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グルグル映畫館『或阿呆の半生』はよくもわるくも「らしすぎ」て泣いた。

2010年5月9日に活動自粛を宣言したグルグル映畫館。

実質の中心人物である天野鳶丸の健康上の理由ということです。しかしながらオフィシャルサイトの前向きが過ぎるほどのコメントを見るにそれほど深刻なわけではないようです。というかそう願っているわけです。ベタな言葉を用いれば希望的観測というヤツです。

というわけで10年以上も前からゆるゆるとミニアルバムレベルながらもコンスタントに作品を発表してきた彼らの、とりあえずひと段落作品として『或阿呆の半生前編』、『或阿呆の半生後編』が発売されました。前編が3曲入りのシングル、後編が11曲入りのアルバムです。

グルグル映畫館という存在はヴィジュアル界隈でおいてもかなり特殊で語りだすと非常に壮大な作業になるため、ここは「木を見て森を見た気になる」手法、即ち全曲レビューでお茶を濁します。

前編

#1「奇人凡人物語」
「天才秀才莫迦/凡才凡人馬鹿」という、らしすぎるフレーズから始まるマーチング歌謡。真っ当に前向きなサウンドの流れにあって、サビの前に少々毛色の異なるこのフレーズを挟み込むなんて構成を聴くと、いちいち「うまくなったなあ」と感心せざる終えない。一方でボーカルメロディとギターメロディが寄り添って前進する、というのは初期作品の「凡人ノススメ」で大成したもはや手垢のつきまくった手法なのだけれども、ね。

#2「どうしてくれようこのエレジィ」
メンバーチェンジ直前の作品『轍』収録作の再録音。メンバーチェンジによってバンドとしての地力が劇的にあがったのは周知のことですけれども、その最たる例として今後君臨するであろう出来。この曲に秘められた倦怠感をドゥーム/サイケ的なうねりでもって見事に完成させている。<明日は大丈夫と昨日も思ってた/どうしてくれようか終わらぬこのエレジィ>という歌詞とともに心に澱みを残していく。

#3「鬼窟のかぞえ唄」
スラッシーなリフで得た突進感をうねりの童謡メロディという泥沼に落とし込む曲構成。MINISTRYをも彷彿させる無機的なリフとドラムの殺気がガチ。ミ、ミニストリー!?

後編

#1「反ゲチスト宣言」
彼らの最初のCD音源『何処の青さに君、負けた。』の1曲目が「ゲチスト宣言」でしてね。以下画像にて全文引用しておきます。クリックすると拡大されます。歌詞カードに近い表記にしてあります。

ゲチスト宣言
Getist

反ゲチスト宣言
Antigetist

#2「人生停止信号」
「ブ然たり」から細々と続いているグルグル映畫館のスラッシュ魂。新しいことはどこにもないけれどもやけに高くなった音圧と激弾きギターソロを聴いているともう別にどうでもいーやー。

#3「最低なふたり」
ア、アリーナが見える!ボンジョビ!ボンジョビなのかい!

半分にしたあんパンを食べよう
あんこの量は運しだいだからね
笑って食べよう

という歌詞に泣いた。

#4「青春は風の中」
ドラムの前田一知が唄う、いわゆるフォークソングってえやつだ。こういうパロディというかオマージュは初期からある彼らの十八番であるんだけど独自のエッセンスを加えるでもなく。唄がうまいわけでもなく。

#5「とある家庭の事情その1」
ライブでは活劇もやっているらしく、その片鱗がたびたび音源でも垣間見られる。それはもうもちろんサムいのである。演技下手だし。
今回はニートと親のやりとり。似非関西弁、という一言で彼らのセンスが一部でも伝わることを願う。< #6「六畳一間唯我独尊」
こりゃやられた!未だかつて「もーう40さ~い」なんてセクシーな囁きから始まった曲があっただろうか!ねぇよ!未来永劫ねぇよ!情けねぇよ!
ニートをテーマにした歌詞に青空に羽ばたくような希望溢れるメロディのサビを当てはめるってまあ少々ベタかもしれんけども、そのあまりの現実逃避感溢れる展開に大きく笑った。名曲。

#7「とある家庭の事情その2
短くてよかった。

#8「生命の基本活動」
手拍子にのせてのアカペラ合唱。ゴスペルの超絶出来損ないとでもいえばいいだろうか。歌詞は<パンパンパンパンごはん。//食べないと生きられない。/インド人はたまに生きる。>とコミカルなんだけど、そんなこと気にならなくなるくらい唄が超絶出来損ない。ボーカルも含めてメンバー全員が超絶に唄が下手って、音楽に携わる者としてアリなのか。アリなのですね。

#9「さよならの行進曲」
軍歌歌謡風。メンバーチェンジ前はその演奏の下手さとあいまってこの手の曲が良い味となっていたんだけども、うまくなっちゃったからなあ。しかも歌唱力置いてけぼりで。

#10「玉音放送」
曲名、そのまんまだけど大丈夫?その筋の人が聞いたらブチ切れそうですけども。

#11「閉館アナウンス」
蛍の光。

4/10点

総評

彼らのアルバムには大抵寸劇や歌謡やフォークのパロディが収録されている。それらには、特に音楽的な部分であまり彼らならではのオリジナリティというものは無くて、天野鳶丸の骨肉となったその辺りの文化が忠実に再現されている。天野鳶丸と世界を共有したい方々はそれで満足するかもしれないが、こちとらライブにいかない引きこもりリスナー。パロディ曲郡は「おまけ」程度にしか機能しない。もちろん「おまけ」がアルバムの世界観とシリアスにガップリ合っている作品はそれはもうステキな出来になるのだけれどもなかなかそううまくいかなくて、大体はほとんど捨て曲のような状態。

今回の『或阿呆の半生前編』はそもそもそうした「おまけ」が入り込む余地がない曲数のためビシっとまとまっていてアルバムへの期待も高まると共に活動自粛が悔やまれる力作だった。一方で『或阿呆の半生後編』は、中盤以降ほぼ全部「おまけ」じゃねえかよ、とさすがに叫ばずにはいられない出来。嗚呼ーーっ!

ゆっくり養生してノンビリ活動を続けてください。