盤として知られる、アンダーグラウンドロック界の重要バンドです。その中心人物であるのThurston Mooreは少年ナイフの海外ツアーでサポートを務めたり、あふりらんぽを自身のバンドの前座として招聘したりしています。冒頭の記事にも書かれていますが、最近では、ZZZ’sというガールズバンドを2012年のお気に入りに挙げていました。要するにオルタナティヴ/ガレージロックをやる日本のガールズバンドが好きなんでしょう。

天下のSONIC YOUTHのメンバーがオススメしたとあれば、欧米のリスナーはそりゃあ食いつくでしょう。

それでは日本ではどうでしょうか。「海外からの評価が高い日本の音楽」には大概「日本より海外で評価されている」という意味がくっついています。もし欧米と日本でのSONIC YOUTHの扱いに差があるとすれば、彼らに対する評価の格差が、そのままThurston Mooreが推薦しているバンドの知名度の差に繋がっていると考えて良いでしょう。

ただし、Amazonのレビュー数を比較する限りでは、現在の欧米と日本のロックファンのあいだでそれほどSONIC YOUTHの知名度に差があるようには見えません。レビュー総数こそ欧米と比べて日本では少ないですが、それは他のバンドや作品でも同じです。もしSONIC YOUTHの知名度が洋邦で差がないとすれば、日本人はThurston Mooreが推薦している、という情報に重要性を感じないか、SONIC YOUTHの先にまでアンテナを張っていない(あるいはメディアが取り上げない)かになります。

SONIC YOUTHの知名度が日本で低いとすれば「SONIC YOUTHも知らねぇのか」で、高いとすれば「どうして好きなバンドから音楽を掘り下げていかないのか」で、いずれにせよ、ステレオタイプ的な「最近の日本の音楽ファン」に対するテンプレ的な批判に繋がっていくのがやらしいところです。

欧米と日本の情報格差とその縮小

かつての「日本より海外で評価されている」の「評価」には、実際の評価の他に、知名度という意味もありました。少年ナイフやBOREDOMSなどが活動をし始めた80年代は、海外の音楽情報を得ようとするとそれなりの苦労が要りました。一般のリスナーは、その“それなりの苦労”をした限られた人物から情報を得るしかなかった。だから、海外と日本での情報には大きな格差があり、音楽好きに絞ってみても、日本より海外で有名な音楽というのが成立しました。

しかし2000年も中盤を超えたくらいから、インターネットが広く普及し、海外と日本の音楽情報の格差はどんどん少なくなっていきました。いまでは翻訳サービスを駆使すれば中高生でも海外メディアから情報を得られます。そんな状況で、初めから海外を拠点に活動しているようなバンドは別として、「日本でのみ知名度が低い」なんてことはあまり考えられません。いや、そりゃあ絶対的な「知っているひとの数」で言えばそういう事実はあるでしょう。しかしそれはそもそも音楽好きな人物という母体が少ないというだけで、そのジャンルの音楽が好きな人物に限って言えば、今回取り上げたような「海外からの評価が高い日本の音楽」は当然知っていると思います。知らないとしたら、それは過ごしている時代が違うというだけでしょう。この世代格差の問題はまた別の機会に語るとして、よしんば「日本より海外で知られている」状態があったとしても、今やSNSであっという間に拡散されて一瞬でその状態は解消されてしまうんじゃないでしょうか。

つまり現在の「日本より海外で評価されている」の「評価」は、実質的に本当に本当の意味での評価でしかなくなったことになります。

ヴェイパーウェーブブームを牽引したHi-Hi-Whoopeeの長は21歳で、ユニバーサルミュージック所属のポストスヌーザーWEB音楽誌AMPの編集長も20代。インディ音楽WEBサイト界で頭角を表しているUNCANNYなんかも大学生が運営しています。アヴァンギャルド/エクスペリメンタル界の巨匠大友良英が国営放送でノイズミュージックをかけまくるようなこの国で、彼らはもちろん、彼らの音楽観に刺激されて毎日を過ごしているいまの日本の若いリスナーは、少ないながらも確実に「海外」に肉薄した情報量と感性を付けてきていると言っていいでしょう。であれば、もはや「日本より海外で評価されている」というのは、地域の好み程度の意味しかないんではないでしょうか。

