カバー画像

KVELERTAK『Meir』:おれ、ブラックメタルも聴くんだよね(笑) (Hardcore Punk)

おいおい、またブラックメタルと古典ロック/メタル/パンクの混ぜ物かぁ~?と特にこのジャンルをあさっていない私にさえ情報が入ってくるようになったこの手の音楽。本作はメタルの名門Roadrunnnerから発売、CONVERGEのKurt Ballouがプロデュース、BARONESSのJohn Dyer Baizleyがアートワーク……。こりゃもはやどメジャーですね。一部のメイニアがきったねえ部屋で、フヒヒッ、ヒッ、ブットンデル、ヘ、ヘ、ヘンタイヘンタイと薄ら寒い自尊心を満たすための道具として使っていたのがウソのような躍進っぷりです。ぐやぢい。

そんなわけで彼らの作品はこの手のやつらのなかでは音のほうもメジャー感があります。主骨格はハードコアパンクで、ブラックメタルは主要素じゃなくてちょい使い。たまに裏打ちツービートとトレモロで突っ走るくらいです。なんつーかパーティ感すらある。ここまで来ると「ブラックメタルの名を出すな」という黒き原理主義者たちがジャンル戦争を起こしてしまわないかと心配になります。恥ずかしながら私自身も、SLAYERのヴィンテージTシャツを着て「あ、どうも、ロック系女子っす(笑)」とネタっぽく自己紹介するきゃりーぱみゅぱみゅ支持者を思い起こしてしまい愛しさがゆえにエアベアハッグをしてしまいました。あるいは「俺『とらドラ!』とか見るしオタク系男子っす(笑)」と真のオタクたちから文学系女子をかっさらっていくチャライケ野郎を思い起こして「エアガン 改造 殺傷」でGoogle検索してしまいました。非実在だった!そんなヒトたちは!

そんな私の32ある人格のひとつ、インドネシア人留学生ヒガミ・ウランダリちゃんを封じ込めて公平な視点で聴いてみると、そりゃ良いですわ。Kurtがプロデュースしてるだけあってハードコアの肉感あふれる音になってるし、ボーカルのErlend Hjelvikが<全曲全然違うサウンドのものになってハッピーっすね>(*1)と言ってるだけあってアルバム通して飽きずに聴けるし。Relapseとかあの辺の3曲目くらいでお腹いっぱいになるマッチョ系ハードコア勢に叩きつけてやりたいです。

つうわけで「おれ、ブラックメタルに最近興味あるんだよね」とふんぞり返りたいPitchforkが褒めた作品だけ聴く系音楽通には是非オススメしておきたい作品です。いや7.2点だけど

  1. *1 THRASHHITS「Interview: Kvelertak on their new album, Meir」- 8 Mar. 2013
カバー画像

ANCIIENTS『Heart of Oak』が君のへどばんを呼び起こす。 (Progressive Metal)

大体こんな感じ:
■プログレッシヴです
(1)シンコペーションを聞かせたミドルパートを主軸としたプログレッシヴな展開と演奏
(2)伸びやかな歌声としゃがれた下品なグロウル
(3)それに対応するかのように穏やかなパートと攻撃的なパートが混在

良い点:
■プログレッシヴメタルではあるけれど、DREAM THEATRE、OPETH、MASTODONなんかの方向性が異なるプログレッシヴ勢の良い点を貪欲に吸収したかのようなエクストリームさがあります。
■ボーカルが下品なグロウルを使ったり、突進パートがあるからか、メタルらしい肉感と攻撃性があります。プログレッシヴメタル勢のインテリ具合がダメでも意外といけちゃうかも。
■良曲はプログレッシヴな一面とエクストリームな一面が絶妙なバランスで堪能できる#3「Falling in Line」、#7「Faith And Oath」など。とくに#3「Falling in Line」は美しいアコギから幕を開け、渋いギタープレイのあとにMASTODONのような入り組んだ歌物メタルに汚いグロウルが絡み、最終的にはスラッジメタルのような攻撃的なリフと咆哮からポストメタルの叙情性まで巻き込んでいく彼らの貪欲さを表した名曲!

悪い点:
■ねーよ。
■と言いたいところだけど、強いて言えばOPETHなどにあるような深さがないか。ただこの辺の雰囲気は個人の趣味に合うか合わないかの問題だと思うのでなんとも言い様がありませぬw

感想:
■いまは取りあえずやりたいことやれるだけ詰め込んでみました!っていうごった煮状態で、それがとてもうまく作品として完成されています。今後どの要素がどの程度どういう方向に育っていくのか楽しみ。良盤!

