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mewithoutYou『Ten Stories』が「神」盤すぎて、「私」、私になります。

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mewithoutYouとその歌詞世界

Pennsylvania州の4人組ロックバンド、mewithoutYouの3年ぶり5枚目のアルバム。長年世話になったTooth & Nail Recordsから離れ、自身で設立したレーベルからの発売。

このバンドの最大の特徴はボーカルAaron Weissの宗教に根ざした詞と、朗読にちかい唄。それはポストハードコアだった初期でも、おおきくフォークロックへと路線を変更した前作でも変わらない、強い特徴だ。

Aaronの家は父親がユダヤ教、母親が聖公会からそれぞれイスラム教神秘主義改宗している模様。ただ、息子に信仰を強要しなかったし、息子がクリスチャンの集会に顔を出すようになっても否定せず、逆に神を信じるようになったことを喜んだとインタビュー (Busted、27 Apr. 2007) で語っている。

彼の詞には神という単語がよくでてくるし、彼がクリスチャンであることから、クリスチャンバンドと語られることもあるようだ。これについてAaronは、聴き手がどう感じようと自由だけど、という前置きをおいてから<Our hearts are very far from Jesus>とはっきり否定している。一方でこのようにも語っている。

 But I also have a very clear sense of mission and purpose that I believe is from God (snip).
 でも、僕はかなり明確に使命感と目的を持ってやっていますね。それは神が与えたものだと信じてます。(一部略)

 Just loving God. It’s love ― that’s the only thing that I want people to take away from it.
 ただ神を愛すること。そう、愛 ― それこそがみんなに僕らの音楽から感じ取って欲しいことです。(訳について補足: take away fromの意味がビミョーですが、文脈からたぶんこうだととりました)

なるほどつまり、キリストという特定の神ではなく、もっと広い意味での「神」と個人の「あり方」について書いているということだろうか。確かに宗教的に寛容で多様な家庭で育った彼が宗教そのものではなく、その「あり方」を意識した歌詞を書くのは自然のことに思える。

とはいえ「神」が絡む宗教にあまりなじみのない平均的日本人の私が彼の歌詞をそういう元来の視点で理解できるわけない。私にとっては宗教や「神」との対峙は一種の哲学にすぎない。だからこそそうした目線で理解するのがスジってもんだ。

『Ten Stories』の音楽性と歌詞世界の高い親和度

前置きが長くなったが、今作『Ten Stories』の話に移ろう。この作品は10の物語と1つの教示によって構成されるコンセプトアルバムだ。その物語の内容は

  • サーカス団をのせた列車が事故を起こして動物たちは逃げ出す。
  • 動物によって疫病が蔓延するという噂がまたたく間にひろがる。
  • それぞれの動物たちのそれから。

というもの。それぞれの曲はそれぞれの動物の台詞を中心に構成されている。それぞれの動物は以下のような結末をたどる。

  • トラ: (人間を威嚇して皆を逃がすために?)その場にのこり捕まる。
  • クジャク: 逃げずにゆらゆらゆれてたら捕まる。
  • ゾウ: 「逃げるには目立ちすぎるし老いすぎている」という理由で逃げずに捕まり、群集に糾弾される。
  • ナスビ: なぜか1曲の主役に抜擢されているうえにしゃべる。
  • ウサギ: 国立公園へ向かう。
  • セイウチ: 旅するフクロウに一目ぼれされる。
  • キツネ: クマとともに行動する。体力の限界から足手まといになることを恐れ、クマに別れを告げる。
  • クマ: キツネとともに行動する。体力の続くかぎりキツネとともに行く決心を告げる。

あまり明るい物語ではない。アメリカンニューシネマのような儚い逃避行だ。そしてその雰囲気は、彼らの持ち前の音楽と最高に親和している。

初期のころ、彼らはいわゆるポストハードコアをやっていたが、徐々にフォーク/物語要素がまざりだして前作『It’s All Crazy! It’s All False! It’s All A Dream! It’s Alright』ではアコギ主体のフォークロック路線に振り切った。一方今回は、エレキギターとダイナミックなリズムを再採用して初期のポストハードコア要素が戻ってきている。フォークロックの哀愁と物語感にポストハードコアの焦燥感が入り混じって独特のロックになっていて最高にかっこいい。そしてうえでも述べたように、その音像はこのボニーとクライド的メルヘン動物譚と100%合致している。これはとてもすばらしいことだ。

