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KNORKATOR『We Want Mohr』(2014, Folk Metal):EPにしたほうが良かった感

ジャケやアーティスト写真を見ていただければわかるようにコミカルな雰囲気が強く、あんまりメタルとしてマジメに聴くようなもんではありません。この手のバンドはいかに楽しく飽きずに聴けるかという点が重要です。

彼らの音楽性は、基本的にはタイトなリズムとヘヴィなリフのなかに民族的な旋律を挟み込むフォークメタルです。ボーカルがドイツ語で唄っているのが大きな特徴です。耳馴染みのなさは民族的な旋律と重なって大いに異国感をかもし出しています。

その異国情緒を武器にして、作品の前半はコミックバンドらしいテンションの高さと、だてにNuclear Blastから出てねえぜと言わんばかりの引き出しの多さで大いに楽しませてくれます。特にピアノとストリングスの悲哀の旋律から一気にバカ騒ぎになりインダストリアルになり、最終的にそれらが一緒になってしまう#3「L」は見事です。しかし#6「Fortschritt」あたりから雲行きが怪しくなり、ミドルテンポでシリアスで展開の少ないタルい曲が続きます。これ、彼らにとっては致命的なんですよね。

コミカルでフォークなメタルという彼らと似たような立ち位置のバンドとしてKORPIKLAANIが挙げられます。KORPIKLAANIは彼らよりもよりメタル要素が強く、また、その容姿やプロモーションビデオからメタルへの飽くなき愛がひしひしと感じられます。だから、例えコミカルというキャッチーな要素が薄い曲が続いたとしてもそれはそれで“メタル”として我々の耳に入ってくるのでアルバムとしての間はそれほど伸びません。

また、コミカルに振り切った日本の仙台貨物やゴールデンボンバーは、ゲイやエアバンドといった明らかにおかしい背景を持っているので、どんな曲をやろうともその背景が曲におかしさを付け足します。しかしながらKNORKATORの場合、そうした明確なナニカが見られない。だから、5曲も6曲もタルい曲が続くと、タルい印象そのままになってしまう。

歌詞がわかればもっと違う印象を持てるのかもしれません。前作では<俺は息継ぎなしで2分間水にもぐっていられるぜ!お前にはできないだろ!>とかひたすら繰り返していましたが、それだけではなんとも……。

というわけで5曲目までのEPとして考えることにします。それだとテンションぶちあがり!!

このバンド、明らかにシリアスな雰囲気もまとっているので、こう、コミックバンドと断じてしまうのはなんとも危険な気はしています。つってもまともに聴いたら聴いたで、やっぱり中盤タルいんですが……。

ミュージシャン自身が宣伝や経営などの舞台裏を語ることによる弊害

前書き

以下、ある記事を対象にいろいろ述べていきます。否定的な内容に受け取られるかもしれませんが、そういうわけではありません。その有効性を十分に認識したうえでの、「こういうことも考えられる」というものです。ビタミンは体にいいけど、取りすぎは良くないよ、というようなものだと思ってください。

ミュージシャンが行う宣伝

ネットの発達によって、アマチュアミュージシャンのあり方も多様になりました。販売経路の確保や宣伝といった、従来はレコード会社やあるいは“現場”で行われていたことが、自宅でかつ個人規模でできるようになりました。YoutubeやFacebookといった多数の利用者に発信できる場の登場に加え、Bandcampなどの音源販売サービスの普及によって、ネットには有象無象の音楽作品がひしめくことになりました

さて、ウェブ利用という選択肢が増えたものの、そこでは大量の音楽作品からどう抜きん出るかという課題があります。その課題を乗り越えるために、レコード会社に所属したりライブ活動をしたりすることは依然有効です。とはいえ、活動形態や資金面、あるいは信条としてそれができない場合も多いでしょう。そうしたときに、宣伝を意識したウェブ活動を行うことは、自身の音楽を大勢に知ってもらうこと、また収入を得ることに繋がるでしょう。


#バンド / アーティストが知名度をアップするための方法をまとめてみた

上記の記事は、アマチュアミュージシャンが自分たちを多くのひとに知ってもらうためにどのようにSNSなどのウェブサービスを活用いていけばいいか、というミュージシャンへの指南書になっています。このような内容の記事は、数年前からウェブ業界やアダルトサイト作成界隈で流行りました。