いつもよりラクだしまとまってて泣いた。確かに書きやすいし見やすいんだよね。継ぐかこの形式(心無い嘘)

ちなみにBandcampでフル試聴できるので購入は見送りっす。いやうそうそ、パマージュでレビュー書いてしまうにはもったいないほど良い作品だったのにという後悔が私を襲っているくらいに気に入ってますってば。

OZZFEST JAPANへのももいろクローバーZ参加にメタル戦士が激怒した理由

「なんでそんな怒ってんの?」

まずももいろクローバーZ側代表として以下の記事を。

それに対するメタル側からの記事。

でもそれはすでに”日本版Ozzfest”が発表された時に感じたワクワクじゃない。聖域が崩され、ただの音楽のお祭りになってしまった一般向けになった成功。

なるほどキーワードは「聖域」。今回BURRN!と燃え上がるメタラーたちが一斉にメタルジャスティスの名のもとにメタルハンマーを振りかざしながらマノウォォォォ!!と咆哮するメタル戦士にクラスチェンジしたのは、OZZFESTは彼らにとって聖域であったからで、これは聖戦であるのです。

この聖域っていうのは個々人の背景によって大きく変わっちまう。だから他人の、特に異文化圏にいる他人のそれはとても理解しにくい。異文化の聖域ってのでわかりやすいのが宗教で、たとえばMARILYN MANSONがやっていた、アンチクライストスーパースターを名乗って聖書を破くという演出が、敬虔なクリスチャンにとってどれほどエグいもんなのかは一般的な日本人の私にはピンと来ないです。ただのミュージシャンの「過激なパフォーマンス」じゃん、街ぐるみでライブ拒否されるほどのこと?まっ、さすがマンソンって感じだけどね(笑)って当時思ってましたもん。ああもうこのクソガキ(痛み)。

あとは、イスラム教のひとが豚を食べないってのは知識としては知っているけれども、豚肉に対して、豚に対してどういう感情を抱いているのか実感としては知りません。

じゃあだからと言ってイスラム教徒をトンカツ屋に連れてって食べさせようとしたら、そりゃ怒られるんじゃないですか。「日本ではトンカツ食べるのは当たり前。それにここのトンカツは本当においしい。それなのに食べないなんて狭量だ」って、そういう問題じゃないですよね。

もちろんこれは極例です。極例ですが、構造的には今回の件と同じだと思います。「アイドルが他のメタルバンドを差し置いて日本初のOZZFEST出演」はメタラーにとってはあってはならない禁忌だった。だからメタラーが怒り狂った。その怒りや行動の是非は別として、ともかく燃え上がるメタラーたちにとってOZZFESTっていうのはそういうもんなんだっていうことは、知識としてまずわかっておいてください。

異文化交流のためにゴーリキさんを呼ぶ

メタルとアイドルっていうのは基本的に異文化です。先のイスラム教の例のように、異文化交流する際には相手の文化を尊重するのが大切です。そのためには相手の文化を知りたい。聖域感覚の話であれば、相手にとってのそれが自分にとっての何に該当するのか類似例を探してみるのがひとつの手でしょうか。その際に同じ行為を自分に引き寄せるのは適切じゃあない。一般的な日本人にとっては豚肉食べるのはフツウだし、戒律上食べられないものも基本的にはない。だから、類似例として、かつ怒り具合を基準にしてみましょう。はい大切なものを思い浮かべてー。それをブチ壊すような出来事を思い浮かべてー。それそれ。たぶんそれ。それが聖域で禁忌。え、なに、「この俺に大切なものなんてない。人生なんてただの暇つぶしだしなw」だって?ああ、そういうかたは必要ないのでその辺でヒマでもゴクでもツブシててください。

ここでももクロ側の聖域もちょっと考えてみましょう。少なくともオジーが共演ってのは違うですね。彼女らはそういう自由さを売りにしてるところがあるから。というわけでハイ。ここで強力な助っ人に来ていただきました。あ、イヤな予感してますね。そうです、皆さんご存知、原作をアレしてしまう女優として名高いあのヒトです!ゴーリキさーん!

「どうもー!」
――今回の標的はももいろクローバーZということですけれども。
「ええ、今ノリにノッてますね。私ほどではないですけど(笑)。でも今回のお話はとってもありがたいと思ってます。だから全作一気聴きしました!Youtubeで」
――おおっと!かましますねー。それではどうなさいます?
「電撃加入!」
――それはちょっとファンタジーすぎるのでは……。
「そうですか?まあ私もヒマではないですし。ライブにお邪魔させてもらうくらいでしょうか」
――んー、それだとイマイチ禁忌感ないんですが。
「じゃあ、青い衣装着てきます!『青が足りないとおもったので』って(笑)」
――あ、それはヤバそうですね。
「でしょ!」
――でも初期ファンだけな気もします。
「じゃあ今後の私のライブ活動のために、バックダンサーとして働いてもらおうかな!ももいろクローバーGT(ゴウリキタチ)として全員短髪!」
――もうそれでいいです。
「じゃ、次の実写化があるからまたね!7月発売のデビュー曲よろしくね!」

