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OZZFEST JAPAN 2013 ~ももクロという正義、メタラーという悪。~

OZZFEST Japanはやはり戦争だった

http://natalie.mu/music/news/90444
ナタリー – ももクロ、Ozzfestで白熱ライブ「私たちがアイドルだ!」 – 2013年5月11日

(※以下引用部はすべて上記サイトより)

百田 今日はいつもの私たちでいくということを重視してやりました。あえてアイドルっぽく、「これがアイドルだ!」というのを見せたかったです。

コープスメイクとはいかないまでも、いわゆるメタルっぽい衣装で、Marty Friedmanでも呼んでメタルアレンジされた既存曲をやるのかなーと考えていましたが、ちがいました。浅はかでした。この日の彼女たちはあくまでアイドル。NARASAKI氏や人間椅子の和嶋氏が登場してはいるものの、それはオズフェスト向けのメタル仕様という意味よりも、ただ単純に「黒い週末」という楽曲があったから、ってだけのような雰囲気です(二人ともメタル原理主義的にメタルを体現するにはやや弱いですしNARASAKI氏はメタルじゃないですし人間椅子はややイロモノですし)

そもそも彼女らがいくらメタルに媚びたところで、怒り狂ったメタル原理主義者たちがその銃を花束に持ち替えるわけがなかったのです。どんなメタルの権威が彼女たちに力を貸そうともです。オズフェストという聖域を侵した時点で彼女たちはタブーそのものであり、それに力を貸すものは、たとえこれまでどんなにメタルに貢献していようとも、倒すべき敵でしかないのです。聖戦は、まぬがれなかったのです。

譲歩するか否か

この戦いに、もし彼女らがメタルアイドルとして、すなわちメタラーに歩みより交渉的な態度で臨んだならどうなったでしょうか。交渉は鼻から相手にされず、一部のメタル戦士に蹂躙され、その歴史に「譲歩したのに受け入れられなかった」という敗北を刻んだことでしょう。

一方今回のようにアイドルとして戦いを仕掛けたらどうか。ここでも怒りのメタラーたちが受け入れないのは同様です。しかし、それは敗北ではない。端から受け入れてもらう気がないからです。メタラーを改心させることができないから勝利はない。ただし敗北もないのです。

ももクロという正義、メタラーという悪

「今、目の前にいる私たちがアイドルだ! 今、目の前にいる私たちが週末ヒロイン ももいろクローバーZだ!」

勝利はない、と言いましたが、本件で彼女たちは圧倒的に正義です。そもそもオズフェストに出演している、すなわちOsbourne夫妻の承諾を得ている可能性や、LOUD PARKに出演したという経歴、前述のMarty Friedmanを筆頭とした音楽家たちの後押しが加わって、彼女たちは「プロにも認められるアイドル」という錦の旗を持っています。また、今回のフェスそのものも全体としては彼女たちに肯定的な雰囲気になっていたことが予想されます。言うまでもなく、メタラー全員が彼女らを拒絶しているわけではありません。メタルとももクロ両方を支持しているひともいるでしょう。また、ジャンル問わずおもしろければ何でもよい、というひともいるでしょう。ももいろクローバーZは、アイドル文化に馴染みのないひとにとっても確実に「おもしろい」部類のアイドルです。そこに、他の出演者のメタル度の低さ、すなわち観客全体のメタル度の低さも加われば、アイドルだろうがなんだろうが違和感なく盛りあがってもおかしくはありません。あと単純に、色っぽい若い乙女たちに黒っぽい中年成人たちが怒りをあらわにしていたら、とりあえず前者を擁護したくなるでしょうよ。そういうことでどう考えてもももいろクローバーZは正義であり、彼女たちを受け入れないメタラーたちは「頭の固いひとたち」という悪なのです。