理由としては主にふたつ。

ひとつは単純に読み物として興味を引く話題だから。こうした記事で言及されている内容は“舞台裏”で、サービスを受け取る側には全く関係ない話題です。ただ、こうした舞台裏語りは一般層にとってもなかなか興味深いというか、週刊誌的興味を引きます。さらに、潜在的に経営側に回りたいひとは多いと考えられ、そうした層の興味を強く引き付けるでしょう。アダルトサイト作成のノウハウ記事と聞けば、とりあえずどれだけ稼げるのかくらいは気になる人は多いでしょう。ミュージシャンの宣伝活動と聞けば、自分がミュージシャンになった時の妄想がはかどるでしょう。舞台裏語りは魅力的な読み物として十分に成立します。

ふたつ目は、宣伝効果が高いから。読み物としておもしろいということは、それだけ多くの人の目にとまります。ウェブサービスの記事であれば、そのサービスがそのままその人の企業に対する履歴書になります。あるいは執筆者がミュージシャンであれば自身の作品を聴いてもらう機会に繋がります。

以上のように、舞台裏語りは確かに書き手にとって魅力的な題材です。しかしながら、このような内容の記事は音楽界隈ではあまり効果がないか、あるいは逆効果になるんじゃないかと思っています。

舞台裏語りの弊害

例として、お笑いになりますが、品川庄司の品川氏の発言を挙げましょう。彼はアメトーークの、確かひな壇芸人か何かで以下のようなことを言っていました。

新番組の収録が終わったときに「うわー、この番組すごく新しいですよね!」って大声で誉めるんです。そうするとスタッフさんの印象が良くなって、その番組にたくさん出させてもらったり、その人たちが関わる別の番組に呼んでもらったりできる。

このごますり自体は戦略として何ら間違っていません。実際に彼はこうした手段でテレビ出演本数を増やしていったのでしょう。ただ、それをテレビでネタにしたのはまずかった。だって、このことを知ったスタッフはどう思うでしょうか。間違いなく「あいつ、そういう理由で誉めてやがったのか」と反感を覚えるでしょう。そして以後、品川氏のどのような発言に対しても「何か裏があるのではないのか」と勘繰るようになるでしょう(週刊誌的にはその性格の悪さなどがレギュラー本数の低下に繋がったとされていますが、上記のような制作側での評判も関わっている可能性はあります)

さて、冒頭の記事のなかの、ツイッターの活用について言及している部分に以下のような一節があります(複数の投稿をつなげています)

まず「自ら率先してコミュニケーションを取ることの意義」に関して。これは「自分のツイートを日常的に認識してもらうため」です。「リストに自分を入れてもらうため」とも言い替えられます。

品川氏ほどあざとくはないにせよ、コミュニケーションの裏に宣伝があることが示されています。ネット上の誰かが親しげに話しかけてくるのは大概嬉しいものですが、その背景に利害が絡んでいるとなると話はそう単純にはいかないでしょう。

もちろんこうしたあざとさは、上記の発言がなくとも普段のやり取りから感じられるものです。一億総ツッコミ時代と呼ばれる現代で、このような行動原理はたやすく見透かされます。しかしながら、それを明言するのとしないのとでは大きな差があります。ツッコミも含めてコミュニケーションとしての意味も持っていた発言も、「これは宣伝のためにやっています」という明言によって一方的な“宣伝である”と認識されてしまいます。結果としてリスナーの目には「宣伝でないように装って宣伝している」と映り、それはステルスマーケティングと同様に悪印象を与えます。

語らないことによるミスティフィケーション

さて、以前ツイッターで下記のような発言を見かけました。

「手口」という部分が重要です。何も「語らないこと」自体が全て問題視されるのではありません。それが自らを神秘化するための手口だから非難されるのです。例えばあるミュージシャンがこう語っていたとしましょう。

「私は作品について詳しく語りはしない。基本的に、作品で伝えたいことは全て作品に込めているから」

どうでしょうか。確かに彼は結果的に神秘化されるかもしれません。しかしそれは彼の美学の結果であって、決して意図的なものではありません。したがってこのような発言が、それが美学であるならば、「語らないことによるミスティフィケーション」にはあたるとは私は思いません。(なお、上記の発言は椎名林檎のものだったと記憶しています)