それでも多くの音楽好きが、「海外」という言葉をありがたがり、紹介された瞬間に消える「日本より海外で評価されている」という要素に飛びつくのは、この言葉の魔力を考えれば当然と言えます。海外で評価されているという“本格派”の音楽を「自分だけが知っている」という幻想に浸り音楽メイニアとしての自尊心を満たす。ネットの普及でキリがなくなった個々人の音楽知識の増大。その中で「音楽に詳しい」というアイデンティティを保つのは非常に難しいです。そこにふっと現れるオエイシス。それが「(日本より)海外で評価されている音楽」なのです。

そういう欲求があるからこそ、売る側もこの魔性の言葉を使って宣伝を繰り返すのでしょう。なるほど確かに聴き手を惹きつけるのに便利な言葉です。ただ、私がツーイッタで幾何学模様を紹介したときにカッコ書きでこの言葉を使ったのは、このグローバルでグローカルな血塗れのインターネッツ世界で、もはや欧米とか日本とかどっちで人気かとかあんまり意味ないし、その段階で留まらず判断しなよヘイ!ということだったのです。

いや、欧米と日本の差を無視しろというわけではありません。その差を考えて見えてくることはたくさんあるでしょう。そして、聴き手の欧米コンプレックスが創作の原動力となって、日本の音楽の発展に貢献してきた可能性も否定できません。とはいえ、上述のように日本と欧米という差がそれほど重要ではなくなってきている昨今、さすがに次の段階へ進んでいきたいのです。洋楽コンプレックスを刺激する宣伝や、それに乗っかって自尊心を満たす行為は、個々人の楽しみという点では全く問題ないにしろ、これからの日本の音楽の発展にはあまり意味がないと考えるのです。「海外」=“本格派”を目指すような音楽ファンなのであれば、そうした喧伝に惑わされない、もっと本格的な本格派になって欲しいのです。すなわち、なぜ海外で盛んに聴かれているのかにまで踏み込んで、その考察をもとに日本のリスナーに働きかけるような、Hi-Hi-Whoopeeのサイト運営者のようなかたにです。なぜならそうしたリスナーの増加は日本全体の音楽感性を上げることになり、後世のプレイヤーの成長にも繋がるからです。そしてそれは、私の、そして皆さんの「生涯の1曲」を生み出す肥沃な土壌と成りうるからです

持続可能な農業ならぬ持続可能な音楽。サステイナブルミュージック。これが当ブログの2014年度のテーマです。いま決めました。多くのひとがリスナーから音楽生活を始めることを考えれば、次の世代のリスナーを正しく導くことは、日々消費される音楽を末永い文化にしていくために必要なことです。

おまけ:日本より〇〇で人気のバンド紹介

カンの良い方は私が「海外」の代わりに「欧米」という言葉を使っていたことにお気づきでしょう。そう、韓国やインドネシアで人気と言っても音楽メイニアの自尊心は満たされないのです(一部の変態を除く)。しかし、日本や欧米以外にもすばらしい音楽家はたくさんいます。どの国でどういう音楽が人気なのかに目を向けることは、どの国からどういう音楽が生まれやすいかという判断にも繋がり、音楽鑑賞生活の手助けとなりますし、あと単純に楽しいです。というわけで今回は私が知っている欧米と日本以外で人気の日本のミュージシャンを紹介します。

越中 睦士

MAKOTOはタイで人気を誇っており、たびたび訪問してライブ等の活動を行っている(その人気はプミポン国王の三女チュラポーンもΛucifer時代からのファンを公言するほどである)。(Wikipedia「Λucifer」ページより

元Λucifer、現†яi¢кのボーカリストである氏のタイでの人気っぷりはこちらの記事でも伺えます。

日本では認知度が低かったルシファーですが、好きな日本人は?という質問に必ず出てくる名前「MAKOTO」。実物もかっこいいですねぇ。

てめー!当時カラオケに行ったらみんな競うように「堕天使BLUE」歌ってたっつうのー!ヒステリックな唇で!

diskatlo

日本のお耽美ブラッケンドスラッジドゥームメタルバンドです。何を隠そう私のバンドです。WEBでバンド名検索しても私の発言しか引っかからないという哀しき状態ですが、なぜかロシアで紹介されてちょっとだけ評価されてます。お願い聴いて。そして宣伝して。(でもワールドワイドウェブで宣伝や口コミをお願いするのは絶対やっちゃダメって誰かがゆってました)

わかります、わかります。これは違う、というみなさんの心、ご察しいたします。それならばこの程度の情報しか持っていない哀れな私の代わりに、日本と欧米以外でナゾの人気を誇る日本のミュージッシャンをどしどし紹介してください。そういうのすげえ好きなのですげえ喜びます。