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AMP対談記事に見る“今後の方針”とタナソイズム

AMPのあの記事

AMPは、ユニバーサル ミュージック合同会社による洋楽情報を中心とした音楽WEBメディアです。先日、そのAMPの編集長である照沼氏と野地氏の対談が話題になりました。

http://ampmusic.jp/368/

本記事は要約すると以下の通りです。

  • この話は<ほんっとうに極端>な<俺リアル>だからみんな<音楽談義のタネにして>くれよな!
  • 音楽メディア情報:レコード屋(最強) >> WEB > 雑誌
  • フィジカル > 配信:配信はお金かかってないから気合いが足りない
  • 音楽にお金かける=気合いが入ってる
  • 俺たちがレコード屋を超える“新しいWEBメディア”になる

本人たちが音楽談義のタネにして欲しいと言っているので、私も音楽サイトの末端から波風をそっと立ててみたいと思います。AMPの編集長である照沼氏を中心に見ていきます。

金は“気合い”の基準にはならない

まず、おそらくはほとんどのひとが引っかかったであろう箇所を引用しましょう。

フィジカルで出ているということが「遊びでやってるわけじゃないんだな」という判断材料になってる気がする。

リスク負ってるからね。その曲をリリースすることに対して。

「金使ってフィジカルで出す気合い」と「金出して買う気合い」がぶつかってる方が健全だと思う。

照沼氏は<「音が聴ければOK」的なところがある>と言っているので、上記の発言はフィジカルと配信という形態の差への言及ではありません。“気合い”の判断基準として“金を使っているかどうか”を利用していると言う話です。

この“気合い”というのは曖昧な言葉ですが、<遊びでやってるわけじゃない>という言葉があるので、“遊び”の対義語として定義しておきましょう。

この金を使う=気合い入っているという図式のなかで、まずひとつ抜け落ちているのが「音楽制作はフィジカルリリースだけにお金がかかるわけではない」という視点です。手持ちに100万円あったとき、100万円を音楽制作に費やしてBandcampでデジタル配信するひとと50万円を音楽制作に費やして50万円をフィジカルプレス費に充てるひとでは、後者の方が“気合い”が入ってるのでしょうか。同じ100万円という“気合い”でしょう。あるいは年収1000万円の独身貴族が片手間に作った音楽で50万円かけて作った豪華レコードと、年収300万円のフリーターが生活を切り詰めて何とか作ったデジタル配信音源では、経済的な負担は間違いなく後者のほうが上ですが、それでも前者のほうが“気合い”が入ってると言えるのでしょうか。

そう考えると、金使ってフィジカルで出す>ことと“気合い”の関係性はそれほど深くないと言えます。つまり氏の基準で音楽を選ぶと、大多数の<遊びでやってるわけじゃない>ミュージシャンの作品を捕え損ねることになります。

もうひとつ、「金だけがリスクではない」という点も指摘しておきたいです。金以外のリスクとしてすぐに思い浮かぶのが時間です。例えばXINLISUPREMEは1曲作るのに10年費やしましたが、これはミュージシャンとしてとてつもないリスクでしょう。

どの音楽を聴きどの音楽を聴かないか、その基準を決めることは有益なことです。ユニバーサルミュージック下にあるプロライターとして、ミュージシャンに“気合い”=“本気で音楽やっているか”を求める気持ちもわかります。しかし、その“気合い”の判断基準の主軸として「フィジカルで出しているかどうか」あるいは「金」を使うことを据えることは、多くの気合いの入ったミュージシャンとの出会いを放棄することになってしまうのではないでしょうか。

というわけで、無意識的にフィジカルリリースを“気合い”の基準としてしまうのであれば、明らかに情報量が不足するので、意識的に改めたほうが良いと思います。照沼氏の情報量は、そのままAMPというメディアの情報量に直結するのですから。個人ブログならまだしも、ユニバーサルミュージック下のプロなのですから。