百田 今日は、私たち自体が新しい方向の戦闘態勢だったんですよ。

彼女たちは正義を背後に、メタラーに媚びることなく戦った。そんな彼女たちと対峙したメタラーは否応なく悪となり、結果オズフェストはメタラーのための祭典でなく、ただただ盛り上がる、他の大規模フェスと変わらない意味の祭典になった。これが今回の事の顛末なんだろうな、とひとりごちております。

かんそう

NARASAKIが関わっているということもあり、ももいろクローバーZは結構好きです。ただ今回の一件に関しては、ちょっとこええなーと感じました。ファンの「楽しけりゃいいじゃん」という快楽主義でもって他人の楽しみを踏みつぶす矛盾とか、それを受け入れないひとたちを「正義」でもって容赦なく叩きつぶすとことか。

今回ももクロ側がやったことは『ビブリア古書堂の事件手帖』実写化における剛力氏と同じだとおもうんですけど、彼女らの場合背景にちゃんとした評価があるから余計恐ろしい。少なくともネット住民にとっては、彼女たちの現在の評判はゴリ押し宣伝ではなく実力から来るものだから盤石すぎる。反撃の余地なく、メタラーのようなマイノリティはつぶされてしまう。いやメタル戦士なんていくら血を流してもすぐ蘇るメタルゾンビなんでいいんですけど、今回の件に限らず、こういう構造の出来事って起こってるとおもうんですよ。自分の大切なものが侵害されたら。そして、それを守ろうとする行為が悪だとされたら。やっぱ、ちょっと、怖いですよ。

事前感想記事: OZZFEST JAPANへのももいろクローバーZ参加にメタル戦士が激怒した理由

おまけ: 俺たちのPIZZAFEST JAPAN 2013~イタリアーナ原理主義vsマヨラー編~

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鬼婆『鬼ホーンテッド世界』:暗怖いドローンアンビエント界期待の鬼。(Drone Ambient)

根本的になにかカンチガイしていらっしゃる異国の日本語つかいのかたがまたあらわれました。その名も鬼婆(ONIBABA)。アルバム名が『鬼ホーンテッド世界』。鬼ホーンテッド世界。声に出してください。ハイ!鬼ホーンテッド世界!どうです?やべえでしょう。くっそやべえでしょうこの語感。あー、この世界鬼ホーンテッドだわー。鬼ホーンテッド世界だわー。

昂ぶる感情そのままに#1「儀式」を再生したところ、クローゼットがやにわに開き白髪の鬼婆がシャレコウベと包丁を手に出現してしまいました。オラしょんべんさいきてぇだ!なんとか三枚のお札を駆使して撃退しましたが、それくらいクソやべえ鬼アンビエントです。基本的には容赦ないノイズドローンに残響と打撃音が重なる形。音数は多めで、主要楽器である笛やドラムには抑揚があって儀式遂行者の気配が感じられるので、この手の音楽のなかではかなり耳もちがよいんではないかと。後半ちょっとバンドアンサンブルっぽくもなるのも儀式終了間際の高揚感が出てて最高です。

#2「フィールドは」は6分弱と短めの曲。過剰な低音主体のドローンから始まります。2分ごろからリズムが頭角をあらわし、最終的に高音のフィードバック音が渦巻きながら民族風のリズムに乗って徐々に暗転。短いながらもしっかりと展開し、彼らの鬼ホーンテッド世界観も詰まっているので長尺アンビエントガチ勢のかた以外はこれを最初に聴くことをおすすめします。

そしていよいよ表題曲#3「鬼ホーンテッド世界」。34分。主要な部分は前2曲と同じですんで、自覚者以外は「おなじでした」っていう感想しか出てこないと思われます。ただこの曲は随一の緩急を持っておりましてですね。最初はマシーングラインド的な無機的連打をしていたドラムが後半唐突に力の限り血をにじませながらバチを打ち付ける様は、まさに鬼ホーンテッドな感じでゲロヤバです。