冗談が過ぎました。ともあれ聖域が侵される怒りがなんとなくわかってもらえたでしょうか。

一方的に理解を求める、というのは交流とは言えません。互いの文化の違いを知る。今回であればOZZFESTに対する認識の違いを知る。そのうえで認めるところは認める。認められないところは認めない。決定してしまった以上、その辺の意識表明としては参加不参加くらいしかやり方はありませんが、それでもそれは素晴らしき異文化交流と言えるでしょう。もちろん、アイドル好きなんかと、メタラーなんかと交流なんて必要ない、おれは直感に身をまかせるというのであればそんなことしないで思う存分罵りあいましょう。モノノフとメタルウォリアーでの聖戦です。信念のために剣を振りかざし、互いに血を流す覚悟があるのなら、それを止められるものはいません。そして決してそれは悪いことだとも言えません。戦争の果てに学ぶことも多いでしょう。

倒すべきはももクロではなく……

ただし、ここではっきり確認したいのは、ももいろクローバーZは聖域を侵した主体ではないということです。どういう経緯で出演が決まったかはわかりませんが、彼女らに仕事をアレコレする権限はないでしょう。アイドルという仕事を選んだ以上仕事の責任の一端は受けなければならない、というようなアイドル論もあるでしょうが、まあともかく今回の件での主体でないことは間違いない。じゃあ誰が主体だったのか。前述の通り実際のところはわかりませんが、一般的な認識としては日本のプロモーターであるH.I.P.、そしてSharon OsbourneとOzzy Osbourneです。誰がどの程度関わっているかはこの際問題ではありません。Osbourne夫妻がももいろクローバーZの出演を承諾した可能性がある、という事実が重要です。

誇り高きメタル戦士たちがDIR EN GREYやMAN WITH A MISSIONに歯軋りしながら守り通していた聖域は、実は聖域でもなんでもなかった。その事実を、その聖域を聖域たらしめていた張本人たちから突きつけられたかもしれないという不安。自分の信念の根本が崩壊するかもしれないという不安。消化するには重過ぎるそれは、直情的な「ももいろクローバーZへの怒り」へと転嫁された。

これが、今回の騒動においての、すげえ重要な点なんじゃねーのかな、とおもってます。

ももクロOZZFEST参加の成否

さて、私はBLACK SABBATHを始祖とする遅暗いメタルを好き好んでいる身なので、日本初のOZZFESTがメタル戦士たちにとってどういう存在なのか多少わかります。一方そもそも根っこがヴィジュアル界にあるのでむしろメタラーからは迫害される側で、メタラーの狭量さは身に沁みてわかっているつもりです。だからこそ今回の一件を知ったときは「あ、ヤベェこれ」っと思ったですね。同じメタル系のフェスでも、LOUD PARKは彼女らのファン層や活動幅を広げる意味で、すげー良いことだったと思うんですよ。アニメタルUSAっていう飛び道具にゲスト参加っていう、うまいガス抜きもしてたし。ただ、今回はワケが違うぞ、メタラーの怒りを買うぞ、炎上するぞ、と。そして炎上は完全に悪手だぞと。んで実際炎上してる。プロライターも敵に回すほど炎上してる。ももいろクローバーZはその純粋な一生懸命さが魅力らしいのに、炎上とか、あるいはメタラーに迫害を受けた「被害者」属性とか、ノイズであって、健全さが失われるだけの邪魔な要素にしかならないんじゃないのかなあと。だから現時点では、やっぱり失敗だったんだろうな、っつう気はします。もちろんライブが想像以上に良くて、あと周囲の諌める声を察知して、多くのひとが手のひら返す可能性も大いにあるとはおもいますんで当日に注目ですね。

あとがき

長くなりましたが、以上が現時点でのOZZFEST JAPAN 2013に対する私見です。

ちなみに危惧すべきメタラーによるももクロ側への迫害行為ですが、以前似たような事例があったので紹介しておきます。

1998年8月に富士急コニファーフォレストで行われたMARILYN MANSON「BEAUTIFUL MONSTERS TOUR」。その初日の8月7日に当時の人気ヴィジュアル系バンドPIERROTが出演しました。それに対しネット上でファンをつぶしてやるというような物騒な書き込みがあったのですが、実際にライブが始まると洋楽ファンはすみっこのほうでバンギャの振り付けの真似をしている程度で「そ、それだけ?」という感じだった、というのがボーカルのキリト談でした(キリト『思考回路』に顛末が書いてあります。手放したので正確な引用でなくて申し訳ないです)。もっとも、相手がバンギャかアイドル好きかではメタラーの態度も変わってくるような気もしますが、ともかくOZZFESTでも両者ともに物騒なことは起こさずに「そ、それだけ?」で終わるように願っております。

