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「ジャンルはクソ」発言がクソな69の理由

とりあえず下記レビューを読んでみてもらえますでしょうか。

DISKATLO『Rebellion』(Hardcore/Punk)
 タイトルが『Rebellion』=反逆、オープニングを飾るのは“Blow”=衝撃というところからも窺えるように、彼らのメジャー第二弾アルバムは、攻撃性に満ちた仕上がりとなった。彼ららしい洗練された音楽性の中に、感情がドクドクと脈打っている。日本語詞のミドルチューン“torrential rainfall ”でも、《しまい込んだルールブック信じない》、《僕らにとって自由とはなんだ》と、冷静に聴くとかなり青い言葉が並んでいるのだ。こういった面が露になってきたところには、やはり石成有也(Vo・G)の成長が大きく関わっているように思える。人気と実力を兼ね備えた3人の中に飛び込んだ若い才能だった彼も、今や誰が見ても彼らのフロントマンに相応しい存在感を湛えている。やはり、バンドの温度や表情を決定づけるのはフロントマンなのだ。今作を聴いていると、それがよくわかる。始動した時は、プレイヤビリティのぶつかり合いが魅力だった彼らも、すっかり世界観そのものが気になるバンドになった。

これはとあるサイトのとある作品のレビュー記事を改変したものです。バンド名や作品名など、一部を変更してあります。

さて、ここで上記の文章から彼らの音楽を想像してみてください。

想像してもらえたでしょうか?それでは次に、元ネタとなったバンドの作品を聴いてください

いかがでしょう。皆さんの予想を大きく外れる音楽性だったのではないでしょうか。あ、いや、そう、そうです、もちろんそれは当然のことです。だって冒頭に<Hardcore/Punk>って書いてありますから。(ちなみに元記事はこちら

ジャンル名による先入観

今回、ジャンル名は間違った先入観として働いてしまったわけです。そのため「全然ちがうじゃねーか!」という前情報との落差が発生しています。それが以後良い方向に行くか悪い方向に行くかは別として、その落差は、前情報がなければ確実になかった感情です。

このような極端な例は基本的にはないにしても、同じ作品が書き手によって異なったジャンルのものとして紹介されることは多々あります。それは書き手の教養の有無や、政治的立ち位置により起こります。

同じ作品を同じ人が聴くとしても、聴く観点が違えば感想は変わってきます。例えばブラックメタル好きのひとがDEAFHEAVENをブラックメタルというジャンルとして聴いたら、ブラックメタルにしてはなんだか随分爽やかだな、と思うでしょう。あるいはMY BLOODY VALENTINEの文脈から彼らがノイズロックとして紹介されているのを見たら、いやこれブラックメタルなんじゃないの、となるでしょう。

ジャンル名の存在は、音楽体験に影響を与えうるということです。他人にジャンル名を交えて音楽の話をする際には、このことを意識しておくと良いでしょう。

ジャンル名があることによる恩恵

それでは最初の文章、ジャンル名の記載がなかったらどうでしょう。はい、具体的な音楽性がわかりませんね。文中に出てくる“攻撃性”、“洗練”、“プレイヤビリティ”、“世界観”といった言葉はある程度どの音楽にも当てはまるものです。こういう読んでも音楽性が全く伝わらないレビューは少なくありません。なぜならジャンル名なしに文章だけで音楽を伝えることは非常に困難だからです。もし本気で文章のみで曲を伝えるならばほとんど記譜に近い文章になり、書き手と読み手双方に深い音楽知識が必要になります。そこにたった一言ジャンル名が加わることで、めんどうな音楽的な説明なしに読み手の想像はグッと具体的になります。音楽にまつわる文章の表現に具体性を増す、という意味でジャンル名はとても有益です。

もちろん、もっと単純に好みの音楽を探すときにも便利です。ある程度好みの音楽があって、それに沿った作品を探していたり、レビューを読みたかったりする場合、ジャンル名が併記されていないといまいち内容がわかりにくく非常に不便です。そういう意味で、ジャンル名の記載がなく、ついでに点数すら一覧には乗っていないPitchforkは“自分の好みの音楽で良さそうな作品を探す”という目的ではちょっと使いにくいです。もちろん、そういう目的以外でレビューを読むことは大いにありますし、そこは何か考えがあってやっていることなのでしょう。

とにかく、ジャンルというのは音楽を選ぶ際にとても便利な道具ということです。

ジャンル名による形骸化の加速

ある特異な音楽が世に出てきたとき、しばらくすると同じ音楽性の作品が増え、またするとその音楽にジャンル名がつけられます。クールな新ジャンルに、高偏差値メディアやリスナーはこぞって食いつき「今はこのジャンルの時代だね」とシタリ顔をします。その熱量はもちろん制作側も同じで、先駆者と似たようなことをやった似たような作品が乱立されます。その辺りで周りは「あっ、なんか流行ってきたしもうやーめた」と引いていき、一気に隆盛は終わり、あとは本当にその音楽が好きな人だけが残ります。

近年ではウィッチハウスで見られたこの流れに、さてジャンル名はどう加担したのでしょう。上述の通りジャンル名はとても有用ですが、その性質上“作品に対する聴き手の理解を簡略化する”という面があります。特異な音楽にジャンル名が付けられたことで、似たような音楽すべてが“そのジャンル”として聴かれるようになります。結果として本来ならそれなりに差のある音楽群の“そのジャンル”に特徴的な部分のみに耳が傾きがちになります。そして“そのジャンル”的なことをやりたい!と思った次世代の制作者はジャンルの共通項である定式に沿ったオリジナリティ皆無の作品を生み出し、シーンの形骸化を生みます。聴き手も初めこそ喜んで聴きますが、やはり同じような方法で作られた同じような内容の作品が続くと飽きてしまいます。そしてシーンは、本来ならそのシーンとは別に生まれてきた類似の音楽を巻き込んで廃れます。

これが、例えばウィッチハウスがウィッチハウスでなく、“ゴシック的なチルウェイブ”、“ダークな雰囲気のポストダブステップ”というような理解だったらどうだったでしょう。ウィッチハウスは“ウィッチハウス”として固定されず、ある程度の幅を持って電子音楽の流れに溶け込んでいったのではないでしょうか。

もちろんこのウィッチハウスに関する流れは想像でしかありません。ただし、ジャンル名が聴き手の作品に対する洞察を簡略化することはまず間違いなく、そしてそれがそのジャンルの形骸化を加速することも場合によってはありうると言えるでしょう。

ジャンルでもって作品に接するときには、短絡的な“そのジャンル”的理解をしていないかどうか注意する、および別のジャンル観から作品を聴いてみると、より深くその作品を知ることができるでしょう。

まとめ

ここまで読んでいただければ、ジャンルは我々の音楽生活にとって便利な道具であることがわかっていただけたかと思います。そう、ジャンルは道具なのです。道具はあくまで道具であって、本質ではありません。健康的な音楽生活のために、道具は正しく使っていきましょう。

冒頭の「ジャンルなんてクソ」には「ジャンルをクソとしてしか扱えないお前がクソ」とお答えしたところで、本稿は終了とさせていただきます。

※ちなみに表題の69はロックの略です。

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