問題とされるのは、ある種の言動などが作品とは別に存在し、故意に作品を大きく見せるようになっていた場合です。そういうことがもし雑誌などのメディアによって行われた場合、それはハイプとか呼ばれます。つまり「語らないことによるミスティフィケーション」は、語らないという広告手法で行われる本人によるハイプと言えるでしょう。

このハイプは、作品こそが“作品”であって、広告などで付加された価値は“作品”には含まれないという作品至上主義的観点から嫌われます。そして、そういう観点でいくと、「意図的に自分のファンやファンになりそうなひととコミュニケーションを取ること」、それによって「意図的に自らのバンドコミュニティを拡大すること」は、自らとファンの距離を縮める“脱神秘化”とも呼べる所業で、それもまたハイプであり、同様に一部の人々から嫌われてもおかしくないのです。本稿ではそれを“語りすぎることによるディスミスティフィケーション”とします。

逃げ道のないハイプ

“語りすぎることによるディスミスティフィケーション”は、上記の作品至上主義によるハイプへの嫌悪から、ミュージシャンへの負の印象へと繋がります。そしてこれは、従来のハイプよりもより深刻な悪印象をもたらします。

従来のハイプは主に雑誌や事務所が行っていて、ミュージシャンにとっては受動的な出来事でした。したがって、メディアの積極的な宣伝で獲得されたファンは、そのハイプの事実を突きつけられても「いや、でも彼らがやったことではないじゃん」と逃げることができました。

一方で“語りすぎることによるディスミスティフィケーション”は、ミュージシャンが能動的に行っているものです。どんなに言い訳しようとも、そこにあるハイプ感はミュージシャン自身から発せられるものです。「ハイプするやつは悪」という価値観からは逃げようがありません。逃げ道のない嫌悪は、したがってミュージシャン自身に向けられる他ないのです。ミュージシャン自身への好悪は、当然その人の作品への好悪へ容易に繋がります。

この件に関してはこちらの記事でもちょっと言及しているので参考にどうぞ。

まとめ

“舞台裏語り”による弊害は以下にまとめられます。

  • 双方向だったやり取りが一方的かつ宣伝的になってしまう
  • そうした宣伝性がハイプ感とその嫌悪に繋がり、そのハイプ感はミュージシャンへと帰属する

ウェブ業界は基本的にビジネスを中心として成り立っています。したがって、宣伝や広告は必要な技術であって、悪質なものを除き不当なものではありません。また、アダルト業界は、もうそんなの関係なく快適にヌケればいいので舞台裏を語ろうが宣伝にしかなりません。しかしながら音楽業界は、反資本主義思想、すなわちロックを内包しています。そのロックが、こうした一般的な宣伝手法とその明示に反発する可能性は十分にあり得ます。

冒頭でも述べたように、この記事は「こういうことも考えられる」というものです。元記事で示されている、たくさんの人に聴いてもらいたければ宣伝活動をしましょう、というのは全くもって正しいですし、内容も非常にためになるものです。ミュージシャンのひとは一読しておいて損はないでしょう。ただし、この手の話題がリスナーに伝わってしまった場合、悪い効果もありえます。自分たちのバンドがどういう立ち位置なのか、どういう層に好まれるのかも考えなければ、逆効果になりかねません。

なお、「舞台裏はリスナーに知られるとまずい!」とか言っておきながらこんな記事を書いて言及している矛盾に対するアンサー。

「語りすぎることによるディスミスティフィケーションって言いたかった……」

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ALTAR OF BETELGEUZE『Darkness Sustains the Silence』(Doom Metal):新年明けまして「なんかヘン」

先人があえて排除したような要素を再度取り込むことで新たな境地を切り開くことは、メタル界で頻繁に見られる。近年であればスラッジ/ポストメタル勢。BARONESSやGLOWN BELOWなどが、「ポストメタル」の先にあるオリジナリティを歌を軸に切り開こうとしている。

本作もそういった意味では、歌がオリジナリティの基盤となっている。元となる音楽はデスドゥームだ。破滅を想像させるモノクロのアートワーク。闇と沈黙。終わりなき世界。彼らは、そうしたイメージを裏切らない音を出している。非業のトレモロに濁ったリフ、人間を辞めたグロウル。そのような、非人間性をウリにしているような、歌とは縁が遠い曲に歌を取り入れた、その意欲をまず評価したい。