今回の件はフェス、ひいてはライブそのもののあり方にまで関わる事案で、まだまだ語り口はあるとおもうので今後も注視していきたいです。ちなみに今後「まだやってんの?」「もう飽きた」みたいなクール系音楽通の登場が予想されますが、最初から興味がないならともかく、そういう上から目線でありつつ、その実音楽を流行として消費しているようなひとたちで、かつこういう指摘を受けると「音楽なんてしょせん趣味だしなにムキになってんのダサい」とか言っちゃうような恥ずかしい連中はウンコ投げつけたくなるくらい私が嫌悪感を抱く対象ですので目にしたら教えてください。その場で脱糞します。でも投げはしません。

事後感想記事: OZZFEST JAPAN 2013 ~ももクロという正義、メタラーという悪。~

ファーストアルバムの意義その1:初期衝動ってなんだよ

前書き

高タンパク質な食事をしていたら人生初の便秘になってしまいました。つうことでカタいウンコを出すべく便座のうえでウンヌッとうなっていたら便がアナールから降り落ちると同時に以下のような考えが形而上から降り落ちて来た次第です。

便秘解消したものの本発言はいろいろとすっきりしない表現ですのでいっちょキバって長文したためてやりましょう、というのが今回の記事。すなわち「作品を出し続けることによる一般的な志向の変化」が主題です。

素人による音楽作品制作が含む曖昧さ

作曲素人が曲でも作って録音してみようかしら?と思うとき、なんとなしの方向性がそこにはあります。それをここでは心象とでも呼びましょうか。心象で、例えばわかりやすいのは曲のジャンルで、メロコアがやりたいとか、ブラックメタルがやりたいとか、そういうの。あるいは「あの太眉、キーボードらしいしキーボード入れねぇとな……」っつー演奏形態への配慮や、「あの絵を音楽にしてみたい」などという非音楽的要素なども含まれるでしょう。そういうのをひっくるめて、「音になる以前の音」とでもいうようなものが頭のなかにできあがってきます。

で、そうした心象がどれだけ具体的かっていうのにはその時々で差があるでしょう。もっとも具体的なのは「○○(ジャンル名や作品名)みたいのがやりたい!」っていう、すでにこの世に存在している曲を目指す場合。完成形が聴けるのでそれに向かえば良いですね。具体的。わかりやすい。

 「DIR EN GREYみたいなのがやりたい!」(動画はイメージです。本稿とは一切関係ありません)

これが「DIR EN GREYにブラックメタル混ぜたようなのがやりたい!」となると具体度が下がります。基本的に、目指す方向性のために思い描いた要素が多いほど心象は曖昧になっていきます。したがって、そうして曖昧になればなるほど、非常にぼんやりとした完成形を目指して作品を制作をすることになります。

さてその制作。これが初心者にとっては非常に大変です。機材は何が必要なのか。どうやって録音するのか、編集するのか。曲は、音は、どうやって作るのか。ミックスは、マスタリングは……と、技術的課題は山積みです。ある程度経済的な側面も要求されます。

その困難を乗り越えてようやく作品を完成させたとしても、当初思い描いていた理想像にビシッと合うようなものができる可能性は限りなく低いでしょう。これは技術力不足によるものです。心象を正確に出力する技術が伴っていないわけです。そのせいで、出力時に余計な要素まで混じったり、目指していた要素が欠けたりします。上記の例なら、DIR EN GREYを目指してるのにthe GazzetEが入ってしまったり、ブラックメタル感を出そうとトレモロをいれたらポスト感も出てしまったり。そうやって出来上がったものの具体度は、当初の心象と比べてより曖昧になってしまうわけです。

つうことで、最初のアルバム≒編集音源制作技術の未熟な人が作ったアルバムは、最初に目指した方向性の具体度に関わらず、複数の要素を、それもにじんだ形で孕みやすいということになります。

成熟による心象の具体化

さて、これが二作目、三作目となっていくとどうでしょう。単純な経験の蓄積によって制作技術は向上し、より心象を具体的に出力できるようになるでしょう。

一方心象それ自体。こちらも具体性を増します。曖昧ながらも、「音になる以前の音」である心象を実際の「音」として完成させた経験が、心象へと帰還されることで心象そのものの具体性を増幅させるのです。たとえば出力された「DIR EN GREYにブラックメタルを混ぜたようなの」が、本人の印象から満足いくものであれば、曖昧だった当該の心象に実際の音楽が付与されて具体的になります。あるいは当該出力が本人の印象から外れていた場合でも「これではない」という、いわば外堀から埋める形で当該の心象が具体性を増します。

そしてさらに、「音」の心象への帰還は、その心象そのものが本当に自分の目指していた心象と合致していたかどうかの判断の手助けにもなります。

すなわち作品制作は「やりたいこと」を原段階から研ぎ澄まし、同時に「やりたいことがなにか」への指針にもなるということです。両者ともに「やりたいこと」を明確にしていく働きを持っています。