AMPは選定者となるらしい

さて、上では“気合い”を求める気持ちはわかると言ったものの、“気合い”という判断基準もまた、大きな取りこぼしを起こします。照沼氏の<スヌーザーが無くなって、いわゆるインディーとか洋楽ロック界隈は共通の話題を持ちにくくなった>という発言から、AMPはその辺りの音楽を取り扱っていくのだとおもいます。とすれば、2010年以降のVaporwaveの流行は無視できないものでしょう。Vaporwaveは実態のつかめない音楽ですが、過去のチープな音楽をサンプリングしてごちゃごちゃに混ぜたようなふざけた音楽性を考えると、Vaporwaveは明らかに“気合い”入ってません。現在はそこにいろいろな意味が見出されているものの、作り手聴き手双方の「これおもしろくね?」という悪ふざけじみた遊びの延長線上で発展したような音楽です(そこらへんが魅力の源のひとつでもあります)。そしてそもそものその特性と、既存の音楽のサンプリング中心という権利上の理由もあって、そのほとんどはフィジカルリリースされていません。氏の基準だと、Vaporwaveは完全に抜け落ちます。

とはいえもちろん、照沼氏がVaporwaveを知らなかったわけがありません。推測ですが、照沼氏が<遊びでやってるわけじゃない>作り手と聴き手が気合いでぶつかりあう健全な音楽の反対のものとして想定していたのは、Vaporwaveだったのではないでしょうか。それは日本でのVaporwaveムーヴメントを(たぶん)けん引したレビューサイトHi-Hi-Whoopeeを記事中でわざわざ引き合いに出していることから伺えます。ともかく、Vaporwaveが氏の基準からすると“気合い”入ってないのは事実で、つまりAMP編集長である彼の「フィジカルリリース=気合入ってる」発言をわざわざ誌上に載せるということは、「我々AMPはVaporwaveのような軽いノリでやっているような音楽は軽視していく」という宣言になります。

Vaporwaveは極端に遊びに振り切っている例ですが、遊びでやっているような音楽が大きなムーヴメントになることは少なくありません。最も近い例で言えば初音ミクを中心とするボーカロイドでしょう。おそらくごく最初は女性ボーカルの代替程度にしか扱われていなかったボーカロイドは、ネギ持たせたりなんだりというネットユーザー特有の悪ノリ揉まれるうちにどんどん“初音ミク”としての個を獲得していきました。その個は大きな市場を形成し、その市場に目をつけた、あるいは単純にボーカロイドに惹かれた若き才能あるミュージシャンたちはニコニコ動画内で活躍し、そのうち何名かは新しい才能としてボーカロイド界の外にまで影響を与えました。

“遊び”を軽視し“気合い”を重視するということは、こういう、リスクがないからこそ成立するような、おもしろいひとたちがおもしろいことをやっていたらいつの間にか大きくなっていく現象を、それが成熟した段階で初めて本格的に取り扱いだす、あるいは取り扱わないということでもあります。

編集部の3分の2が“気合い”を重視するAMPは、コアなひとたちがやっている遊びのおもしろさを世に伝えるというムーヴメントの1次形成者としての働きをせず、レコード屋やレーベルが選んだものを取捨して聴き手に良さを伝える選定者(キュレーターっつーんですか)的ウェブ媒体に近くなるのでしょう。もちろん、それはまったく悪いことではありません。あのPitchforkだっていまやそういうメディアです。情報が氾濫する現在、信念を持ったレーベルの作品を、確かな耳で選定し、うまい文章やインタビューで紹介するというメディアの意味は十分あります。その中でまた別にやりたいことや信念が改めて見えてくることもあるんじゃないでしょうか。がんばって欲しいです。

機能してない言い訳

ここでちょっと別の話題に移りましょう。後日談のほうで<「雑誌的な意味でのメディア」の話題をしてもらいたかった>と書いてある通り、本記事の主題は音楽メディアです。その中で照沼氏と野地氏は“レコード屋=音楽メディア説”を唱えています。

照沼:(略)でも、昔は音楽情報を仕入れるのって雑誌やWEBメディアだったけど、今はもうレコード屋で情報仕入れることの方が多くなったな。

野地:そうなんですよ。レコード屋が一番メディアっぽい。「あ、こいつら出したんだ」とか店で気付くこともあるし。

ここでのメディアは文脈からすると“音楽の情報を得たり共通の話題になったりする場”というような意味で使われているようです。そういう意味では、確かにレコード屋は、一番ではないと思いますが、メディアっぽいでしょう。また、レコード屋はお金を出して製品を仕入れているという点で、無料音楽雑誌のAMPよりも健全で“気合い”が入っているメディアになるでしょう。だからこそ照沼氏は<完全に個人的なところでは「レコード屋がたくさんあればメディアはいらない」くらいの気持ち>を持っているのでしょう。