したいのだが、もっとやりようがあったのではないか

こうした暗くて黒い音楽に歌を乗せる場合、NEUROSISがやったような、音程の変化があまりないお経形態が良く見られる。またあるいは、叫びに近い歌もあるだろう。いずれにせよ感情や雰囲気を演奏と統一させている場合が多い。ところが彼らはそうした配慮は一切なく、デスドゥームにへヴィメタル的な歌をぶち込んできている。めちゃくちゃ例のフシまわしでガッツリ歌い上げている。その歌を聴いて私の頭にまず浮かんだのはMETALLICAだ。デスドゥームfeat.ヘットフィールド。なんだそれは。

もちろん、デスドゥーム一辺倒にそうした歌が乗っているわけではない。#1「Epitaph」ではその後の未来を予知させる美麗なツインギターが聴けるし、#2「The Spiral Of Decay」ではCATHEDRALも思わせるノリを見せている。その他の曲でも時折ヘヴィメタリックなノリやスラッシュじみた疾走がある。極端ではないが、歌が入るパートではやはり少しヘヴィメタルに寄っている(ストーナーっぽさもある)。あるいはその逆で、デスいグロウルが入るパートではデスメタルに寄っている。そう、なんというか、良く練られているのである。デスドゥーム+ヘヴィメタル歌唱という飛び道具でしかない組み合わせのくせに、最初の衝撃を差っぴいて聴いてみると、これが見事に馴染んでいるのだ。

歌、暗いドゥームという要素だと、2012年のPALLBEARERを思い出す方も多いだろう。だがあちらはドゥームのスペシャリストが<旧と新の要素が交錯する感じ>と述べているように、あくまでドゥームの中で完結していた。だからこそ一貫性があり、Pitchforkで8.4点という高評価を得られたのだ(あと叙情的だったし)。一方でALTAR OF BETELGEUZEはドゥームでデスで、そのくせスラッシュでヘヴィメタルで、どう考えてもそうした脚光は得られない一発ネタ臭さが強く、しかしながらそれだけでは終わらない錬度を感じ、だからこそ私が声を上げて応援していこうと思ったのだった。切り開けドゥームの新境地


4分を超えたあたりから唐突に件の歌が入る。

「ヴィジュアル系」に対する貴方の偏見をあらぬ方向へ持っていく新世代「ヴィジュアル系ロックバンド」

前書き

こういう記事がすでにあります

とはいえ、上記の記事は書いてる途中に知ったもので、本記事が当該記事に対するアンサーとかそういうのではありません。たまたま同じような趣味のひとが、けれどもまったく違う視点でヴィジュアル系と世間の偏見に対して向き合った。そういう観点で読み比べてみるとおもしろいかもしれません。それでは本編へどうぞ。

90年代ヴィジュアル系と偏見

90年代はヴィジュアル系が世間様の衆目を集めた奇跡の時代。彼らは、今現在サブカル系ロックバンドが出て欲しくない音楽番組ナンバーワンのMUSIC STATIONにばしばし登場していました。そこで子供たちにトラウマを植え付けて苦情を殺到させたり(DIR EN GREY)、備品をぶっ壊して出禁になったり(PIERROT)、タバコを吸いながら演奏して「サイアク」とうちの母に言わせたりと(ラリクアンドシエル)暴虐の限りを尽くしていました。ちょうどのそのあたりの事件が起こったあたりで世間様は「あ、なんかこいつらコワイしキモイ」と気付いてしまい、ヴィジュアル系はヘビメタと並ぶ迫害対象として認知されました(日本音楽界でその両方を体現してるX JAPANすげえ)

そんな風にして出来上がったヴィジュアル系に対する圏外からの偏見は、キモい化粧男とかそういう暴言を止めていただくと、黒とか薔薇とか髑髏をまとって君との狂おしき愛を嘆くとかいう限りなくお耽美ちゃんな世界観か、あるいはもっとライトで、なんか黒い服着てかっこつけてる人たち、というものになっています。そして当然、ヴィジュアル系は90年代からお茶の間から姿を消しているわけですから、その偏見は今でもあまり変わっていないでしょう。