以上をまとめると、制作をこなせばこなすほど、(1)心象という音楽以前の形、(2)その心象を実際に音楽にした形、この二つの形において作品の曖昧さが薄れ、具体性を帯びていく、ということになります。

初期衝動ってなんだ

ここでちょっと話を変えて、ある言葉に言及していきます。それは「初期衝動」。音楽批評を読んでいれば、必ず目にする言葉です。なんとなくカッコイイ言葉だし、ロック感あるのでよくつかわれます。じゃあこれ、どういう意味なんでしょう。そらてめー、なんつーか、その、湧きあがる感情だよ!やってやるぜ!オラ!っつうよぉー、つうかそれを考えた時点でもう初期衝動じゃねーんだよ!!ごもっともです。ごもっともですが、そういうものを冷静に解析していくのが我々批評家の仕事です。なにしろこの初期衝動、初期作評に多用されるがゆえに、初期作の意義を解読する大きな鍵となるに違いないからです。ニーチェは神を殺した。しかし果たしてこの私に初期衝動が殺せるだろうか……?

初期衝動というものを考えるうえでひとまず明確にしておかなければならない点があります。それは作り手側にとっての初期衝動と聴き手側にとっての初期衝動は違うものだということです。言うまでもなく、初期衝動そのものが音楽に内包されるわけではありません。音楽は音であり空気の振動であり、感情ではありません。したがって製作者がいくら初期衝動的感情を持って作曲に臨もうとも、その感情が直接聴き手に伝わることはありません。聴き手が音楽を聴いて初期衝動を感じる際には音を通してであり、したがってそこにはなんらかの共通した音楽的な要素があるということです(補足:ライブで激しい動きをする、インタビューで反体制的な発言をする、などなど音楽作品以外の面での初期衝動はここでは除きます)。もちろんその共通項というのは人によって異なる部分もあるでしょう。ただ、多くの場合初期衝動は初期の作品に対して感じられることから、初期衝動的音楽要素にはある程度一定の志向性があることも予想されます。

同じ製作者が同じジャンル内で作品を発表し続けているのに初期作品にしか初期衝動がないという事例はたくさんあります。また、初期衝動はいろいろなジャンルの音楽に適用されています。ロックやパンク、メタルなどはもちろん、ヒップホップやレゲエ、ジャズなんかでも例が見られます(ウェブで検索してみてください)。この時点で初期衝動は単純な音符の並びや旋律以外の部分の何かだということになります。

さて、勘の良いかたは既にお気づきでしょう。そうです。この初期衝動を感じる際の「一定の志向性」こそが前段で言及した「曖昧さ」なのです。バーン!言い切ってやった!

前述の通り、曖昧さは心象段階での要素の絞り切れなさと、たとえ絞っていたとしても、出力段階での要素の確立できなさから発揮されます。要素が絞りきれないということはすなわち作品に多くの要素が内包されうるということであり、要素が確立できないということはすなわち作品中の要素が他の要素と混ざりやすいということです。

初期作品は意図するしないにかかわらず構造的に複数の要素がにじんだ形で含まれがち。そしてその雑然とした部分は作品を重ねるごとに薄れていく。製作者として成熟することで失われるもの……。それはまさに初期衝動的挙動と言えます。「曖昧さ」というすごく曖昧なものである、という点も、意味の説明に困る初期衝動という単語の内容としてふさわしいのではないでしょうか。もうこれ決定でいいんじゃね?初期衝動、死んだんじゃね?いいえ。もちろん、これだけでは証明弱いっす。承知してるっす。ただまあ、我々が作品から初期衝動を感じる際のひとつの重要な因子なんじゃねえの、くらいは言えるでしょう。そして「初期が良かった」論の背景には、単純な音楽的変化のほかに、少なからずこうした面が含まれていると予想させてください。

後書き

って結局曖昧で感覚的な話になった気はしますが……。もっと音楽的に考察するには、各ジャンルごとの初期衝動を考えていく必要があると思われます。だれかやって。え、オレェ?

それはとりあえず置いといて、次回はこの初期衝動というものが我々聴き手にどういう影響を与えるのか、つまり冒頭の文章の後半部分について長文をしたためていきます。さらにその次は、製作者側が初期衝動的なものを失わないためにはどうするべきかも考えていく予定です。えっ、まだ続くの!?続くよ!!

