ミュージシャン自身が宣伝や経営などの舞台裏を語ることによる弊害

前書き

以下、ある記事を対象にいろいろ述べていきます。否定的な内容に受け取られるかもしれませんが、そういうわけではありません。その有効性を十分に認識したうえでの、「こういうことも考えられる」というものです。ビタミンは体にいいけど、取りすぎは良くないよ、というようなものだと思ってください。

ミュージシャンが行う宣伝

ネットの発達によって、アマチュアミュージシャンのあり方も多様になりました。販売経路の確保や宣伝といった、従来はレコード会社やあるいは“現場”で行われていたことが、自宅でかつ個人規模でできるようになりました。YoutubeやFacebookといった多数の利用者に発信できる場の登場に加え、Bandcampなどの音源販売サービスの普及によって、ネットには有象無象の音楽作品がひしめくことになりました

さて、ウェブ利用という選択肢が増えたものの、そこでは大量の音楽作品からどう抜きん出るかという課題があります。その課題を乗り越えるために、レコード会社に所属したりライブ活動をしたりすることは依然有効です。とはいえ、活動形態や資金面、あるいは信条としてそれができない場合も多いでしょう。そうしたときに、宣伝を意識したウェブ活動を行うことは、自身の音楽を大勢に知ってもらうこと、また収入を得ることに繋がるでしょう。


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上記の記事は、アマチュアミュージシャンが自分たちを多くのひとに知ってもらうためにどのようにSNSなどのウェブサービスを活用いていけばいいか、というミュージシャンへの指南書になっています。このような内容の記事は、数年前からウェブ業界やアダルトサイト作成界隈で流行りました。

理由としては主にふたつ。

ひとつは単純に読み物として興味を引く話題だから。こうした記事で言及されている内容は“舞台裏”で、サービスを受け取る側には全く関係ない話題です。ただ、こうした舞台裏語りは一般層にとってもなかなか興味深いというか、週刊誌的興味を引きます。さらに、潜在的に経営側に回りたいひとは多いと考えられ、そうした層の興味を強く引き付けるでしょう。アダルトサイト作成のノウハウ記事と聞けば、とりあえずどれだけ稼げるのかくらいは気になる人は多いでしょう。ミュージシャンの宣伝活動と聞けば、自分がミュージシャンになった時の妄想がはかどるでしょう。舞台裏語りは魅力的な読み物として十分に成立します。

ふたつ目は、宣伝効果が高いから。読み物としておもしろいということは、それだけ多くの人の目にとまります。ウェブサービスの記事であれば、そのサービスがそのままその人の企業に対する履歴書になります。あるいは執筆者がミュージシャンであれば自身の作品を聴いてもらう機会に繋がります。

以上のように、舞台裏語りは確かに書き手にとって魅力的な題材です。しかしながら、このような内容の記事は音楽界隈ではあまり効果がないか、あるいは逆効果になるんじゃないかと思っています。

舞台裏語りの弊害

例として、お笑いになりますが、品川庄司の品川氏の発言を挙げましょう。彼はアメトーークの、確かひな壇芸人か何かで以下のようなことを言っていました。

新番組の収録が終わったときに「うわー、この番組すごく新しいですよね!」って大声で誉めるんです。そうするとスタッフさんの印象が良くなって、その番組にたくさん出させてもらったり、その人たちが関わる別の番組に呼んでもらったりできる。

このごますり自体は戦略として何ら間違っていません。実際に彼はこうした手段でテレビ出演本数を増やしていったのでしょう。ただ、それをテレビでネタにしたのはまずかった。だって、このことを知ったスタッフはどう思うでしょうか。間違いなく「あいつ、そういう理由で誉めてやがったのか」と反感を覚えるでしょう。そして以後、品川氏のどのような発言に対しても「何か裏があるのではないのか」と勘繰るようになるでしょう(週刊誌的にはその性格の悪さなどがレギュラー本数の低下に繋がったとされていますが、上記のような制作側での評判も関わっている可能性はあります)

さて、冒頭の記事のなかの、ツイッターの活用について言及している部分に以下のような一節があります(複数の投稿をつなげています)

まず「自ら率先してコミュニケーションを取ることの意義」に関して。これは「自分のツイートを日常的に認識してもらうため」です。「リストに自分を入れてもらうため」とも言い替えられます。

品川氏ほどあざとくはないにせよ、コミュニケーションの裏に宣伝があることが示されています。ネット上の誰かが親しげに話しかけてくるのは大概嬉しいものですが、その背景に利害が絡んでいるとなると話はそう単純にはいかないでしょう。