えー、このままだと「日本語使ったヘンなやつらがヘンな音楽やってる」っていうネタだけで消費されてSeishinbyouinになってしまいそうなのでひとつハクをつけておきましょう。本作、KRALLICEのギタリストであるColin Marstonがマスタリングをしています。えっ、マジで!?じぶんで書いてビックリしました。メンバーはA.、N.、R.の3名で、だれだよ、ってかんじですが、Colin氏が関わっているとなると、あるいは合衆国ブラックメタル界隈に縁のある誰かなのかもしれません。

カセット版を販売していたり、やけに多作だったり(とはいえほとんどが未マスタリングで、12月に発売予定のようです)、この手の音楽らしい様式もしっかり抑えてます。SUNN O)))やGNAW THEIR TONGUES、KHLYSTなんかのノイズ/ドローン/アンビエント勢や、Cold Meat Industry系の暗くて怖い音楽が好きなひとはぜひ聴いてみてください。そして彼らの鬼ホーンテッド世界に入門しましょう。

鬼ホーンテッド世界 (Demon Haunted World) by 鬼婆 (Onibaba)

ちなみに本作を取り扱うANTI-MATTER RECORDSは、まだ作品数は少ないながらもなかなかよさげなくらこわ作品を扱っているようなので今後も注目していきます。

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VHOL『Vhol』:蜜月ブラックメタル。(Black Metal)

2011年7月26日、サンフランシスコが誇るブラックメタルバンドLUDICRA解散。

  1. Aesop「ぁたしたちズッ友だょ(涙)」
  2. John「きっとまたいっしょにブラックメタルやろうね(涙)」

その後、AesopはAGALLOCHやWORM OUROBOROSでその想いをドラムにぶつけ、JohnはHAMMERS OF MISFORTUNEでその日のために技術を磨きました。そして2012年10月(*1)。ついにVHOL結成。二人の誓いは1年越しに叶いました。ちけぇよ!それぞれの親友の女子を連れての活動です。

Aesopのズッ友、HAMMERS OF MISFORTUNEのSigrid嬢(なぜかベースで)

Johnのズッ友、YOBのフロントマンMikeちゃん(三つ編みヒロイン)

この手の実績のあるひとらが集まったプロジェクトはスーパーバンドとよく言われますが、必然的にそれぞれの経験を引き合いに出されます。この件に関してはAesop氏は<そういう言い方しないで。いまやってる他のバンドも大好きだよ?でもあたしたちのVHOLは特別なんだから!>(*2)と言っております。音楽性に関してもなるほどその通りで、彼らのほかの活動名義とはかけ離れた音を鳴らしています。

その音楽性とは!めんどうなんでAesopの言葉を引用します。レビュワーにあるまじき意識の低さ。いいんだよ!うちのウリはコレなんだよ!

間違いなく、80年代のスラッシュやハードコア、あと昔のメタルへの愛を引き出しましたね。ただ、なんか変なものを作ってやろうっていうのは念頭に置いてました。(*2)

つうことで本作はブラックメタル+古典メタル/ハードコア/ロック、大きくくくってブラックンロールなわけです。あ、いやFacebookにDISCHARGEの文字がデーンとあるし(*3)、もちろんクラスト感もありますが、まあそれもふくめて、大きく。で、この手の音楽って、組み合わせ自体わけわかんなさを孕んでいます。思想面は抜きにして、音楽的に言えば、ブラックメタルが鳴らすトレモロと高速ドラムは冷徹で、いわゆるノリっていうものがない。だからこそ“ブラック”メタルであり、白黒のジャケットが多用されたんですね。そこにノリノリの古典系を足しちゃったのがブラックンロール。「こうすると脂が落ちてヘルシーになるんです」っていって鶏胸肉を湯通ししたあとにそのお湯を味噌汁にして食べたみたいな、それ、意味ねーじゃん!みたいな。この例え、意味わかんねーじゃん!みたいな。ともかくそういう不整合を含んでいるジャンルでした。