おそらくこの発言は、のちの<色んな連中を煽って、騙して、新しい音楽を聞かせる。そんなメディアが必要だと思ってる。>の前振りでしょう。「個人的にはWEBメディアはレコード屋に劣ると思うが、AMPはそれを超えるようなメディアにしたい」という編集長としての所信表明であると、好意的にはそう解釈できます。で、好意的でない、ふつうの感覚では「は?テメーうちのWEBメディア/雑誌をバカにしてんのか?」となるわけです。

照沼氏は、このレコード屋最強説や前述したフィジカルすなわちKIAI含めた一連の発言を「極端だから!極端だから俺!相対的にね!」と言い訳していますが、はっきり言ってそれは何の言い訳にもなっていません。例えば、例えばですよ、私が「親が差別主義者だったから、極端だけど、〇〇(とてもひどい差別表現)は全員死ねとおもってる。みんなはどう?」と言ったら「は?まずテメーが死ね」と確実に糾弾されるでしょう。そこに絶対的も相対的もクソもありません。「しかるべき意図があれば発言の内容の是非で批判されることはない」なんてことはありません。もしそういう考えがあって、かつ今後意図せぬ炎上をしたくないのであれば、改めたほうがよいとおもいます。

炎上宣伝大成功

というか今回の記事、記事の内容が主に散々に言われるという形でしかも意図した音楽メディアの話が中心ではないとはいえ、音楽談義のタネに十分なってますよね。その意味では完全に成功だとおもうんですけど。なんで失敗みたいな捉え方してるんでしょうか。大手ユニバーサルミュージックのサイトでありながら、4月10日現在「amp」でGoogle検索してもまったく引っかからず、「amp music」で検索してもアフリカのインディーズ音楽を世界中に発信するレーベルが真っ先に出てくるという状態の、4月にできたばかりのサイトに関して、ここまでいろんなひとが言及して、こんな長文を書くものまで現れるっていうのは、AMPという独自性の全くないサイト名をつけてしまったというSEO的欠点をひっくり返すほどの大成功だと思います。精神的には大変かもしれませんが、自信を持っていいでしょう。

照沼氏はタナソウになりたかった

序文に出てくる<2014俺リアル>という表現や、繰り返される“極端”アピール、<メディアはいらない>発言、<色んな連中を煽って、騙して>発言などの歯に衣着せぬモノイイを見ていると、ひとりの人物が浮かび上がってきます。

そう、タナソウです

これなんか完全に今回の照沼氏と被りますね。

記事の文章から察するに、照沼氏はスヌーザーの熱心な読者であったようです。そればかりか「AMPが廃刊したスヌーザーの代わりになる!」という決意さえうかがえます。照沼氏はスヌーザーの代わりになるAMPのブレインなのですから、それはすなわちタナソウの代わりになるということでもあります。だからこそ照沼氏はタナソウ的な物言いで、タナソウ的に音楽界隈に議論のタネを提供しようとしたのでしょう。そしてそれは、タナソウ的に大成功に終わりました。

ただひとつ間違いがあったのは、照沼氏のメンタルが繊細だったことです。タナソウ的発言に対してしかるべくして返ってきた批判に対してどっしり構えられず、「怒らないで!」と及び腰になって「意図が伝わらなかった」という言い訳をしだした。そして<編集者としての力量不足によるところで、完全に僕のミスです>と自分を責めだした。その割に自分の偏った発言については一切釈明も撤回もしないもんだから、「こいつ本当は自分が正しいと思ってるだろ」と読者に疑念を抱かせて、「意図が伝わらなかった」ことも読者のせいだと若干思ってるな、と思わせてしまった(後日談の<そもそもの記事タイトルは「音楽情報メディアって読んでますか?」なのに>という発言からも、そういう雰囲気が取れますよね)。その、繊細な心を持ちながらも強気な発言をしてしまい、反論に対して自分の非を認めるような広い心を持ってる感を出しつつも、結局全く本心は曲げずに他人のせいにもしているような雰囲気は、なんかすごくスヌーザー読者のインディ青年だなあ、という同属感すげえ感じる感じですが、それはともかく、その行為はタナソイズムにもとる行為で、タナソウになりたいなら、もっと「俺がそう言ったんだから良いんだよ!」くらいのふてぶてしさを発揮していったほうが良いと思いました。

最後に。29歳でユニバーサルミュージック下のWEBメディアの編集長になったのは単純にチャンスだと思います。これにめげずにがんばって日本のPitchforkになって欲しいです。