カバー画像

downy『無題 (3rd)』で全感覚が多彩を帯びた。

※文章再利用企画。2003年に書いたもの。

寒気がする。なんて不安定な、脆弱な、刺々しい作品なんだ。

ひとつひとつの音をより丁寧に繊細につむぎだしていて、そういう面でパッとぎき地味な印象を受けるかもしれない。その地味さをいままでの文脈でもって陰惨や退廃といった言葉で表すこともできるが、それはちょっと違う。

#2「アナーキーダンス」の<さあ、物狂いさんうたえ>という歌詞がよくそのへんをあらわしている。これはSPOOKY、物狂いさん寸前の人物が覚醒へと導かれる、その前段階の作品だ。「幽々白書」の名敵役戸愚呂弟の100%中の100%よりも、その直前のガリガリに痩せほそった状態に恐怖を覚えた自分は神経が割れるほどにぞくぞくした。

なぜこの鬱屈したアルバムが「自閉」ではなく「発狂寸前」として機能しているのか。やはり生音を主軸にし、あくまでバンド形態としてつくりだされているからってのはでかいだろう。リズムの明確さもあるだろうか。さて、自閉と発狂寸前、どちらがいいというわけではない。ただしかし、自閉は恐怖を生みださない。

#6「苒」は美しさをふくめほとんどありとあらゆる感覚は多彩さをもっているのだというあたりまえの事実をあらためてつきつけてくれる名曲。1st Albumに収録されていた「酩酊フリーク」のべつバージョンが最後に収録されているが、本作のしめ、そして4th Albumへのハシゴとしてふさわしい素敵なフリークさ。