さて、数年前から90年代ヴィジュアル系が再度盛り上がる動きを見せています。例えば90年代ヴィジュアル系辺りのヒット曲を現代のヴィジュアル系がカバーする『CRUSH!』シリーズの発売。これはカバービジネスの好調と「90年代ヴィジュアル系を再評価しよう」というという動きが合わさった結果だと考えられます。また、往年のヴィジュアル系バンドの再結成やメディア露出も目立ちます。なかでもLUNA SEAの13年ぶりの新作の発売は近年の90年代ヴィジュアル系賛美の最大風量と言ってもよいでしょう。あるいは、因縁の(一部バンドだけ)MUSIC STATIONで見せたYOSHIKIのYOSHIKIでしかないパフォーマンスは、ヴィジュアル系が再びお茶の間にビジュアルショックをもたらす最大の予兆と言えるでしょう。

こうした動きが出てきた背景としては、あの頃必死になってヴィジュアル系を聴いていた世代が、満を持して世の中を動かす年齢になったことが考えられます。とすればしばらくはメディア側での90年代懐古は続くと考えられ、そうなると当然世間様のなかで再度「ヴィジュアル系ってこういうもの」という90年代的偏見が強まることと考えられます。

しかしこれは非常にもったいない。

音楽というのはただ聴いて一面的な“感動”をするだけのものではないのです。時に指差してゲラゲラ笑ったり、不快な思いをしたり、侮蔑の念を送ったり。またあるいはファッションとして身に着けたり、イデオロギーの形成に利用したり。そういうある意味では邪道な“感動”も音楽の素晴らしいところであり、クソなところでもあるのです。そしてそのヨコシマな楽しみ方をするのに、ヴィジュアル界隈ほど適しているジャンルはないと私は考えるのです。

そういう観点で、うちの母親のような一般人はまあ置いといて、そこそこ音楽が好きな人たちが、未だに「再会の血と薔薇(キリッ」という偏見しかもっていないのは損失と言えます。今のヴィジュアル界は音楽面はもちろん、その他面でもいろんなひとたちがおり、既存の偏見を打ち破り、新たな偏見を生み出す力が十二分にあるのです。

というわけでヴィジュアル系歴38年(自称)のバンギャ男がお送りする、「ヴィジュアル系」に対する貴方の偏見をあらぬ方向へ持っていく新世代「ヴィジュアル系ロックバンド」です。どうぞ。

アンティック-珈琲店-~Cool to KAWAII~

お前らどこのポップティーンだよ、というようなキャピズム全開の容姿でポップな曲を元気に演奏。ヴィジュアル系特有の声質も、従来のねっとりといたキメ声から喉をつめたようなネコナデ声になっています。

そう、アンティック-珈琲店-(あんてぃっくかふぇ)。2000年代最大の戦犯です。2000年に結成された彼らはまたたくまに人気を得て、2006年の「NYAPPY in the world」でその名を歴史に刻みました。

明日が不安で見えなくて 自信を失ってる時には
さぁ みんなで唱えよう 奇天Let’sな呪文

てぃ羅魅酢 ニャッピーo(≧∀≦)o 鳩
鳩 ニャッピーo(≧∀≦)o てぃ羅魅酢

筆者注:
てぃ羅魅酢=てぃらみす
ニャッピーo(≧∀≦)o=にゃっぴー(顔文字は発音しない)
鳩=ぽっぽ

この歌詞が大空に浮かべた思い出の中で踊る二人を見つめ泣いていた人たちの逆鱗に触れることは想像に難くありません。音楽、歌詞、見た目その全てにおいて、従来のクールで黒で薔薇で骸骨なイメージを一切拝してなんかもうキュートでピンクできらきらでネコになったという点で、彼らは革命であったのです。

ちなみにこういうヴィジュアル系はオサレ系と呼ばれています。バロックが始祖と言われています。

バロック – たとえば君と僕

謎のエロさ。

YOHIO~海を越えたkawaii~

上記映像には映っていませんが、アンティック-珈琲店-には坊というギタリストがいました。彼はプロモで女子高生の格好をしたりするいわゆる女形で、そのあまりのカワイイが同バンドの人気を支えていた部分もあるでしょう。