(表題画像はVectorportal.comからお借りしました)

カバー画像

CULTURA TRES『El Mal Del Bien』:ベネズエラの黒い安息日。(Sludge Metal)

好きなバンドの新作に先立って旧作レビュー!とか言う検索流入アップを見込んだ小賢しいマネをやってみたら、前回文字数的な意味でとぉーってもステキな記事が書けました。調子に乗ってその続編です。

そんときはベネズエラっちゅう出自に焦点をあてて「内外両方を向いた奥行きのある怒りが歌詞と曲双方にあらわれている(キリッ)(自らの首を絞める音)」なんてぇ論旨を展開してみました。ベネズエラという地域の特色と音楽性からその結論を導いたわけですが、本作をレビューするにあたってインタビューを読んでいたらどうもなかなか的を得ていたようです。……あ、あ、疑ってますね!「インタビューを読んでから件の論旨を考えたのにそれをさも自分で考えついたかのような言い訳がましいことを書きやがって」、そうおもってますね!ちがいます。神に誓って違います!無神論者が神にすがって否定します!すごいのか、それ。

つうわけで今回の標的は神です。まず作品名が『El Mal del Bien(神の悪)』ですからね。歌詞にも頻繁に神に関する言葉が出てきます。なんというか、神の御名下にいろんなことが正当化されてるのが気に食わないようです。

…governments still invade, manipulate, rob and murder individuals; all condoned by ‘god-given rights’(*1)
(過去にアメリカ先住民に対して侵略を行った)政府は未だ個々の侵略、操作、強奪、そして人殺しを行っています。そして、すべて「神の光」によって許されている。

ベネズエラはスペインの植民地時代の影響で人口の90%以上が名目上カトリックということです(*2)。侵略者たちの思想に染まって、あるいは甘んじて生活し、あまつさえ先祖にとっては侵略でしかなかったアメリカ大陸発見の10月12日を「祝日」として祝ってしまう自国民たちにガマンならないようです(*1)。スペイン語の歌詞が増えていること、そして<自分たちの音楽が武器だとしたら何を破壊する?>という質問に、<無知と無関心>と答えていることからも、少なくとも本作を発表した前後では侵略者たちへの外向けの敵意ではなくて内向けの啓蒙的憤怒が主な考えかたになっていると言えるでしょう(*1)

以上のように、神という概念を取り扱っていること、向いている方向が内側であることの影響もあってか、ハードコア的肉感のあった前作と比べると、単純な攻撃性が抑えられた音楽性になっています。突進パートは減り、鈍重パートも全体的にテンポが遅くなりました。ボーカルはメロディを大々的に取り入れ、古典的なドゥームメタルに近づいたように思えます。そういう意味でおまけとしてBLACK SABBATH「Black Sabbath」のカバーが入っているのはとても象徴的。なので、相変わらずおもしろみはあるものの、かなりズルズルでダルダルなので自覚者以外には前作『La Cura』のほうがおすすめです。

個人的にとても腑に落ちたのが彼らが影響元にALICE IN CHAINSを挙げていること(*1)。ドゥーム/スラッジ/ストーナーの割にいわゆるMELVINS、SLEEPフォロワーとちょっと異なる退廃的な雰囲気をかもしだしているのはそういうことだったんだな、と。また、THE MARS VOLTAやGOD SPEED YOU! BLACK EMPERORといったプログレ勢ポストロク勢も同時に挙げているものの、そのあたりの雰囲気はあまり感じられません(前作はギターワークに面影合った)。<まあなんでも聴くよ、雑食性かな(笑)>(*1)っつーその辺によくいるセルフレーム眼鏡クソサブカル5年連続ナンバー1!みてぇなこともぬかしておりますので、そういう音楽的に幅広い面がもっと発現してポストメタルに近づけば、その辺によくいるセルフレーム眼鏡クソサブカル10年連続ナンバー1!の私好みになるのになーと。つうことで新作は腹に据えかねる自由主義的怒りをスラッジ寄りポストメタル的音像で爆発させてくだしあ。

  1. *1 IDIOTEQ.COM「EXCLUSIVE: CULTURA TRES interview」- 28, Oct. 2012
  2. *2 U.S.DEPARTMENT OF STATES「Venezuela – International Religious Freedom Report 2008
カバー画像

CULTURA TRES『La Cura』:ベネズエラの戦慄。(Sludge Metal)

ネットの発達と音楽の質の向上

http://d.hatena.ne.jp/hase0831/20130407
「音楽がミュージシャンのところに帰ってきた」 – インターネットの備忘録

上記記事で紹介されている本は主に音楽活動の経営の話を扱っています。とてもおもしろい本なので是非。

<ミュージシャンが手にした3つの手段>(製作手段、広報手段、頒布手段)によって、以前よりも多くのひとが音楽を発信できるようになってます。そして私たち聴き手、あるいはレコード会社は、ネットを通じて容易にその情報を受信できるようになったんですね。かつては雑誌やライブ、口コミを駆使しないと知りえなかったような音楽作品に、自宅でクリックを続けるだけで触れられる。私みたいな出不精でデブ症な引きこもりでも、Youtubeで再生数の少ない前衛的な音楽を聴いて「フヒッ、やっぱりボクがいちばん詳しいんだよね」と悦に浸ることができるわけです。我々ひとりひとりが接することができる音楽の数は、飛躍的に上昇したと考えてよいでしょう。大量の音楽にさらされた聴き手の耳は肥え、ぜんえーてきなの、ぜんえーてきなのがほしいのぉぉぉ!と日夜電脳世界をさまようってわけです。