もちろんこうしたあざとさは、上記の発言がなくとも普段のやり取りから感じられるものです。一億総ツッコミ時代と呼ばれる現代で、このような行動原理はたやすく見透かされます。しかしながら、それを明言するのとしないのとでは大きな差があります。ツッコミも含めてコミュニケーションとしての意味も持っていた発言も、「これは宣伝のためにやっています」という明言によって一方的な“宣伝である”と認識されてしまいます。結果としてリスナーの目には「宣伝でないように装って宣伝している」と映り、それはステルスマーケティングと同様に悪印象を与えます。

語らないことによるミスティフィケーション

さて、以前ツイッターで下記のような発言を見かけました。

「手口」という部分が重要です。何も「語らないこと」自体が全て問題視されるのではありません。それが自らを神秘化するための手口だから非難されるのです。例えばあるミュージシャンがこう語っていたとしましょう。

「私は作品について詳しく語りはしない。基本的に、作品で伝えたいことは全て作品に込めているから」

どうでしょうか。確かに彼は結果的に神秘化されるかもしれません。しかしそれは彼の美学の結果であって、決して意図的なものではありません。したがってこのような発言が、それが美学であるならば、「語らないことによるミスティフィケーション」にはあたるとは私は思いません。(なお、上記の発言は椎名林檎のものだったと記憶しています)

問題とされるのは、ある種の言動などが作品とは別に存在し、故意に作品を大きく見せるようになっていた場合です。そういうことがもし雑誌などのメディアによって行われた場合、それはハイプとか呼ばれます。つまり「語らないことによるミスティフィケーション」は、語らないという広告手法で行われる本人によるハイプと言えるでしょう。

このハイプは、作品こそが“作品”であって、広告などで付加された価値は“作品”には含まれないという作品至上主義的観点から嫌われます。そして、そういう観点でいくと、「意図的に自分のファンやファンになりそうなひととコミュニケーションを取ること」、それによって「意図的に自らのバンドコミュニティを拡大すること」は、自らとファンの距離を縮める“脱神秘化”とも呼べる所業で、それもまたハイプであり、同様に一部の人々から嫌われてもおかしくないのです。本稿ではそれを“語りすぎることによるディスミスティフィケーション”とします。

逃げ道のないハイプ

“語りすぎることによるディスミスティフィケーション”は、上記の作品至上主義によるハイプへの嫌悪から、ミュージシャンへの負の印象へと繋がります。そしてこれは、従来のハイプよりもより深刻な悪印象をもたらします。

従来のハイプは主に雑誌や事務所が行っていて、ミュージシャンにとっては受動的な出来事でした。したがって、メディアの積極的な宣伝で獲得されたファンは、そのハイプの事実を突きつけられても「いや、でも彼らがやったことではないじゃん」と逃げることができました。

一方で“語りすぎることによるディスミスティフィケーション”は、ミュージシャンが能動的に行っているものです。どんなに言い訳しようとも、そこにあるハイプ感はミュージシャン自身から発せられるものです。「ハイプするやつは悪」という価値観からは逃げようがありません。逃げ道のない嫌悪は、したがってミュージシャン自身に向けられる他ないのです。ミュージシャン自身への好悪は、当然その人の作品への好悪へ容易に繋がります。

この件に関してはこちらの記事でもちょっと言及しているので参考にどうぞ。

まとめ

“舞台裏語り”による弊害は以下にまとめられます。

  • 双方向だったやり取りが一方的かつ宣伝的になってしまう
  • そうした宣伝性がハイプ感とその嫌悪に繋がり、そのハイプ感はミュージシャンへと帰属する

ウェブ業界は基本的にビジネスを中心として成り立っています。したがって、宣伝や広告は必要な技術であって、悪質なものを除き不当なものではありません。また、アダルト業界は、もうそんなの関係なく快適にヌケればいいので舞台裏を語ろうが宣伝にしかなりません。しかしながら音楽業界は、反資本主義思想、すなわちロックを内包しています。そのロックが、こうした一般的な宣伝手法とその明示に反発する可能性は十分にあり得ます。

冒頭でも述べたように、この記事は「こういうことも考えられる」というものです。元記事で示されている、たくさんの人に聴いてもらいたければ宣伝活動をしましょう、というのは全くもって正しいですし、内容も非常にためになるものです。ミュージシャンのひとは一読しておいて損はないでしょう。ただし、この手の話題がリスナーに伝わってしまった場合、悪い効果もありえます。自分たちのバンドがどういう立ち位置なのか、どういう層に好まれるのかも考えなければ、逆効果になりかねません。

なお、「舞台裏はリスナーに知られるとまずい!」とか言っておきながらこんな記事を書いて言及している矛盾に対するアンサー。

「語りすぎることによるディスミスティフィケーションって言いたかった……」