そう、ヴィジュアル系といえば女形の存在です。女形と言えば、90年代を知るひとであればIZAMの印象が強いでしょうか。もう少し詳しいひとならMana様を挙げるところでしょう。90年代ヴィジュアル系の女形メンバーは、そのゴシック要素の強さから、耽美を極めた結果の女性性獲得といった風情でした。一方でIZAMはその雰囲気がなく、単純に女装という側面が強かった。そのカジュアルな女形に、近年の化粧技術の向上と若手特有のチャラさがあわさって、前述のアンティック-珈琲店-に続くカワイイを重視したバンドたちが「かわいいから」とか「おもしろいから」とか「いやなんとなくノリで」とか、そういう雰囲気で女形をやるようになった。ゴシカルな、空想上の美として存在していたヴィジュアル系の女性性が、カジュアルなその辺の高校生レベルにまで繰り下がっている。すなわち女形内での新ジャンル“男の娘”が確立されたのです。


※右の子にはチンコ生えてます。

そうした気軽な女装が世界に輸出されているニッポンのkawaiiという概念と結びつき、遠くスウェーデンの地で生まれた女装男子。それがYOHIOです(埋め込み無効なのでリンク先をご覧ください)

1995年生まれの彼に関してはこちらのインタビューが詳しいです。かいつまんで抜き出すと以下のような感じ。

  • (ヴィジュアル系を最初に聴いたとき)たぶん“サムライ”を初めて知ったときと同じような感覚だった
  • 「どういう人たちなんだろう」って見てみたら「あ、女の子なんだ」って。実はそれは男の子ってわかったときは本当にビックリした(笑)。
  • 子供の頃からしょっちゅう女の子に間違われていてそれがコンプレックスだったりもしたんだけど、アンカフェ(筆者註:アンティック-珈琲店-のこと)の元ギタリストの坊くんが女の子の格好をしていて、それを見たときに「僕にもできるかも、これが僕の居場所なのかもしれない」って思って。

そんな彼は『REACH the SKY』で日本デビューを果たしています。上記の曲はその中の「SKY☆LiMiT」です。ポップな曲調に突如ヘヴィなパートやシャウト、テクニカルフレーズをねじ込んでくる辺り、現代のヴィジュアル系の流行を組んでいて見事です。とはいえ別のインタビューでは本格派メタルヴィジュアルバンド“薔薇の末裔”ことVERSAILLESを<最も尊敬している>と語っているあたり、お耽美な感性も持っているようです。

Versailles – “Philia”

活動休止しちゃったょ……

また、インタビューにも出てきますが、彼はSEREMEDYというバンドのギタリストもしています。SEREMEDYは2011年にV-Rock Festivalで来日を果たしています。スウェーデンというとARCH ENEMYMARDUKなど、日本でも人気のメタルバンドを数多く輩出していますが、海外ヴィジュアルロックの中心地にもなって欲しいところです。

Seremedy – NO ESCAPE (OFFICIAL PV)

ベースのキラめく瞳……

そういえばヴィジュアル業界ではご察しの通りBL妄想も盛んですが、こういう人たちはどう扱われるんでしょうか。私、気になります。

仙台貨物

ヴィジュアル系は美しき男性メンバーが主体ということもあり時に“ヴィジュアルゲイ”と揶揄されることがありますが、そのゲイズムを逆手に取るとかそういうの無視してひたすら悪ふざけをしているバンドがこの仙台貨物です。まずボーカルのイガグリ千葉の見た目でマジメなロックファンは顔を引きつらせるでしょうし、そのサウンドの軽さや下ネタでしかない歌詞の下劣さは二度と回復できぬ悪印象を与えるでしょう。でもちょっと待ってください。このバンドはNIGHTMAREというバンドの別名義(非公式見解)で、そちらではLUNA SEA直系の本格黒服ヴィジュアル系をやっています。

NIGHTMARE / SLEEPER

おもしろいのは、彼らは単独でバンドとして成り立っているところです。確かにNIGHTMAREありきのバンドではあるけれども、単独で何度もライブをやっていますし、フルアルバムも2枚も出しています。大御所の下手なプロジェクトよりよっぽど長持ちしています。全く違う音楽性のバンドを掛け持ちして、その二つで武道館公演を成功させ、ファンを熱狂させることができるロックバンドなんて他にいるでしょうか。もちろんこれにはバンギャルがバンドではなく人単位で音楽に接しがちなことなんかも関係していると思われますが、それ含めてその存在を考えていきたいバンドです。