そんな不整合をやり通すには、なにかしらのカラクリが必要です。VHOLにおけるそのカラクリは圧倒的な喧騒。ロックからハードコアからパンクからブラックメタルからめまぐるしく移り変わる怒涛の展開でまず加点。ブラックメタルらしい粗い音質でまず加点。一発録りっすか?っつーよーな粗い演奏でまた加点。特にチンチンライド使いすぎなうるせえドラムと、もともとベーシストじゃないからこそかSigrid嬢のベースの揺れ具体がいい感じ。あとは朗々とした歌ときったねえ声を重ねるような、細かいアレンジも加点。そしてその全体的な音の粗雑さが、前述のめまぐるしい展開にむしろ滑らかさと整合性をもたらしている点は特筆すべきでしょう。

もちろん前述の「変なものを作ってやろう」っていう意気込みのとおり、そういう喧騒は明らかに意図されたものでしょう。AGALLOCHWORM OUROBOROSはむしろ丁寧に雰囲気を作っていく形だし、HAMMERS OF MISFORTUNEは引き締まったプログレッシヴだし、ふつうに作ったらそれなりに整ったものになるでしょう。それが、粗い。その粗さは、彼らの対象の音楽に対する愛を引き出した結果の要素である。だから作り物の意図にありがちなあざとさはありません。

あえての音ではあるけれど、必然の音でもある。熟練の粗雑さが感じられる本作はとてもステキ。さすがに初期衝動っつーよーなカンジでもないですが、新バンドの蜜月感のあるハッチャケぶりで、かつキャリアも感じる。こりゃあ2013年を代表する名盤だなーとおもいました。変り種ブラックメタルや騒々しい音楽が好きなかたはぜひ。

  1. *1 VHOLのFacebookページの最初の投稿が10月8日
  2. *2 SSG music「A Voice from the West: An Interview with Aesop Dekker」- 10 Apr. 2013
  3. *3 SSG music「VHOL Facebook基本データ」- 2 May. 2013

ファーストアルバムの意義その2:初期衝動の正体

前書き

さて、前回記事で、我々が初期衝動を感じるキッカケに「輪郭がぼやけた形で多数のジャンルを内包していること」があること、そしてそれが経験と技術の未熟さから来るため、音楽制作を続けるほど失われていくことを書きました。

今回はその初期衝動が我々にどう影響を与えるのかについて考えていきます。

多様に解釈される音楽作品

冒頭の初期衝動の説明を、わかりやすく図解してみましょう(以降クリックで拡大)

はい。左図が未熟なミュージシャンの作品で、右図が成熟したミュージシャンの作品あるいは未熟なミュージシャンの描いた理想形です。技術や経験の蓄積でどんどん右図に近づいていくわけですね。そして、このデカいカタマリを我々聴き手は受けとるわけです。

その聴き手によって音楽観は違います。それはひとつの作品に対していろいろな観点からいろいろな評価がされることから明らかです。

たとえ同じ音楽を聴いていても、同じように聴こえているというわけではありません。ひとりひとり、音楽に含まれている諸要素に対する感度は異なります。たとえばギタリストならギターの演奏に耳が行きがちでしょう。あるいはガチガチのバンギャならどんなジャンルの音楽であれ、ヴィジュアル系的要素に敏感でしょう。どの対象にどれだけの感度を示すか、というのはその人の性格やその時の環境によって変わります。

極端な例としてそのスジでは有名なSUNN O)))に登場してもらいましょう。

彼らの作品は、リフレイン、メロディ、リズム、テクニックといった音楽価値観で言えばただのクソつまらない全音符です。ただ低音、そして雰囲気というところに注目すると、とたんに作品の意味が変わってきます。

つまり一般的な音楽観で音楽作品を把握しているような、一般的な音楽観の感度が高いひとにとっては彼らの作品はクソみたいなものでしかない。一方で、低音や雰囲気といった要素に対して敏感なひとにとっては大好物になります。

