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EARLY GRAVES『Red Horse』で死についてちょっと考えた。

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デスメタルはリフだ。そして、リフは輪郭だ。頭をふるべきはっきりとした断続だ。誰が軟弱なトレモロでヘッドバンギングするってんだ?聴いたあと、首がもげるほど「ヘッドバンギング」の記号で満たされている。それがデスメタルってもんだ。

ハードコアはリフだ。そして、リフは肉体だ。暴れまわるべきはっきりとした塊だ。誰が軟弱なギターソロでモッシュするってんだ?聴いたあと、痣だらけになるほど「モッシュ」の記号で満たされている。それがハードコアってもんだ。

さて、EARLY GRAVESはFacebookでこう記している。

The band’s sound has been described as a mixture of old school Swedish death metal and American hardcore punk and have drawn comparisons to Napalm Death, Carcass, Tragedy and Testament among other.

そしてその通り、彼らはヘッドバンギングに必要な輪郭と、モッシュに必要な塊、デスメタルとハードコアの記号を見事にその音に宿している。輪郭は主にドカドカとクソうるせえドラム。塊はうねりながら低音をまきちらすギター。基本はこれだ。

このふたつの記号は意外と両立しない。輪郭は断続であり、塊は連続であるからだ(もちろん、実際にヘッドバンギングやモッシュをするかどうかは別として)。とはいえデスメタル(もっと遡ればスラッシュ)とハードコアが誕生して数十年、両記号をうまく相溶させたバンドは少なくない。クロスオーバースラッシュというジャンルがある位だから、スラッシュを源流にもつデスメタルがクロスオーバーするのは不思議ではない。つまりこの手のバンドの場合、そのふたつの要素を「どう組み合わせたか」が問題になる。そして彼らの場合その肝はHIS HERO IS GONEからCONVERGEへと受け継がれる近年隆盛のハードコアスタイルだろう。輪郭と断続という物理的事象を、暴力と叙情という精神的事象で結びつけたというわけだ。

彼らにおいてはその混沌と叙情の発現のしかたもやや特徴的。混沌はなんといってもギターの音だ。10連ファズを踏み倒したかのようなぶっとい音は、もはやハードコアを通りこしてヘヴィドローンのうねりの境地に達している。その音でまー突撃する。一方叙情のほうは、コードの妙。あんまりこの手のバンドがつかわないような、どちらかというとインディロックが好みそうな違和感のあるコードを要所で使用している。そしてそれがまた、こんなに暴力的なのに、感情をくすぐるんだわ。本人たちも感情を抑えきれなかったのか、#8「Quietus」の最後で突如叙情的なポストメタルやってしまってるし。

そう、押さえきれない。なにをって、前ボーカリストの死に対する哀しみをだ。

2010年8月、前作『Goner』の発売の1ヵ月後、彼らは当時のボーカリストMakh Danielsを交通事故で亡くした。その深い哀しみは、同年10月の激ロックインタビューで語られている。

  • 2010年の8月2日は俺たちにとって本当に最悪の日だった。
  • 電話をしてももう彼は居ない。まだショックから立ち直れてないし、彼に帰ってきて欲しいと思う気持ちでいっぱいだ。
  • 俺たちは一緒に出かけなくても、毎日のように音楽や人生や愛や、今後の色んな計画について電話で話したりしてたね。
  • 彼はEARLY GRAVESが大好きだったし、彼のすべてだったんだ。

もうやめたげてえ!(フジョ的な意味で)

さて、本作『Red Horse』はそのものずばりヨハネ黙示録の第二の騎士をさしているだろう。第二の騎士は赤い馬にのった剣をもつ騎士で、平和をうばい世界に戦争をもたらす。歌詞は手もとにないのだが、曲名から察するに作品全体で戦争が起こって世界が消滅へと向かう内容になっているとおもわれる。その最後が前述の#8「Quietus」である。消滅の果てを叙情的な音楽で飾る、というのはややベタではあるが、やはりその唐突さには何か理由があると勘ぐらざるを得ない。そしてその理由がMakhの死だった。彼の死が、彼らの音楽にひとつの具体的な陰を落とし、それが暴力性から滲み出でて最終的に増幅発散してポストメタル的音像となった。……というのは少々できすぎた話だろうか。

私は当事者ではない。だから、彼の死に過度に感傷的になりはしない。彼の死を嘆くこともしない。ただ作品から、彼の死があたえた影響を、ただ作品のみから感じ取り、そこに彼の「生」を見出す。それはたしかに冷徹だし陳腐だが、それが部外者のいちリスナーでしかない私ができる、最大限の鎮魂である。

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