仙台貨物だけであれば単なるコミックバンドで、氣志團やゴールデンボンバーと同列に語られるような存在です。でもそこにNIGHTMAREという音楽的基盤が加わることで、独自の立ち位置を築いている。あえて大げさに言いますが、彼らはヴィジュアル系が起こしたひとつの奇跡でしょう。

ちなみに昨年レディー・ガガがMUSIC STATIONに登場したとき、きゃりーぱみゅぱみゅをパロった格好をしたと話題になりましたが、あれ、実は仙台貨物の千葉から着想を得たメイクなんですよ。

Mix Speaker’s,Inc.~2.5次元~

ここまで出てきたひとたちは性別がややこしいことになってはいたものの人間ではありました。しかしヴィジュアル界にはヴィジュアルを突き詰めて非人間化してしまったバンドがいます。それが奇才の創作・表現者集団Mix Speaker’s,Inc.です。

百歩譲って顔が三つあるドラマーまでは許すとしても、なんかベーシストでかすぎだしおめーは楽器を弾け。そんなロックな人たちからのお叱りの声が聴こえてきそうですが、ライブではちゃんと演奏してるようなので安心してください。

ボーカル二人がフリツケをするのも特徴のひとつです。このフリツケはPIERROTが採用したあたりから増えてきた演出で、ライブでは会場全体が一体となって行います。視覚的・演劇的要素の強い彼らにあってはその効果は倍増でしょう。非日常としてのライブ会場において、非人間のバンド演奏を聴きながら一緒に手足を動かすことで、自らがファンタジー世界の住民であるかのような錯覚を覚える……。息苦しい毎日を過ごしている多感な若女がハマらないワケがありましょうか!逃避!(なお、蟹めんま氏のマンガに詳しいですが、一部バンドのヴィジュアル系ファンはハードコアキッズ顔負けの暴れっぷりを発揮するようです)

実はヴィジュアル系以外でも非人間化するバンドはいて、その中でもいくつかのバンドは一定の評価を受けています。日本ではMAN WITH A MISSIONが近年目覚しい躍進を遂げていますね。海外ではGHOST B.C.というバンドがイギリスのガーディアン誌が行った2013年のベストアルバム10選に選ばれています。

GHOST @ Graspop 2013 [Pro-shot live songs]

ルッシッファァ—ン(ここでタライが落ちる)

我々は、たとえ相手がゲイであろうとフタナリであろうと、狼男であろうとゾンビであろうと、広い心でその世界を受け入れていかなければならない。そういう時代になったのかもしれません。

あと人気があるかどうか関係なく個人的な好みで先日まさかの来日を果たしたPORTALさん置いておきますね。

PORTAL – Glumurphonel

楽しい!!
✌(‘ω’✌ )三✌(‘ω’)✌三( ✌’ω’)✌

読めないバンドたち

ヴィジュアル系にはバンド名が懲りすぎてて読めないひとたちが良くいます。種類としては大きく分けて二つ。外国語系と当て字系です。90年代はDue’le quartz、Moi dix Moisなど外国語系が主流でしたが、近年はアンティック-珈琲店-やアリス九號.(ありすないん)などの当て字系が台頭しています。それではいくつかクイズ形式にして見ていきましょう。

第1問 己龍
まずは小手調べ。

 正解は「きりゅう」でした。私は「おつりゅう」だと思ってました。己ってキって読むんすね……。というかおつりゅうはそもそも漢字が違う。
 
第2問 彩冷える
 一般人正答率2%の難問。

正解は「あやびえ」でした。“る”どこ行った“る”!

