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downy『無題 (2nd)』で交錯する静と動。

※文章再利用企画。2003年に書いたもの。

月は美しい。そして月というのは満月や三日月だけではない。ウスモヤのかかった、闇夜に浮かぶ輪郭のかすんだ月もまた、美しい。本作はそのような情緒を見事にあらわした逸作。

さて、こきざみなシンバルとドラムロールが疾走感をかもしだす#1「葵」で幕をあけるわけだけれど、その疾走感というのはふつうのひとがイメージするような、さわやかな、つきぬけるものではなくて、もっとくらく沈んだ疾走感である。それって疾走感なの?という疑問もあるだろうけど、いやいや。陰惨な疾走、それは我々自身。 そしてその疾走のさきには黒い夜の淵。アルバムの印象をきめるうえで重要な頭2曲の流れは完璧といっていい。

#3「黒い雨」は静と動がみごとに交錯している逸曲なわけだけれど、ここで注意したいのが、交錯、という言葉にもあらわれているように、彼らにおいて静と動は背反二律のものではない。一般的によくある「静」で進み「動」に切り替わる、ということではなく、あくまで交錯、「静」と「動」はときに独立し、ときに重なりあうわけです。何この巧みさ。あいからわず無感情で中立的なドラムが「静」と「動」の緩衝剤のひとつであるということは間違いない。とおもう。 で、いよいよオフィシャルで試聴させているまあ一般的なところのシングルあつかいだとおもわれる#4「象牙の塔」。#3が「静」と「動」の交錯であるならば、これは「静」と「動」の融合である。「動なる静」とでもいおうか。氷が青白く燃えあがっているような。おどるんだよ、やぶき、みたいな。 そのあとは<静寂が歩き出す>という歌詞そのまんまのイメージの#5「三月」、なきがらと読む#6「無空」、本作品のベストタイトル#7「犬枯れる」と三つの空虚が繰り出される。そして一定のフレーズを執拗に繰り返し我々を音とともに空間にただよわせてくれる#8「月が見ている」で本作は幕をとじる。これ、「ジョイメカファイト」のホウオウステージが思い出されるんですが、ホウオウステージが月であるのは偶然ではないのでありましょう。

前作に比べて前に出ないこもり気味な陰惨で繊細なギターワーク。音も内側へこもっていく、というよりは体内へ沈んでいくような感覚であり、酩酊というよりは、退廃。体内がじわじわと黒ずんでいき、からからに枯れていくようだ。

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downy『無題 (1st)』聴いて僕は丹下段平になりきった。

酩酊―なるほど、たしかに酩酊。なんという陶酔感。拡散していくべき音がすべて内側へとこもり、体液中をかけめぐる。音に酔うとはこういうことか。素敵。

ごっりごりの轟音ギターに、自己主張過剰ともおもえるベース、感情どころか無機的な意思すらかんじられないただひたすらにたたきつけていくドラム。好きだ。

このバンドに日本語のかっちりとした発音は似あわない。かといって英語の発音だと無難すぎる。そこでこの「英語化した日本語」という独自の発音。LOVE PSYCHEDELICOのKUMI氏やマキシマム ザ ホルモンのマキシマムザ亮君氏の英語化した「日本語」とはちがう、異様さをたずさえたこの発音はかれらの音と非常に相性がよい。もちろんききとれねぇ。だがそれがいい。

<噫!無頼一閃!>といったナンデスカソレハという漢字や文体をつかっていて、それはやはり「英語化した日本語」がただしく機能するためにも必要であり、また歌詞それだけでみてもなかなかに素敵なものだ。意味など読みとらずにただ字面をながめていてもたのしい。メンバーに映像担当がいるだけあって、視覚効果も考えているのだろう。一方で、

雨に撃たれてたら
この空も情緒不安なのさ
アイツらが嘘っぽく笑った
例の妄路が干からびそうさ
―青い空に唾を吐く―

といった直球に感情を揺さぶる歌詞も書いている。downyというバンド名そのままのサウンドと相まってもう泣き崩れるしかない。

#4「左の種」における最後のたたみかけなんか好きですねえ。<低空飛行>という歌詞にもあらわれてるような低いもりあがりなんだけれども。ドラムやギターが音の数をふやして荒げていくなか、ボーカルはあいかわらずの低いテンションをたもちながらじょじょに狂っていく。#10「猿の手柄」もラストおなじようなたたみかけかた。「さるのおかげさるのおかげさるの」という反復にはもうため息がでる。

さて、downyはこの時点ですでに異彩異才をはなっておりそのへんのバンドとは一線どころか幾重もの線を画していることはまちがいないのだけれど、未完成、いや、まだまだ化けるぞこいつらは、という雰囲気がなんとなしにただよっている。これからどんなバンドになっていくのか非常にたのしみであり、おそろしくもある。

ジョーをさいしょにみた段平はこんなきもちだったにちがいない。