ファーストアルバムの意義その2:初期衝動の正体

前書き

さて、前回記事で、我々が初期衝動を感じるキッカケに「輪郭がぼやけた形で多数のジャンルを内包していること」があること、そしてそれが経験と技術の未熟さから来るため、音楽制作を続けるほど失われていくことを書きました。

今回はその初期衝動が我々にどう影響を与えるのかについて考えていきます。

多様に解釈される音楽作品

冒頭の初期衝動の説明を、わかりやすく図解してみましょう(以降クリックで拡大)

はい。左図が未熟なミュージシャンの作品で、右図が成熟したミュージシャンの作品あるいは未熟なミュージシャンの描いた理想形です。技術や経験の蓄積でどんどん右図に近づいていくわけですね。そして、このデカいカタマリを我々聴き手は受けとるわけです。

その聴き手によって音楽観は違います。それはひとつの作品に対していろいろな観点からいろいろな評価がされることから明らかです。

たとえ同じ音楽を聴いていても、同じように聴こえているというわけではありません。ひとりひとり、音楽に含まれている諸要素に対する感度は異なります。たとえばギタリストならギターの演奏に耳が行きがちでしょう。あるいはガチガチのバンギャならどんなジャンルの音楽であれ、ヴィジュアル系的要素に敏感でしょう。どの対象にどれだけの感度を示すか、というのはその人の性格やその時の環境によって変わります。

極端な例としてそのスジでは有名なSUNN O)))に登場してもらいましょう。

彼らの作品は、リフレイン、メロディ、リズム、テクニックといった音楽価値観で言えばただのクソつまらない全音符です。ただ低音、そして雰囲気というところに注目すると、とたんに作品の意味が変わってきます。

つまり一般的な音楽観で音楽作品を把握しているような、一般的な音楽観の感度が高いひとにとっては彼らの作品はクソみたいなものでしかない。一方で、低音や雰囲気といった要素に対して敏感なひとにとっては大好物になります。

そういうわけで、同じ曲でも同じように聴かれているとは限らない、っつうことです。

初期作品にある「選択の自由」

さきほどの通り、SUNN O)))の音楽に一般的な意味でのメロディやリズム、リフ、テクニックなどは感じられないですね。また、雰囲気にしても重暗いもので、正方向のソレはよほどの感性でないと感じられません。そういうわけで彼らの音楽は非常に限られた要素で成り立っているわけです。したがって、我々受け手も非常に限られた聴き方しかできない、特定の感性を持つ人間しか好意的な反応ないし興味を示さない、ということになります。

冒頭の図でも多少描きましたが、前回記事の通り、理想形よりも初期のほうが要素が多く含まれがちです。要素が多いということは聴き方の自由度も高いということです。このことが今回の発端となった私の発言の後半部分にあたります。

「要素と感性のモデル」

ここで「要素と感性」という観点から、最初の図をもう一度描きなおしてみました。

上の凸部分を持つ物体がミュージシャンとその作品の持つ「要素」で、下の凹部分を持つ物体が我々の「感性」です。作品のなかには複数の要素が混在していて、それぞれの要素はある感性に特異的に結合します。我々はたくさんの種類と数の感性を持っており、その比率や総数は個々人で違います。このようなモデルを便宜的に「感性と要素のモデル」と呼びましょう。また、個々の感性を「感性体」と、特定の感性体に対して特異的に結合する要素を「特定要素」とでもしておきます。

未熟なミュージシャンは図2左のように、技術と経験が不足するために各要素の輪郭もはっきりせず、そもそも自分のなかに何の要素があるのかもわからず、その中から作品に反映される要素も明確にはなりません。一方成熟したミュージシャンの作品は図2右のように各要素が明確になり、作品に含まれる要素もしっかりと選出されます。

それでは我々がこれらの作品を聴くとどうなるでしょうか。

図3の成熟したミュージシャンの作品の場合、各感性体に対応する特定要素だけが結合して、その要素のみが受容されます。ところが図4の未熟なミュージシャンの場合。作品中の「特定要素」は純粋な特定要素ではなく、その他の要素も混じった特定要素様要素になっている場合が多々あります。そのため、我々の感性体は自身にあう要素と結合したつもりが、別の感性体が受容するはずの要素も受容してしまいます。図で言えば、Aを受容したつもりがCまで受容してしまう状態です。本来受容しないはずのものが、しかも別の感性体を通して働きかけてくることで感性がショック反応を起こします。えっ、なにこれどういうこと知らないこんなカンジッ!ビクンビクンッ!

このショック反応こそが、我々が感じている初期衝動なんだよー!バーン!言い切ってやった!

ちなみに図3のEを見るとわかるように、成熟したミュージシャンはふたつの要素をちゃんとひとつの要素として確立させられます。よってAとCを混ぜた要素が入っていてもこのようなことは起こりません。

まとめと予告

ということで初期作がもてはやされる理由は、必然的に含まれる多数の要素による解釈の自由さと、その要素の曖昧さが故に我々が起こすショック反応=初期衝動だということが理論付けられました。やったね!

ここで終わっても良いところですが、もうちょっと続きます。次回はその初期衝動をミュージシャン側がどう扱えばよいのか、そして我々はどう初期衝動と対峙したらよいのかについて考えていきます。たとえ誰もついてこれてなくてもね!

おまけ

今回のモデルは生物学の受容体関連の考え方を元にしています。要素はシグナル物質、特定要素はリガンド、感性体は受容体ですね。ウィルスは生物が持つ受容体に自らの凸部分をあわせることで生物に感染します。これはたまたまでしたが、うえであげたショック反応とちょっと似ていますね。科学ではこうした理論は実験によって観察して正しさを証明していきますが、今回の記事は今のところ証明しようがないのが残念なところです。ある音によって特定の物質が体内で生産されウンヌンという生体反応がありえないわけではないんですけれども……。

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(表題画像はVectorportal.comからお借りしました)