第3問 お遊戯ゎが魔々団×【PaRADEiS】
初見では正解不可能です。

正解は「ぱれーど」でした。大胆!なお、彼らは途中でParadeis(それでも読めない)だけになって、現在は惜しくも解散してしまっています。

こうした日本語当て字系バンドはメジャーデビューするにあたって事務所の修正が入って英語表記にされることが多いです。アリス九號.はALICE NINEに、彩冷えるはAYABIEになりました。これは海外進出を考えてのことだと思われます(ただしAYABIEは事情が複雑)。当て字より読みやすくて安心だね!ただしその逆の場合もあって、2000年代ネオヴィジュアル系を代表するバンドのガゼットなんかはthe GazettEと逆に読めなくなってしまいました。

the GazettE『THE SUICIDE CIRCUS』

この読めないバンド名はヴィジュアル系だけの風潮ではありません。□□□(くちろろ)や8otto(おっとー)など邦楽ロックバンドでも見受けられる現象です。OOIOOなんかはOIOIと並んで上京してきた地方人を惑わせる一級戦犯として君臨しています。海外でも██████…?など挙げていけばキリがありません。別途特集を組んでもいいくらいです。

10代女子から金をむしる

CDにオマケがつくのが当たり前になった昨今ですが、AKB48よりも先にヴィジュアル系はオマケ商法をやっていました。さらには差分商法もお手の物。初回盤と通常盤は当たり前で、そこに限定盤という謎の盤が増えたり、ジャケットを変えてType-Aつって3種類くらいだしたり、カップリングを変えたり、曲順を変えたり、応募券をつけたり、トレーディングカードをつけたり、ボストンバッグの中に入れたり、オルゴールを入れたり、もう思いつく限りの差分商法、オマケ商法を繰り広げています。

そんな中で今回紹介したいのはCalled≠Plan 『L』『R』 です。動画の中でその仕様が流れるのでご覧ください。

Called≠Plan 『L』『R』 PVスポット

  • 2タイトル同時発売
  • 各タイトル3バージョンずつで、違いは3曲目
  • 各タイトルごとにトレーディングカード(全5種類)が1枚封入

単純に全タイトル買うだけでも1890円2枚、1575円4枚で10080円。トレーディングカードを全種類揃えようとするとさらに最低4枚買わないとならないから6380円増えて総額16380円。トレーディングカードが揃わなければさらに1575円ずつ出さなければならない……そぅ……これはもぅ……CDとぃぅ名のガチャ……。

主たるリスナーが10代20代の女子だと考えると、これはとてもエグイです。グッズをたくさん集めてファンとして上位になりたい。バンドマンに近づきたい。ステージ上の彼に近づけば、それだけ私は特別な存在になれるんだ……。そうした彼女たちの想いが少しでも報われることをただただ祈るばかりです。

浮気者~そして次のステージへ~

ついにヴィジュアル系もここまで行き着きました。もはやバンドですらなく、女をはべらせて踊りまくっております。私、ピコスクリーモをこじらせていきなり激チャララップコアになってYoutubeでグッドバッド比率脅威の6:4(1月3日現在)をたたき出したFALLING IN REVERSEを思い出しました。

Falling In Reverse – “Alone”

激チャラ。

この浮気物というユニットはSuGというバンドのボーカル武瑠のソロプロジェクトです。インタビューによると、名前の通り浮気物は<企画性を持ったサイドプロジェクト>で、だからSuGでもできるバンド形態ではないとのこと

ヴィジュアル系ってこういうチャラい方向とは思想的な相性が悪いと思うんですが、彼はそういう枠を飛び越えて活動をしています。そういう態度がロキノン系アーティストやボーカロイドPの心を捉えたのか、浮気物ではゆよゆっぺ、たむらぱん0.8秒と衝撃。、Plus-Tech Squeeze Boxなどとコラボしているようです。びっくり。

彼の活動は音楽だけにとどまらず、million $ orchestraといったファッションブランドもプロデュースしているようです。何やら創作意欲の塊のような人だと見受けられますが、その創作意欲をもとにヴィジュアル系とロキノン系、ボーカロイド界、オラオラ系という全く相容れない要素にどんどん橋を渡していって欲しいところです。

後書き

どうでしたでしょうか。とりあえず90年代からヴィジュアル系にも色々起こっていて、色んなひとたちが出てきていることだけは伝わったと思います。何か得体の知れないものが生まれる予感があるけれど同時に閉塞感も漂うヴィジュアル系の価値観。それを堅実に守っていくも良し。塗り替えていくも良し。方向は違えどその信念と美学が素晴らしい作品を生み出すと、愚直ではあるけれど、私は信じているのです。