言うまでもなく、ミュージシャンも聴き手です。大量の音楽を聴くことは、そのままミュージシャンとしての骨格の太さに繋がります。大量とまでいかなくても、ある著名ミュージシャンの名盤とその周辺のフォロワーをいくつか聴けば、そのジャンルの方法論はある程度見えてくるものです。方法論がわかってしまえば、あとはそれをチョチョいと使えば私でもそのフォロワーの仲間に入れちゃう。コミュ力を必要とする学生の「仲間」や、命を張らなければならない海賊の「仲間」と違って、たやすく、それはもうたやすく!

その方法論を実現するための音楽制作環境も、以前とは比べものにならないくらい発展しました。そこそこのパソコンとやる気さえあれば、多重録音から編集まで手軽に行えます。「10連ファズ踏み倒したい!」、「ギター25本重ねたい!」。ええ、ええ、簡単プラグイン無料です。「ギター下手なんだけど……」。ええ、ええ、ツギハギ楽勝です。「友達いないんだけど」。ええ、ええ、ドラムとベースは打ち込みで独りプロジェクト余裕です。

というわけでギター1本とパソコン1台、それと『Loveless』1枚あれば、誰でもMY BLOODY VALENTINEフォロワーになれると言ったら過言かもしれませんし大量の敵を作ることになりそうなので「そんなことないよ!」と言っておきますが、ともかく楽曲制作がいろいろな面で容易になったことである程度の品質の音楽が生まれやすくなったと言えるでしょう。

こうした状況で、未来を担う志あるミュージシャンたちは、どうやって他の音楽作品から抜きん出るか、どうやって聴き手に目をつけてもらうかを考えなければなりません。あるいは我々聴き手は、どうやってすばらしい音楽を選び出すかを考えなければなりません。

差別化の手段としての地域性とその発現

そのひとつの手段、指標としてあげられるが地域性です。地域性には、その地域独自の旋律や言語、楽器を取り入れるという直接的なやり方と、その地域の風土に強く触れることで音楽に「地域」が宿る間接的なやり方があります。二つのうち私が重要だとおもっているのは後者です。

たとえば日本にはSiMというバンドがいます。メタルコアを基本としつつ、レゲエを積極的に取り込んでいます。レゲエといえばジャマイカですが、彼らの音楽からジャマイカ性は出ているでしょうか。ノーッ!微塵も。たとえばデビュー作『SEEDS OF HOPE』のプロモーションビデオがある作品、すなわち代表作である「KiLLiNG ME」は全くレゲエ要素がありません。これは彼らにとってレゲエは執着すべき思想ではなく、ひとつの単なる音楽ジャンルであることを示唆しています(当然ですが、SiMが悪いというわけではありません。あくまで地域性がない、というだけです)

一方SYSTEM OF A DOWN。メンバー全員がアルメニア系アメリカ人のこのメタルバンドは、公式サイトにあるようにとても政治色が強い。そしてその政治色の強さは確実に彼らの出自に関係しています。曲に関して言えば、アルメニア風らしきメロディが各所で使われているものの、アルメニアという国の音楽の認知度はレゲエに遠く及ばないことから直接的な意味での地域性はそう強くありません。にもかかわらず彼らの音楽からは強烈に「異国」の力が感じられます。出自の政治的な立ち位置が原動力になり、音楽に地域性が宿ったのです。


単純にふざけてるからそう思えるだけかもしらん……

もちろん地域性は政治に結びつくとは限りません。たとえば我々日本が世界に誇れる文化、ANIME & HENTAI。それを体現したのがアンティック-珈琲店-を発端とした男の娘系ヴィジュアルゲイバンドであることは認めざるを得ないでしょう(なに、認めたくない?そいつはニャッピーo(≧∀≦)o(顔文字は発音しない)な話だぜ……)。そしてその地域性を遠く北欧のスウェーデンのジャパニーズヴィジュアルゲイマニアYOHIOが発現させていることを踏まえると、やはり、音楽作品で地域性を発揮するには、その地域の音楽を取り入れるだけではなく、その地域の文化を理解して宿すことが重要だと言えるでしょう。

ようやく本論

さて前置きがクソみたいに長くなりましたね!なに、クソはコロコロとしてて長いもんじゃない?ははぁ便秘症のかたがいるとは失礼しました。それでは、言い直します。前置きが私の快便のように長くなりましたね!はい、こういうことをしているから記事が長くなるのです。ごもっともです。でもやめません。

そろそろこの記事がとある音源のレビュー記事だということを皆さんお忘れかもしれません。改めて紹介しましょう。今回紹介するのはベネズエラのスラッジメタルバンドCLUTURA TRESのデビューアルバム『La Cura』です。

彼らの特徴は、やはりベネズエラというその国です。ベネズエラといえば……その先は言わなくてもわかりますよね?