そういうわけで、同じ曲でも同じように聴かれているとは限らない、っつうことです。

初期作品にある「選択の自由」

さきほどの通り、SUNN O)))の音楽に一般的な意味でのメロディやリズム、リフ、テクニックなどは感じられないですね。また、雰囲気にしても重暗いもので、正方向のソレはよほどの感性でないと感じられません。そういうわけで彼らの音楽は非常に限られた要素で成り立っているわけです。したがって、我々受け手も非常に限られた聴き方しかできない、特定の感性を持つ人間しか好意的な反応ないし興味を示さない、ということになります。

冒頭の図でも多少描きましたが、前回記事の通り、理想形よりも初期のほうが要素が多く含まれがちです。要素が多いということは聴き方の自由度も高いということです。このことが今回の発端となった私の発言の後半部分にあたります。

「要素と感性のモデル」

ここで「要素と感性」という観点から、最初の図をもう一度描きなおしてみました。

上の凸部分を持つ物体がミュージシャンとその作品の持つ「要素」で、下の凹部分を持つ物体が我々の「感性」です。作品のなかには複数の要素が混在していて、それぞれの要素はある感性に特異的に結合します。我々はたくさんの種類と数の感性を持っており、その比率や総数は個々人で違います。このようなモデルを便宜的に「感性と要素のモデル」と呼びましょう。また、個々の感性を「感性体」と、特定の感性体に対して特異的に結合する要素を「特定要素」とでもしておきます。

未熟なミュージシャンは図2左のように、技術と経験が不足するために各要素の輪郭もはっきりせず、そもそも自分のなかに何の要素があるのかもわからず、その中から作品に反映される要素も明確にはなりません。一方成熟したミュージシャンの作品は図2右のように各要素が明確になり、作品に含まれる要素もしっかりと選出されます。

それでは我々がこれらの作品を聴くとどうなるでしょうか。

図3の成熟したミュージシャンの作品の場合、各感性体に対応する特定要素だけが結合して、その要素のみが受容されます。ところが図4の未熟なミュージシャンの場合。作品中の「特定要素」は純粋な特定要素ではなく、その他の要素も混じった特定要素様要素になっている場合が多々あります。そのため、我々の感性体は自身にあう要素と結合したつもりが、別の感性体が受容するはずの要素も受容してしまいます。図で言えば、Aを受容したつもりがCまで受容してしまう状態です。本来受容しないはずのものが、しかも別の感性体を通して働きかけてくることで感性がショック反応を起こします。えっ、なにこれどういうこと知らないこんなカンジッ!ビクンビクンッ!

このショック反応こそが、我々が感じている初期衝動なんだよー!バーン!言い切ってやった!

ちなみに図3のEを見るとわかるように、成熟したミュージシャンはふたつの要素をちゃんとひとつの要素として確立させられます。よってAとCを混ぜた要素が入っていてもこのようなことは起こりません。

まとめと予告

ということで初期作がもてはやされる理由は、必然的に含まれる多数の要素による解釈の自由さと、その要素の曖昧さが故に我々が起こすショック反応=初期衝動だということが理論付けられました。やったね!

ここで終わっても良いところですが、もうちょっと続きます。次回はその初期衝動をミュージシャン側がどう扱えばよいのか、そして我々はどう初期衝動と対峙したらよいのかについて考えていきます。たとえ誰もついてこれてなくてもね!

おまけ

今回のモデルは生物学の受容体関連の考え方を元にしています。要素はシグナル物質、特定要素はリガンド、感性体は受容体ですね。ウィルスは生物が持つ受容体に自らの凸部分をあわせることで生物に感染します。これはたまたまでしたが、うえであげたショック反応とちょっと似ていますね。科学ではこうした理論は実験によって観察して正しさを証明していきますが、今回の記事は今のところ証明しようがないのが残念なところです。ある音によって特定の物質が体内で生産されウンヌンという生体反応がありえないわけではないんですけれども……。

関連記事:ファーストアルバムの意義その1:初期衝動ってなんだよ

(表題画像はVectorportal.comからお借りしました)