作曲者はmewithoutYouとなっている。作詞とはちがい、Aaron以外も作曲におおきく携わっているのだろう。曲がさきに来たのか、詞がさきに来たのかはわからない。ただ、この作品は作詞者と作曲者がかなり親密に連携をとっていないとできないものだということは間違いない。そしてmewithoutYouはそれを成しとげた。これは彼らが「コンセプトバンド」として強固すぎる地盤をもっていることをあらわしているのだ。

これが彼ら自身のレーベルから発売されたっていう事実も何かうなずける。Aaronが語っているように、彼らには確固とした「信念」がある。それはレコード会社のコマーシャリズム程度では到底くつがえせる代物ではない。レコード会社のコーマシャリズムから解放された強く純粋な「信念」が、こうしたすばらしい作品を生み出した。コマーシャリズムとどう折りあいをつけていくか悩む過程で成長していくムックのようなバンドを追うのもおもしろいが、こうして信念と感性に安心して身をあずけられるバンドに出会えるっていうのは、音楽鑑賞をするうえでとても喜ばしいことだ。

難解な歌詞にさじを投げる

で、肝心の詞ですが、正直言って、まーどいつもこいつもわけのわからん内容を話しやがる。比喩がおおいうえに抽象的な言いまわしばかりで、うえにあげた概要も実はあってるかどうか怪しいくらいに難解。おれ程度の英語力ではぜんぜん訳せねえ、日本語でも意味を汲みとるのに難儀しそう。ナスビがしゃべるし。

一応一節を引用してみよう。

[Peacock:]

And I often wonder if I’ve already died
クジャク:
(サーカスの楽しげな様子をつらつらと語ったあとに)そして、大体自分がもう死んでるんじゃないかっておもうの。

[Tiger:]

I often wonder if I’ve already died,
Or if the ‘I’ is an unintelligible lie
トラ:
(わけのわからんことをつらつらと語ったあとに)自分がすでに死んでるんじゃないかと考えてしまうよ。あるいは、この「私」はあいまいな嘘なのかもしれないな。
#4「Cardiff Giant」

ね。全編こんなかんじ。「私」とか括弧つきでいっちゃって自我語っちゃうわけですよ。トラとかゾウとか、あとナスビが。もうお手上げっす。どなたかうまいこと日本語訳してください。謝礼ははずみます。

「私」に「神」が与えてくれるもの

ただこういう一節がある。

it’s pretty obvious that there’s no God
and there’s definitely a God!
ここに神がいないことは見え見えだ。
そしてここにはもちろん「神」がいるんだ!
#7「Fox’s Dream of the Log Flume」

これを見ると、「神」は場合によって多様だし、「神」とのありかたというのは多様で、それが「私」の形成に関わってくる、という内容が彼の詞のなかで重要な意味をしめているのかな、と感じる。そしてその「神」がなんなのかというのは、最後の曲#11「All Circles」のなかに答えがあるように思える。この曲は以下の歌詞の繰り返しで構成される。

All circles presuppose they’ll end where they begin
But only in their leaving can they ever come back around

すべての円は始点を終点とすることを前提としている
しかしただ円が始まることでのみ、常に周り戻ってくることができる

この歌詞を、文の途切れなどお構いなしにシンガロングしつづける。ぐるぐるぐるぐるぐる…。

『Ten Stories』は破滅の物語に思える。ほとんどの動物が、のたれ死ぬか病気の温床として殺処分されるかのような記述がされている。しかし実は、彼らの結末は明示されていない。あるいは彼らはまたもとのサーカス団に戻り、人間の服を着て、綱をわたり、人々を楽しませているかもしれない。元の不自由な生活に戻っているかもしれない。

それは一見いままでと変わらないようにおもえる。しかし列車事故による束の間の自由を得たことは、確実に何かを変えているのだ。同じ地点でも、静的な一点と動的な円の中の一点では、まったく意味が変わってくるのだ。

だから我々も、一歩踏み出そう。何をしても、結局いつものあの「私」でしかないかもしれない。それでも我々は巡ろうではないか。巡り巡るなかでの「私」を幾度も再認識しようではないか。そのなかで「私」というあいまいな嘘は、私という確固たる事実に変わっていくのだから。

私を形成するために円を巡る意志。それを与えてくれるのが「神」だとするのなら、このアルバムは、まさしく私の「神」であり、「神」盤であるといえる。

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