というわけで本バンドがいかにベネズエラの戦慄ことカルロス・リベラの特性をはらんでいるかを検証していきます。ヘイヤハーッ!

あっ、あっ、まって!無表情で無感情にページを閉じないで!やめるから!なるべくまともに議論するから!

そうそう、ここまで読んでくだすったあなたですからね、多少の茶目っ気は許してもらえると踏んでたんでさあ……ヘヘヘ……。

必死です。

満足したところで、それではひとまずジャケットを見ていただきましょう。

ベネズエラの有名産油地マラカイボ湖、採油機、そこにぶら下がる人々と国旗(手前からベネズエラ、イラクっぽいの、イランっぽいの)……。一目で政治的な批判が込められていることがわかるでしょう。

歌詞に関してもそういう傾向は強く、たとえば#8「Third World Sentence」なんか曲名からして完全に発展途上国と先進国の対立を意識しています。また、#4「My Word」のように北米への敵意むき出しな曲もあります。

don’t you see the truth?
and I wrote my visions on that book
read it to the world
spread the word of god, spread the word of god
my Word
my War

真実が見えるか
例の本に俺の考えを書き込んで、世界に向けて読み上げた
神の言葉の蔓延、神の言葉の蔓延
俺の言葉
俺の戦い

先々月に死亡したベネズエラのチャベス大統領は反米派として有名でしたが、そういう意味でチャベス政権色の強い内容の作品と言えます。ボロッ(ネットでいっしょけんめえに付けた焼刃がこぼれ落ちた音)。とはいえこうした反米感情/反先進国感情というのは途上国であればどこにでも根付いているものでしょう。実際彼らもジャケットでイラクやイランの国旗も模していることからも、ベネズエラ一国ウンヌンではなく搾取する側と搾取される側という構造に意識が強いと思われます。そしてそうした大局的なものの見方が故に、彼らの感情は搾取する側だけではなく、搾取される側にも向けられていると見えます。

搾取される側に向けられる感情とはなんでしょう。ベネズエラ人の国民性は<激烈さ、突風性、ばか騒ぎの傾向>と評される一方で、<平和で従順な性格>とされてもいます(*1)。搾取されることに甘んじてしまう一部の国民。そしてその国民性について心から理解できてしまう自分。怒りと不満と同情の入り混じった感情。

もう一度注意深く歌詞に目を向けてみると、単純な不平不満や皮肉で欧米を攻撃しているわけではないことがわかります。それよりも感情の揺れを記述したり、自身の鼓舞や誰かへの啓蒙を表現したりしている部分が多いように思えます。

face the eyes of hunger and sickness
and meet the point of no return
now try to judge them
now try to blame them
third world sentence
our sentence

飢えと病を直視しろ
もう後戻りはできない
今、あいつらを裁くんだ
今、あいつらを責めるんだ
第三世界の判決で
俺たちの判決で

#8「Third World Sentence」

搾取する側へ怒りを向けるだけではない。搾取される自分たちへの複雑な感情を抱えながら、それでも前へ進もう、自らが率先して発信していこうという激烈さが、<俺の言葉>や<俺たちの判決で>という歌詞に込められているのではないでしょうか。

もちろんそうした感情は曲にも多分に現れています。EYEHATEGODの系譜にある怒声を張りあげ弦をドルゥンドルゥン震わせながらドッカンドッカン進撃する#5「No Mas Sangre」、気怠い重苦しさを引きずる#8「And Then I Woke Up…」、そしてそれらが同居した#1「A Brighter Light」。重低音リフとそこからプロミネンスのように吹き出すギターメロを駆使して、押し引きの効いた展開を聴かせてくれるそれらの曲からは、彼らの感情の奥行きがそのまま感じられるようです。

本作には南米特有の楽器や旋律が使われているわけではありませんし、歌詞もほとんど英語です。また、音質や編集技術もメジャーなメタルバンドと同じ土俵に立てる程度に洗練されています。それにもかかわらず、欧米諸国にはないような土臭い感情が喚起される。それこそが前述した地域性であり、本作では彼らのベネズエラ出身という特性が十分に発揮されていると言えるでしょう。

そうした部分抜きにしても、単純にスラッジコアとしてめちゃめちゃかっこいいです。ともすれば単調に陥りがちなスラッジドゥーム界隈ですが、見事なアレンジで退屈させずにその鈍重な攻撃性を発揮しています。5月に新作『Rezando al Miedo』が発売されますので、本作とあわせて力強くおすすめしておきます。

次は2011年作『El Mal Del Bien』をレビュー予定デス。ヘイヤハーッ!


クソゲロかっこいい。

  1. *1 新藤通弘『革命のベネズエラ紀行』、新日本出版社、2006年